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nouvelle 智通信の一部として note をはじめます。不定期更新。きまぐれ。ネコだから。

マガジン

  • フランス旅行記

    リヨンと南仏をまとめました。

最近の記事

やることを作る日常 運転篇4

自主練の日々いろんな方々より、とにかく毎日運転してみること、車にさわっていることというアドバイスを受け、やってみようとしましたが、なんと一人で運転するのがこわい。この状況。だれか助手席に座っていてくれないと一人ではなんとも心細くて運転できない。そこを気持ち切り替えて車を動かすということまでがとんでもなくハードル高い。だから乗らないの繰り返し。まあ、今日はいいか、明日運転してみようみたいに一日延ばしになって、車は庭に鎮座している。これではなんとも進歩がない。ということで、冷や汗

    • やることを作る日常 運転篇3

      低迷しています 眼のまえに立ちはだかる「門」という壁。これがなんともならないか。うまい方法はないのか。門をすんなり出たり入ったりができないために、車に乗ろうという気が起きない。これはこまった。毎回10回以上切り返しをしていると、それだけで疲れてしまい、どこかへ行こうという気持ちはなくなる。3,4年前、一度運転をやって半年であきらめてしまったとき、もう運転なんていいやどうでもと思い、途中でやーめたとなったとき、ほんとに肩の荷がおりて、もういい終わったもういいんだやらなくてもとい

      • やることを作る日常 運転篇 2

        まずは自宅の門を出ることができるか? 我が家は小さな庭があって、そこに車を停めているわけなのですが、なんといっても門が狭い。測ってみたら3.4メートル。門を出たら細い道路があってT字になっている。ここをうまく出ることができないという問題があります。いつも冷や汗をかき、何度も切り返してやり直して出発。このため車で出かけて行こうという意欲がそがれる。 写真で見るとこのようです。このスペースに車をとめている。↓ 門はこのように狭い。↓ 門の左側。庭から道路へ前進で出て行こうとす

        • やることを作る日常 運転篇

          はじめに 2022年4月、実家のある福島県南相馬市に戻ってきました。18歳の高校卒業以来、住民票をこちらに移すのは初めてです。 同年3月末にて勤めを退職。特に仕事のあてもなく実家に戻ってきた状況で、これからどうするのかまったく未定。 ということで、現在「やることを作る」ことが課題となっております。 退職したからといって特段たくわえがあるわけじゃない。しかし、なにか始めてみたいという気持ちは強くある現在。これから出会うであろう新しい仕事に向けて、「やることを作っていく」日常を書

        やることを作る日常 運転篇4

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        • フランス旅行記
          9本

        記事

          フランス旅行記 プロバンス篇 3

          ルシヨンルールマランからさらに北へ向かう。エクスよりむしろアヴィニョンからの方が近いくらいのところにルシヨンがある。「フランスの最も美しい村」に登録された、人口1,200人の村。小高い丘の上にあるこの村はオークル(黄土)鉱脈の中心部にあり、その地質のために昔から栄えていました。ローズ色の色彩を放つ美しい土は、化学塗料がない古代・中世そして近世まで、多くの暖かい壁をつくり、リヨンの旧市街のような街々をつくってきました。 太陽のあたる角度によって、さわやかな淡いピンクから燃え立

          フランス旅行記 プロバンス篇 3

          フランス旅行記 プロバンス篇 2

          ルールマランエクサンプロバンスを拠点としてプロバンスを巡る小旅行を開始。まずはルールマラン。ヴォクリューズ県。エクスから北北西に60キロに位置する、人口1,200人の村。リュベロン山地の麓にある15世紀ルネッサンス期のルールマラン城を中心に素朴で美しい家々が並ぶ。まさにプロバンスを代表する村です。 村を散策してみると、路地の美しさに気づきます。人々は村とともに生活し、豊かな自然の中で時間がながれる。人を惹きつけてやまない村。魅力的というのはこういうところを言うのでしょう。お

          フランス旅行記 プロバンス篇 2

          フランス旅行記 プロバンス篇

          プロバンスへ行こうリヨンを後にし、エクサンプロバンス ( Aix-en-Provence ) へ行くことにしました。つまり南仏。南仏といってもいろんな地方にさらに分かれていきます。エクサンプロバンスはブーシュ・デュ・ローヌ県にあるマルセイユから電車で40分くらいのところに位置する街。人口約12万人。プロバンス地方の観光拠点となる街であり、フランスの国民的画家であるセザンヌの出身地。さんさんたる容赦ない日差しと乾いた風。澄み渡る青い空。パリは365日のうち300日曇っているとい

          フランス旅行記 プロバンス篇

          フランス旅行記 リヨン篇 6

          ペルージュへの小旅行ジャン=マリーが運転しみんなでペルージュへ行こうという話になりました。ペルージュとはリヨンから北東へ35キロにある人口 1,100 人の小さな村です。リヨンはローヌ・アルプス県にありますが、ぺルージュは同県ではなくアン県 ( Ain ) に位置。フランスの中世時代をそのままに残している村。リヨンとジュネーブを結ぶ街道沿いにあり、12世紀の城塞、15世紀から18世紀にかけて麻織物の村として栄えたところです。城塞の中は13世紀以降の歴史的建築物が多く残っており

          フランス旅行記 リヨン篇 6

          フランス旅行記 リヨン篇 5

          豊かさとはラッシェルとジャン=マリーのマンションに到着。彼らはリヨン郊外のヴィロバンヌという街に住んでいます。ナディア、クリストフという2人の子供は成人して巣立っていきました。それだけの時間がながれた。それぞれの近況から思い出話、ラッシェルのママのこと。夕飯を食べながらずっと話し込んで、就寝したのは深夜すぎ。フランスにいたころ、お金はなかったけど、よき友人たち、よき師、よき隣人に恵まれて充実した時間を過ごすことができたことはなんといっても幸運であったし、その関係が今現在も続い

          フランス旅行記 リヨン篇 5

          フランス旅行記 リヨン篇 4

          ラファイエット通り学校、学食と訪ねて、次はやっぱり下宿先へ行ってみよう。20代リヨン滞在中に下宿していたのは、ラファイエット通りにあるマダム・ゴーティエのアパルトマンでした。この通りはローヌ河からパーテューを横切って走る大きな通りで新市街にあります。パーデューにあるギャラリー・ラファイエットの前を通る大きな通り。スーパーもあるし、バスのターミナル、駅にも近く便利なところ。 学校から入学の許可が下りた時、リヨンでの住居についてはなにも手掛かりがなく、未定のまま。入学許可といっ

          フランス旅行記 リヨン篇 4

          フランス旅行記 リヨン篇 3

          リヨンに到着6月。夏至のころ、リヨンに到着。空港までラッシェルとジャン=マリーが迎えに来てくれました。おだやかな顔。再会を喜び、ジャン=マリーが運転をして車でリヨン市街に向かう途中、「まだ夕飯まで時間あるよ、まず、どこに行きたい?何を見てみたい?」とラッシェルが聞いたので、すかさず「まず学校。それから学食にいってみよう。」やっぱりね、それはわかってたよというふうに彼女は表情で答えました。6月のフランスは夜になってもまだ明るくて、夕飯はだいたい9時ごろ。空港に着いたのが6時ごろ

          フランス旅行記 リヨン篇 3

          フランス旅行記 リヨン篇 2

          今は昔今はすっかり大昔となってしまったわけですが、わたしは20代のころ学生としてリヨンに住んでいました。留学していたわけです。フランソワ・ミッテラン大統領時代。世の中は東側と西側に分かれていたころ。EUができる前のころ。通貨はフランスフラン。1フランスフランはだいたい16円から20円くらいの幅で動いていました。18歳の男性に対する1年間の兵役義務があった時代。この制度はジャック・シラク大統領時代の1996年に廃止となりました。学割は26歳まで。これからの社会を担う若者や学生に

          フランス旅行記 リヨン篇 2

          フランス旅行記 リヨン篇

          はじめにこれから2016年6月にフランスを訪れた旅行記をまとめていこうと思います。少しづつ書きたいときに続けていくという感じで、不定期更新。気まぐれではありながら、自分の視点から自分の言葉でこの旅行記を書いていきます。 リヨンという街リヨンはフランス南東部にある都市で、パリ、マルセイユと並ぶ大きな街。古代ローマ時代、フランスは「ガリア」という名前で、ローマの属州でしたが、その当時の首都でありルークヌドゥム (Lugdunum) という別名を持ちます。思うに日本でいうところの

          フランス旅行記 リヨン篇