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泥にまみれた高校時代、平和を手に入れた社会人生活

朝、行ってきますと言って家から徒歩30秒のバス停から地下鉄の最寄り駅に向かう。着いてから両親は仕事に向かい妹は中学校へ行った時間を見計らって、反対方向へ向かうバスに乗って誰もいない自宅へ戻った。 高校の事務室に電話をする。体調不良で遅刻すると。そこから2~3時間家で過ごし、マックでお昼を食べてから5時間目以降の授業に出る。
1個も授業に出ず、時間割が全て終了したあとに進路関係のことをやるために学校に行った日があった。その時担任は登校はしたから欠席ではなく遅刻扱いにすると言ってくれた。友達はいなく、大抵いつも1人で過ごしていた。体育祭は自分の出番が終わったら、次の日は休む。
平日の朝に今後の高校生活について母から何かアドバイスを受けたのだけど、私はそこまで強くないと泣きながら反論したこともある。母も泣いていた。そんな高校時代だった。

もうすぐ私は社会人3年目になろうとしている。
友達といれて楽しかったし、労働もしなくてよかった学生に戻りたいとはよく言われる。けど私は今のほうが断然楽しい。心から言える。
高校が嫌だったなら、それ以外の小中は?
楽しくなかったです。はい。
小学校高学年からカースト上層部に目をつけられいじめられる日々が始まる。中学入学、クラス替えを経ても万年浮いてる変な奴。ただそんな中でも小中は仲良くしてくれる友達もいた。中学の友達1人とは現在も定期的に会う仲で、この子の存在は人生の中で大きい。
このことは前書いた記事でも言ってるけど、深い友達が1人でもいれば人生の質は変わる。↓

高校時代の話に戻る。人生最悪の期間だった。今言った友達とは高校が別々になり、制服がかわいいのと大学進学がしやすいことを理由に私立高校に入学した。そこがなかなか治安の悪い高校だった。ただ1人でいるだけならまだ良かったのだけど、高校に入っていじめが激化したんですよ。キャッチボールみたいに友達同士でものを投げあっていて、間に私がいて、顔に思いっきりぶつかった。ごめんねーー!!とわざとじゃなかったよと言いたげに男子が謝ったけど、絶対わざとだろ。投げる前にニヤニヤしながら他の友達と顔を合わせていたのを今でも忘れない。この時ぶつけてきた男子は2人。他にも授業で当てられたら、クラス全員の前で別の男子1人から「いけいけ♪こと♪」と茶化されることもあった。そして間違えた答えを言ってしまい教室から笑いが起こった。地獄だった。向こうにとってはゲーム感覚なんだろうね。反抗して来ない浮いてるカースト最下層でストレス解消するのは。毎日やめたかったし、なんなら学校だけじゃなく人生もやめたかった。本当に死にたかった。その気になればいつでも死ねたし、きっとニュースになって学校長が会見して、加害者はネットで晒されていたのだろうか。少なくとも今言った3人は必ず。小中も楽しくなかったから、あの頃に戻りたいと思える時間もなく今も耐えられなかった。やった側は忘れても、やられた方は一生済んだ話にならないんだよ。

なんでこんな思いをしてもやめずに卒業まで通ったのかというと、さっきも言ったようにその高校は大学への進学が有利だったから。中学の頃高校見学に行ったとき、主な進学先の中に幅広い学科があって両親の職場仲間の子供も通ってる人が多い市内の大学があった。高校2年の終わりに第一希望をその大学に決め、無事に推薦で合格した。大学時代は学科の友達やサークルの先輩後輩繋がりもできて心から楽しいと思える時間だった。高校時代に失われた自己肯定感を取り戻すことができた。この大学時代がなければ私は今の20代半ばまで生きていなかった。

ただ、あの高校にしがみついて大学進学をしたルートが正しかったのか、今でもわからない。
やめれば推薦進学を失い、希望の大学に行けない可能性があることが恐怖だった。いじめで心がボロボロになった私に一般受験で入学する気力を持つ自信はなかった。居続ければ尊厳がもぎ取られる。ものをぶつけられた話は学年だよりにも書かれそれ以降は無くなったのだが、嫌がらせは卒業するまで続いた。
もうどっちに転んでもお先真っ暗だった。どこに行っても人生は不自由確定だと誰かに言われているみたいだった。 今思えばやめて心の回復期間を作れば、推薦じゃなくてもこの大学に入りたいと思える気力を作れたかもしれない。

本当にやめるかやめないかという話になり、高2の時に両親と通信制高校の見学に行ったこともあった。いじめだけではなく友達ができないことにも悩んでいた。私の友達ができないコンプレックスについてはここで書いている。↓

父に言われたのが「新しいところでも友達はできるかもしれないし、できないかもしれない」だった。下手に保証して本当にできなかったらまた私の心は折れてしまうので父の言うことは正しい。ただ、この一言を付け加えて欲しかった。「だけど、いじめから逃げることはできる」

大学に入ってから母に「高校は本当に楽しくなかったな」とこぼしたら、「そこを選んだのは自分だからね」と返された。
私が苦しんでるのを見てきたのに、あまりにも冷たくないか。学校も会社も、楽しいかどうかなんて入ってみないとわからない。だから耐えられないならやめて、逃げることも大切。いじめ対策に必要なのは逃げ場だとずっと言われている。コロナでリモート授業ができて、もしこれが高校の頃にさせてもらえてたら自分の心を守りつつ推薦枠を手に入れることもできてた。これが自分にとってベストな逃げ道だったと思う。だけど実現しそうにない。どこの世界でも被害者に冷たくて加害者に優しい。


友達を作ることに執着してた私だけど、今の職場には同年代の人が少ない。同期は札幌市内にはいるけど、関わりは全く無い。
だけど、今が人生で一番楽しい。
意地悪な人もいなく、働く上で人間関係の障害が一切ないからというのが大きい。
入社後に直属になった先輩社員は大が付くほどの当たりだった。厳しくも私のことを社内で一番見てくれて、世間知らずだった私を社会で仕事ができるように一から育ててくれた人だ。
あの時自分が一番求めていた平和を、社会人になってようやく手に入れることができた。

高校の頃父にこんなことも言われた。「社会人になっても職場で嫌がらせを受けることもある」
確かにそれはある。父親としてはそれを踏まえて生きていってほしいと願っての声かけだったのだろう。だけど当時の私にとっては絶望の言葉でしかなかった。今自分を苦しめているものから一生逃れられないなら、もう生きていたくない。

社会に出て働いたら失敗して悔しいことや辛いこともある。でも生きている意味がわからなくなるほど傷ついたり、最悪な場所に居座り続けて自殺するくらいなら、自分の心を守る。
納得できないことには声を上げるのも大事だし、もうこれ以上関わりたくないなら何も反抗せず去るのもいい。それぞれのやり方で動いたり、逃げたりする。これは学生社会人関係なくやるべきこと。
学生時代が楽しくても、社会人になって虐げられて自らの命を絶った人はたくさんいる。最近はそういう話を見聞きする機会が芸能界でも増えて、気持ちが沈んでしまう。あの頃に戻りたいと思える過去があっても、結局今が平和かどうかが大事。

何度も考えたことがある。
どれだけ辛かったかを表すには、死なないと分からないのかと。
死を選ぶ人もいる中たまたま生きている私は、
死ななくても伝わるようにnoteでこれからも言葉にし続ける。
いじめは心の殺人だと。

What's Going on?のこの歌詞を心にナイフが隙間なく刺さった当時の自分に伝えたい。

生き抜くことが、反撃のビートだ。

あなたが心穏やかに過ごせる環境に身を置き、
そこで生き抜いてほしい。と


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