sumikaへの思い
「またsumikaとして歩いていきたいと思いました」
「それぞれがそれぞれのペースで向き合って、
そしてまた元気な姿で再会できることを願っています」
「ずっと愛してるよ隼ちゃん。出会ってくれて、一緒にバンドを組んでくれて本当にありがとう。」
3人のコメントを見てバンドマンの訃報で初めて涙が出た。そこに隼之介さんの名前が無いのも相まって。
まず何よりも3人には前に進むと決めてくれて本当にありがとうと言いたい。
もしかしたらもう3人は音楽をやめるかもしれない。10周年の企画も全て白紙かもしれない。
それでも。悲しい中でももしまた歌いたい、
弾きたいと3人が思ったなら。
その気持ちに嘘がないなら。
みんなに愛された音楽を届けてほしい。
そんな想いを持った人たちが沢山いた。
私もそのうちのひとりだった。
ただ、これから長い戦いになる。
sumika10周年の節目にギタリストを失った喪失感はあまりにも大きい。
発表から3日の時殴り書きで書いた記事では私の「sumikaが好き」は、ワンマンは本当に人生賭けて好きな人に行ってほしい。でも行くフェスに出るなら間違いなく本命のバンドになる。だった。
だけどこの1ヶ月間で気持ちの変化があった。
3月7日、公式サイトに新しいお知らせが上がったときの手の震え。彼らの言葉、音楽に触れるたびに出る涙と心の痛み。
ワンマンにこそ行ったことはないけど
「sumikaが人生の一部である人たちにとって好きな人の人生が絶たれるのはどれだけ辛いことだろう」の人生の一部である人の中に自分が入っていたのだと自覚した。
好きな人に行ってほしいといいつつ、
行きたいけど地元札幌でワンマンをよくやっているキャパ2000人のホールは倍率高くて諦めていたという気持ちもあったと気づいた。
17年、大学1年の時にsumikaを知って以来、遊園地のように心が躍る4人の音楽が日常を彩ってくれた。
当時sumikaはサブスク解禁前で音楽アプリでの定額聴き放題の対象外だった。聴くためには別料金を払う必要があった。
貧乏大学生だった私はずっとYouTubeで聴いていたのだけど、歩きながら聴けないのに耐えられなくなり、なけなしの財産をはたいて買うことにした。
買ったのはファンファーレと春夏秋冬を1曲ずつ、Fiction e.p.、アルバムChime。
今考えると組み合わせがおかしい。Chimeの中にフィクションもファンファーレも春夏秋冬も入ってるぞ。まあChimeが出るまで事前に買った2つを聴けるの待てなかったんです。19年にサブスク解禁したときは同時に今までアプリでは聴けなかったFamiliaも現れ、めちゃくちゃ嬉しかった。
去年コロナ禍になって初のRising Sunに4人が出た。他にも好きなバンドが沢山出てた。にもかかわらず私は行かない選択をした。
前月の7月にひとり暮らしを始め、8月は見たことない金額のカードの引き落としが待っていたから。今となってはかなり後悔している。前の記事で行けない事情はsumikaも分かってくれてるとか言ったくせに。
「今日来る選択をしてくれた人も、来ない選択をした人もどちらの選択を選んでも正しいと思う。」
いつかの片岡さんの名MC。
でもね、これに行ってたらファンファーレのギターソロを弾く隼之介さんを見れた。この定番曲はまだ生で聴けてない。
今年行けなくても見れるチャンスは沢山あるしってその時は思っていた。でもそれは違った。
次なんてあるかわからない。
わすれものの歌詞が本当になってしまった。
「また会えるさって気を抜いていつかが永遠に変わる」って。もう2度と同じ後悔をしないように、出来る限り好きなバンドを見る機会には足を運びたいと思っている。
ただずっと満足に行けるライブ全部に行けてたって、あまりに突然で早すぎる別れは辛い。人生の価値は終わり方だから。元気で寿命を迎えるまで生きてほしいんだよ。好きな人には。
涙が止まらないほどの悲しみとの向き合い方で、好きな考え方がある。
悲しみは乗り越えるものではなく、
馴染ませるもの。
山を登って乗り越えて完全克服しました!というよりも、体を突き刺している大きな物体を少しずつ自分に馴染ませるようなものだと思う。
(もしこれを読んでいる人の中に、自分は必ず乗り越えてみせる!と決意して前に進もうとしてる人がいるなら否定しない。)
しばらくは痛いだろうけど、だんだん悲しみを自分の一部として体の中に取り込んでいくようなイメージ。
3人も言っていたけど歩いていく過程で寂しくなるし涙も出る。この感情とは人生ずっと隣り合わせになるだろう。おじいちゃんになるまでずっとバンドをやっていきたいと語っていただけに。
そして悲しみは水でもある。
まだ受け入れられない、涙が止まらないうちは水の中に溺れているような状態。だからここから数カ月あるいは数年は自分に甘ーーく過ごしていい。人前ではどうしても笑ってしまう時も1人になったら思いっきり泣く。手に負えなさを感じたらすぐに休む。
そうして過ごしているうちに、時間とともに水位が少しずつ少しずつ下がっていって、腰の位置でざぶざぶとかき分けて進み、またさらに時間が経てば足首まで下がって足元がひんやりする。
悲しみを馴染ませて、今ある事実を受け止めるというのはこの感覚に近いと思う。
私が初めて身近な人の死に向き合ったのは祖母が亡くなったときだった。
5年たった今もふと思い出した時、命日であるクリスマスイブに仲良く歩く老夫婦を見ると涙が出る。そういう時にまだ10cm悲しみに浸かってるなと思う。
普段私はnoteで音楽のこと以外に、高校でいじめられたとか浮気されたとか、sumikaの遊園地ハッピー音楽とは真逆の暗い話ばかりしている。
高校時代、筆箱を顔にぶつけられたり、クラス全員の前でうざい!死ね!と叫ばれたり、Twitterに盗撮された写真があがったり、かなりひどいいじめを受けて勢いで遺書みたいなのを書くまでに追い詰められた。
高校卒業から2年経っても立ち直れず、その2年の途中で当時の恋人に浮気をされ、18年、大学2年のときは生きている意味がわからずお先真っ暗だった。高校時代、その頃と生きるのやめたい期は2回目だった。
そんな時にファンファーレを聴いた。
「醜さも不甲斐なさも照らして飲み干したら新しい自分だろう」「光る朝に目背けずに今瞬きを繰り返すのさ」って歌詞に心打たれて通学中に歩きながら号泣した。本当にこの歌には助けられた。
ねえ隼之介さん。
あの時私を生かしてくれたあなたが
どうしていなくなってしまったの。
もし楽しませてくれた裏でボロボロになってたなら。10周年の浜スタも出なくていいし、永遠に休んででも命を優先してほしかった。
そうしたらあなたが生きているうちにDMを送ることができた。
死んでしまったら何もなくなる。
もう体がない。ギター弾くことも友達と話すことも美味しいものを食べることも笑うこともできない。
6年前にTwitterであなたをフォローしたとき、特に何もリプライしてないのに1日2日とかでフォローバックしてくれた。自分の指1つで喜んでくれるならって10万人に返してくれるよね。
優しいあなたに生きててほしかった。
何もしなくていいから、生きててほしかった。
そして、残された3人は家族を亡くしたような気持ちでいっぱいだよね。
片岡さんはMUSICAのインタビューで
familiaのタイトルの由来を語っている。
カバー画像はその裏表紙。
以下原文ママで引用する。
前身バンドからずっと一緒だった片岡さんと荒井さん。長い付き合いだった仲間に先立たれた悲しみを想像すると辛すぎる。
キーボードでsumikaに色を添えてくれたおがりん。私は大学の軽音サークルでキーボードだったのだけど尊敬するキーボーディストの1人。たまにメインボーカルやる時の声が優しくて好き。
sumikaは全員が音楽制作をする4人全員が最高のアーティスト。
この前サークルの2学年下の卒業ライブがあった。1番最後の大トリ、卒業生だけで組んだバンドはsumikaだった。ギターの後輩は難しくて苦労したって言ってた。それくらい全員がレベルの高いことやってる。
sumikaは沢山の人から愛されるバンドだよ。
3人、sumikaを愛する全ての人。
どんなに辛くても、生きて。
隼之介さんの分とまでは言わないから、
どうか生きて。
北海道には大規模な春フェスが無く、大学時代からずっと行きたいと思っていたのが宮城のアラバキだった。
sumikaの名前が春フェスのタイムテーブルに載り、復活するかもしれないとSNSがざわついた。公式から改めて出演するとアナウンスがある前に、キャンセルの可能性もある中で私はチケットを取っていた。
そして今日、正式に出演を発表した。
発表から初めての表舞台。
3人の水位を少しでも下げられるなら。ファンの気持ちを届け、そして3人の気持ちを受け止める場でありたい。
3人がsparkに帰ってくる回を聴くために昨日radikoのエリアフリーに登録した。
「隼之介が最高のギタリストであり、作曲家であり、最高の友達であることはずっと変わらないと思います」片岡さんのこの言葉にジンと来た。
3人が笑って話していて、安心した。
笑える瞬間があるなら、
そうして少しずつ進んでいく。
そう決めてくれたなら、
全力で応援するからね。
sumikaがこれからも大好きだよ。
隼之介さん。愛されてるって証拠、
向こうで受け取ってくれないかな?
これからも見守っていてね。
会いたいよ。
sumikaでギターを弾いてくれて、
たくさんの素敵な音楽をくれてありがとう。
最後にsumikaの好きな曲を羅列する。
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