見出し画像

奥会津で過ごしたかけがえのない5日間

2022年8月17日〜21日の5日間、福島県南会津町で開かれた KOTOWARI 会津サマースクール2022 に参加した。

今年4月に上京、それから大学に編入学。慣れない都会の喧騒。想像していたものと違ったと思ってしまうこともある大学生活。忙しない日常が過ぎ行く現代社会の中で、自分と向き合う時間もない日々を過ごしていた。そもそも「自分と向き合う」とは何なのかをまだ理解していなかった。別に自分と向き合わなくても、自分という存在について理解していなくても良いと惑わされる日々を過ごしていたんだと、このサマースクールを終えてから気づくことになった。

このサマースクールは『人新生の「資本論」』の著者・斎藤幸平さんのTwitterをきっかけに知った。「環境問題を起点に世界と自己の本質を探る」というテーマに惹かれて応募することに。豊かな自然に恵まれた奥会津で過ごした5日間は、これまでの20年間の中で最も有意義な5日間となった。

自分はこのサマースクールで何を感じ、何を学び得たのか。5日間自然の中でそのまま感じたものを自分の言葉で表現するのは難しかったし、この記事を書くのにも時間が掛かった。それでもあの5日間を絶対に忘れたくないし、自分の中で整理したいからこそ、ここにまとめることにした。


自分の中にある「当たり前」

早速1日目から学んだものは多かった。事前課題の図書・養老孟司『いちばん大事なこと』をもとにしたディスカッションは、「どうすれば全員が参加できる有意義なディスカッションにできるか」を考えた上で、実際にディスカッションを行った。自分が話している時に全員の目を見る、誰かに意見を求めるときはYes/Noで答えられる質問ではなく5W1Hを使って質問するというアイデアが印象的で、これまでにもディスカッションを経験していたものの、気づかない視点が多かった。

そして、1日の学びや感じたことを振り返る"Journaling"。その項目の一つが「自分の中にあるどんな『当たり前』に気づいたか」。改めて振り返ると、このような視点を今までに持ったことは無い気がした。自分が1日目に気づいた自分の中にある当たり前は何だったのか?ノートを見返してみると次のように書いてあった。

④ 相手の年齢を気にしがちな自分がいた。かも。

「ん??」と思った。2〜5日目のJournalingに比べて文章量があまりにも少なすぎた……でも、これも大切な気づきであることに間違いないと思う。このサマースクールに年齢など関係なかった。普段の日常生活だってそうかもしれない。

サマースクールの参加者は中学3年生〜大学院生と幅広い年齢層だった上に、参加者一人一人の関心分野やバックグラウンドも異なるので、このような環境で互いに言葉を交わせることはとても新鮮に感じた。

「環境問題を解決する」とは

2日目。朝6:30からヨガと瞑想に1時間取り組んだ。空と大地のエネルギーの流れを心と身体で感じた時間。身体が硬すぎるあまり苦労する場面もあった(涙)。

2日目はゲスト講師の方による講義が2回行われた。ノートを見返すと大量の記録が記されていて、学び得たものは非常に多かった。2日目で特に考えさせられたことは、何か問題を解決して理想の社会を創りたいのであれば、「その理想の社会はどのようなものなのか」を説明できるようにならなければいけないということ。それが説明できるようにならないと、「解決」は本来手段であるはずなのに目的になってしまうのだ。今までの自分は、「不平等、貧困、ジェンダー問題といったあらゆる社会問題に複雑に関係しているといえる環境問題を解決したい」ということを考えていたし、このサマースクールに参加する前の面談でもこの思いを伝えた。自分にとって「環境問題を解決する」は、目的になってしまっていたことに気づかされると同時に、理想の社会とは何なのかについて考えることをいつからか辞めてしまっていたことに気づいた。別に理想の社会が何なのかを説明できなくても良いと自分の中で正当化してしまっていたのかもしれない。自分が理想とする社会は何なのだろう。

実は、この日の昼食の時間に「理想の社会」について4人で話していた。サマースクール参加前のアンケートの問いの1つであった「地球の未来についてどう感じるか?」を1(悲観的)〜5(楽観的)で評価する問いにどのように回答したのか?を共有した。自分は「2」と回答したが、これは4人の中で一番悲観的な回答だった。「今ある山積みの社会問題を解決するのは難しすぎると思うから『2』にしたけど……でもそれだけじゃなくて、もし今ある社会問題が解決されたとしても、その社会で生きていく意味はあるのか、もうすることが何も無いんじゃないかと思ってしまう。」と正直に伝えたところ、「問題が解決された社会を生きる意味は確かに気になってて、それに関連した本(國分功一郎『暇と退屈の倫理学』)も読んだことがある。」という意見や「問題が無くなってみんな幸せ。っていう社会で良いと思うよ。ただそれだと、社会問題の解決を仕事にしている人たちの仕事は無くなるけど。」という意見。自分には社会問題が何も無い社会、何もすることが無い社会を生きるということを想像することができなかった。この問いはやはり難しすぎる気がした。自分が理想とする社会は何なのだろうか。(続く)

歓談①

このサマースクールに参加する前から、年代や関心分野、バックグラウンドが異なる仲間と共に、普段どのようなことをしているのか、どのようなことに関心があるのかなどを語り合う機会を心待ちにしていた。しかも一緒に参加した仲間は、自分の想像を遥かに超えた刺激的な仲間たちだった。どんな人たちがいたのかを紹介したいけれど、紹介し始めるとあまりに長くなりすぎてしまう。自分が知らないだけなのかもしれないが、大学にはこのように言葉を交わせる機会があるようでなかなか無い気がする。1日目の夜には就寝前に同部屋の仲間と、今の社会についてどう考えているのかを語り合った。5分だけのつもりだったのに30分ぐらい語り合っていた。このような時間が5日間の中にいくつもあった。

勿論、ひたすら社会問題についてひたすら語り合っていた訳ではない。生きるということについて一緒に考えたり、これまでにどのような体験をしてきたのかを共有したり、面白い本を紹介してもらったりもした。3日目の昼食の時間には、スタッフの方と「日本酒」の話をした。自分は普段飲酒の習慣がほとんど無いため、正直関心を抱きづらい話だと勝手に捉えていたかもしれない。でも、気づけば興味津々でスタッフの方のお話を聴いていた。「日本酒を飲むと元気になる効果があるから、寺の修行の前に飲むことだってあるよ。」と教えてもらった時の感動を今でも覚えている。このサマースクールでは、自分が知らないことや考えたこともない価値観の連続に普段以上に感動を覚えるようになり、とにかく人と話す時間が純粋に幸せだと感じた。

4日目の夜は深夜2時まで焚き火を囲んだ

何でも語り合えるこの場所で、高専1年の時から建築を学んでいて環境問題に取り組みたいと考える自分なりの思いを話した。「建築の分野から環境問題に取り組もうと思ったら、太陽光を沢山取り入れることで電力を削減したり、窓や壁を断熱して冷暖房使用量を減らしたりする方法があるけど(それらが重要なのは間違いないけど)、正直それだけじゃ環境問題を解決できないと思う。もっと節電を呼びかけるとか、建物の無駄な電力消費を減らしてもらえるように政策を考えるとか、ソフトなアプローチが必要だと思う。自分はそれに関わりたい。」と思いを伝えると同時に、「正直、自分は本当に建築に興味があるのか、やりたいと思っているのか分からない。」という迷いも打ち明けた。これは、今の社会システムを急いで変えるべきだと考えていた自分にとって、建築に何ができるのか分からなかったからだ。振り返るとこの社会を急いで変えるべきだと考えていた自分は、建築という分野をやや否定したニュアンスで伝えてしまっていた。「環境問題を解決する」ということに思考を限定されていた自分は、いつの間にか「建築」の可能性を排除していた気がした。(これも続く)

社会システムを強引にでも変えるべきなのか

4日目の午後、3日目に鑑賞した映画『カナルタ 螺旋状の夢』に続く講義。そこで印象に残った言葉は「今の世界の綻び」。沢山の社会問題で溢れかえる現代社会で、何とか元に戻そうとする希望が見出せなくなりつつあるということ。1・2日目に行われた環境問題について意見を交わすディスカッションの中でも今ある社会問題の深刻さを改めて考えたものの、講義の中でこのような内容に触れられたのは初めてだった気がした。
そして、社会システムを強引に変えようとして問題を解決しようとする流れを感じるということ。
自分はその言葉が少し気になって、講義終了後に「僕は社会システムを半ば強引にでも変えるべきだと思っていたのですが違うのですか…?」と率直に講師の方に尋ねた。すると、「自分も昔はそう思ってた。20代の頃は革命を起こしたいと思っていた。でも今はそうは思わない。」という答えが。社会システムを急いで変えようとしてきた結果、今のように世界が綻びてしまっているということについて考えさせられた。
最近では、気候変動問題を止めるためにも社会システムを変えるべきだという考え方が広まっていて、早急なシステムチェンジが必要なのは間違いないと思う。でも、社会を変えようと必死になって、自分や自分の周りを大切にしなくなる恐れがあることに注意する必要がある。自分と向き合ってこなかったからこそ、なかなか気づけなかったことに気づき始めた気がした。

自分はその講師の方に、「理想の社会」についてもお話を伺った。「みんなが楽しく暮らせればそれで良い。経済とかなんてどうでも良い。」、そして、「人間はただいるだけで良い。人間は本来『human being』なのに、何かをしようと働いてばかりで『human doing』になってる。」という言葉には、ものすごく新鮮な感情に揺さぶられた気がして、いかに自分が現代社会の喧騒に惑わされていて、考えてみると当たり前のことに気づけずそれを受け入れることができていなかったのかに気づかされた。
今の自分たちは資本主義社会に染まりきっている。「脱成長」という言葉を最近耳にするようになり、その重要性を理解していたつもりだったが、もっと自分たちを見つめ直していく必要があると感じた。「理想の社会」は人それぞれだとしても、human doing になってしまった人間には「理想の社会」を想像するのがどうしても難しいのかもしれない。だからこそ、まずは自分と向き合うことが大切なのだ。

自分と向き合う大切さ

1日目の「あなたが自分を感じるときはどんなときか?」という問いを考える時間は全く考えが思い浮かばず、自分でも納得できるような答えを出すことができなかった。そもそも問いの意味もあまりよく分からなかった。環境問題に関するディスカションの時とは全く異なり、「自分」に軸を置いた問いには上手く答えることができなかった。自分について今まで考えたことがなかったのかもしれない。

只見のブナ林で見つけた「碑」

この写真は4日目の午前にユネスコエコパーク・只見のブナ林で見つけた「碑」。(只見のブナ林での学びをまとめたページを見返してみると、字が絶望的に薄かったせいで完璧に読み直せなかった……)
この「碑」をもとに、最終課題「ここにあなたがいるということを表してみてください」を考えた。スタッフの方とも相談しながら、5日間で感じた自分と向き合う大切さを含めて言語化した(以下に一部抜粋)。

自分はどうしてもここにいる理由・目的は何なのかを考え欲している。こんな社会を実現するために、まずはこの問題を解決して…と常に考えてしまっている。これは「何を(What)」という問いに対する答えであり、なぜ自分がそのように考えるのか、なぜ自分がその方法を選ぶのかという「何で(Why)」の部分を考えることができていない。これはつまり、自分自身を見つめることができていないということである。
ここに自分がいるということは、自分と人とのつながり、また自分自身について、見つめ直すということにあると気づいた。

社会に目を向ける前に、まずは自分と向き合わないといけないという大切なことを忘れてしまっていたことに気づかされた5日間だった。忙しない日常生活の中で、自分について考えることもなく、自分と向き合うこともできなくなってしまっていたと気づかされた。

そして何より、自分が変わらないと社会は変わらない。でも逆も有り得るからこそ、「自分」と「社会」は順序の議論ではなく、自分も社会も同時に変わっていくべきなんだと思う。

また、この5日間のテーマの一つであった「言葉で考えない」ということ。2日目には「言葉で考えない」を意識して1時間、時計も何も持たずに自然の中を歩き回った。この時にはまだどうしても意味がよく分からなかったものの、日を重ねるにつれて次第にこれを理解し始めた気がした。
例えば「環境問題」という言葉は広い意味を持っていて便利な言葉だけど、その言葉を使ってしまうと、その言葉が持つ意味によって自分が伝えたいことをその言葉が持つ意味で縛ってしまい、自分が一番伝えたい意思とずれてしまうという危うさがある。これと同じように、自分が感じたことをすぐに言葉で考えてしまうと、自分が感じたことが何かを見失ってしまう。これが言葉で考えないということだと思う。

「環境問題」は本当に自分が取り組みたいことなのだろうか

それでも、言葉で考えずに感じたものを言葉で表現することは難しくもあるけど大切なことである。そのために、自分の中で上手く表現するための言葉を選べるようになる練習が必要なんだと思う。

歓談②

このサマースクールで学び得たものが多すぎるからこそ、上手く整理しきれていないことも未だにあるし、これからどうしようというモヤモヤした考えもある。サマースクールを終えて「分からないこと」はより多くなった気がするけど、「分からないこと」に対しての向き合い方、すぐに答えを知ろうと急いだりしない姿勢を身につけることはできたと思う。

いわゆる環境・社会問題だけについて考えるサマースクールではなかった。自分とは何なのか。社会とは何なのか。そして、急速に時間が流れる世界の中でも変わらないものは何なのか。自分たちの前に立ちはだかり、自分たちを混乱させるあらゆる社会問題を考える前に、自分自身と向き合うことが大切だった。

先ほど触れた「建築」という自分の選択について、「建築」のフレームの中で環境や社会を捉えるのではなく、もっと全体を眺めた上で「建築」という切り口として考えていこうと思う。そもそも大学で専攻分野を選ぶということに対しても、レストランを選ぶ消費者のように予め用意された選択肢の中から選択するのではなく、新しい切り口や分野を自分でよく考えるべきだ、というあるスタッフの方からのメッセージをずっと念頭に置いておきたい。このサマースクールで感じた人と人のつながり、人と自然のつながり、これらを建築の切り口から考えてみるのも良いと思った。自分は「建築」にしか無い新たな可能性を信じるようになった。それは一体何なのか、これから自分なりの答えを探し始めることになる。

自分はこれからも建築と環境問題の勉強を続けていくつもりだし、これから新たな挑戦もしていきたいと思う。でも、今自分が創り上げたいものは「環境に優しい建築」よりも「環境に優しい上に、時間の進むスピードを遅らせるような建築」な気がする。自分の中でなんとなくこう考えた。

改めて、人と言葉を交わすことの大切さを身をもって感じた5日間だった。自分1人では気づけない考え方や価値観について、一緒に参加した仲間たちと、スタッフの方たちと、ゲスト講師の方たちと年齢なども関係なくひたすら語り合った5日間。このような環境がもっと社会のあらゆる場所にできてほしいと思う。しかしよく考えてみると、「異なる関心分野、幅広い年齢層の人たちが集まる場所」はいくらでもある気がする。冒頭で触れた「大学」はもちろん、ある講師の方からは「電車の中」という提案も。以上に挙げたような空間を、このサマースクールのように何でも語り合えるような環境にすることはできないだろうか。まずは、自分がこれからも人と話すこと、相手の話を聴くことに時間をかけることを大切にしていきたいと思う。

社会に惑わされないために……??

会津サマースクール2022は無事終わった。サマースクールを終えて、自分自身の価値観が大きく変化したと客観的に見ることができている。サマースクールの5日間で提供していただいた有機野菜のベジタリアン食に感動を覚えて、少しずつ自炊をするようにもなった。とにかくあの5日間を絶対に忘れたくないし、2日目の夜空に見えた流れ星も何もかも全てを忘れたくない。だからこそ、少しでも行動に移すことで忘れないようにしていこうと思った。
2022年9月23日、サマースクールで出会った仲間の1人に影響を受けて、東京・渋谷の気候アクションに参加した。なんと、偶然そこでサマースクールの講師の方と再会することに……!!

奥会津の自然の中ではなく、今度は人が溢れる都市の中で、気候マーチが始まるまでの間言葉を交わした。4・5日目の講義について改めて振り返った。都市を流れる時間のスピードは早く、そして現代社会では人とのつながり今自分がここにいるということについて考えるのが難しい。だからこそ、想像力を常に働かせてよく考えて行動することが重要だと思う。現代社会の喧騒に惑わされずに、答えのない問いに対して、自分と向き合い自分の感覚を大切にする必要がある。2日目の講義で学んだ「資本主義社会における流行」について一人一人が考えて行動していく必要があるという内容に関しても同様である。
このようなまとめ方をすると、都市という空間を否定してしまっているように思えるかもしれないが、都市には都市の魅力があり、都市という空間を消したくない人の思いも尊重することを忘れてはいけない。A or Bのように問題を2つに分けてしまうのは人間にとって楽ではあるけど、そのように分けて思考してしまうと何かを見落としてしまうのだ。
自然に属し、自然の一部である人間の想像力が社会を動かすというメッセージを奥会津の自然の中で受け取った。

振り返ってみると少し不思議だったようにも感じる、奥会津で過ごしたかけがえのない5日間を絶対に忘れたくない。そして、出会った仲間たちとのつながりを一生大切にしたい。そう思える最高の仲間と最高の思い出ができた。

Fin.


最後まで読んでいただきありがとうございました!!

正直、あまり上手くまとまっていない上に、自分の中で勝手に完結してまとめてしまっている部分があるように思います……

もしこれを読んでいただいた中で、感じたことや分かりにくいと感じたことがあれば気軽に教えてください!

そして、KOTOWARI会津サマースクールに関わるすべての皆さま、一緒に参加したみんな、本当にありがとうございました!!

※ヘッダーに掲載している集合写真は、モザイク処理など特に行なっておりませんが、掲載許可はいただいています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?