その21『祈り』〜ふたりで歩いた神仏霊場巡拝の道と西国三十三所〜
このYouTubeは12年前の僕のものです。
IDとパスを失念してしまい、手出しできなくなったアカウントです。
この動画は西国三十三所のもの。
なんか、今より純粋さを感じるなァ。
この投稿の目的は
『霊場巡りって良いもんですよ!』
というのをお伝えすることですね。
そのままでも読んでいただけますが、手紙その13『愛』の続編的な感じで読んでいただければと思います。
巡拝の道との出会い
2009年、退院して少し経ってからの僕はデートでどこかの寺社に立ち寄りました。そこがどこだったか忘れたんですが、そこの掲示板で目に止まったのが『神仏霊場巡拝の道』のポスターでした。
『近畿と伊勢』『全151社寺』『御朱印巡り』
そんなキーワードが並んでいました。
四国八十八箇所を上回る百五十一箇所。
お遍路も相当キツいって聞くのに…
絶対にヤバいやつだこれ…
けど、ワクワクが止まらなかったんですよね。
これを巡り切ったとき、一体どんな景色が見えるんだろうって。
僕の病気もひょっとしたら過去の業によるものかもしれないし、そんな憑き物も払えたりするのかもしれないな。
そんな邪な期待も含みつつ、思ってしまったんですよね…『挑戦してみようかな』と。
四国は通えないけど、近畿は通えると思って。
『御朱印』って何?
「参拝や奉納の証明、神仏と縁を結んだ証。」
百聞は一見にしかず。
スタンプラリーとは違う!とはよく言われるんですけど、申し訳ありません。やっていることはスタンプラリーです。
ただ「ラリー」で終わるから良くない。
言わば「スタンプラリー道(どう)」なんです。
剣道、柔道、茶道…色んな道がありますが、どれもが礼に始まり礼に終わります。参拝する社寺、御本尊、御神体に対しても礼を尽くしてお参りします。
それぞれの目的はあろうかと思うのですが、僕の目的は『収集』ではなく、祈りを通じての『成長』でした。
『御朱印巡りでスタンプラリー』と揶揄される人というのは境内に入るなり本殿に参拝もせず納経所や朱印所まで直行して御朱印だけ貰って帰っていくような人。
アカンとは言いませんけど、勿体ないなとは思いますね。
住職様や巫女様が一枚一枚、丁寧に書き上げて、御朱印を押してくださいます。
字の美しさだけじゃなく、筆を動かす所作の美しさに見とれてしまいます。
スタートに選んだ場所は
151箇所巡るのにどこから参拝しても良い。
悩みに悩んで選んだのは大阪『住吉大社』
最寄りから攻めていくスタイル。
2009年11月15日。
住吉大社で151ページの公式御朱印帳を購入。
同時に人生、初御朱印。
ここから長い旅が始まったのです。
彼女を連れ回す男
結論から言うと151社寺全て、当時の彼女(現妻)と一緒に行けたわけじゃないんですよね。
予定が合わない日もありました。
そして当時、彼女は25歳。
当然、こう言うわけです。
『私も行ってもいいけど、デートが神社とお寺だけで終わるのはイヤや』
そらそうよ。おーん。
年頃の娘さんの二十代後半の記憶が、神社仏閣に連れ回された記憶だけにされようとしているわけです。罪深い罪深い。
そこで、彼女を納得させるデートプランを毎週考えることになりました。目的の神社仏閣を含む、現地の観光地やショッピングモールなどをデートプランに組み込みました。毎週木、金曜日は週末のデートプランのプレゼンテーションの日。そこで納得してくれたらOK!慈悲深い慈悲深い。
例えば滋賀の日牟礼八幡宮(近江八幡)に行くときは、バームクーヘンで有名なクラブハリエの本店『たねや』をデートプランに組み込んだり…。
奈良の大神神社だったら橿原や大和郡山のイオンモールを組み込んだり…。
2府4県の端にあたる舞鶴、赤穂、那智勝浦辺りは全部一泊でしたね。
そうやって近畿2府4県を巡ること半年。
151のうち70箇所巡った頃でしたか。
出会ってしまったんですよね。
観音様が俺達を呼ぶ
どこやったかな…京都の三室戸寺だったかな…。
またもやポスターですよ。
『西国三十三所巡礼』
このやり取りは覚えてる。
『なぁ…これも行きたいねんけど…』
『はぇ?!増えんの?』
『いや、ほとんど神仏霊場と被ってる。今度から行くところ2つ押してもらえるから…』
『けど、西国一番、那智勝浦になってるやん!!また行くの?!』(片道3時間)
『なんぼでも行ったらええやん』
『…ほな私も御朱印帳作ろかな』
西国三十三所は全部、ふたり一緒に参ることに。
過去に神仏霊場で参った場所は再度参ることに。
その全記録が、このYouTube(全8本)というわけです。
それぞれの満願
巡礼を終えることを『満願』と言います。
僕の神仏霊場巡拝の始まりは『住吉大社』
では、終えるのはどこにする?
滋賀県『竹生島の宝厳寺』
ここが満願の地になりました。
琵琶湖に浮かぶパワースポットとして有名で、ずっと行きたかった場所。けど遠くて中々、行けずに最後の最後まで残ったんです。西国三十三所ともダブっていたため、ここになりました。
西国三十三所は三十三番『谷汲山華厳寺』(岐阜)
ここは単に最後の三十三番だったことと、一番遠方だったため、です。
旅を終えたあと
満願の瞬間は『感無量!』ではありませんでした。彼女と『いえーい!!』とかなかったですね。達成感よりも終わってしまった寂しさが勝りました。
至極、穏やかなものだったと思います。
『よいお参りでした…』
『ありがとう』くらい。
その道程が言葉を不必要なものにしました。
霊場巡りの何が素晴らしいのか
①大自然と人との調和を感じられる
社寺は自然を切り開いて建てられています。
いくら芸術的な造りであっても、人工物です。
単体でも美しいかも知れません。
しかし、森や水辺があってこそ、その社殿の美しさが引き立つような。作った人の大自然に対する尊崇の意思を感じることができます。
そんな風景を見る度に、人もまた大自然の一部であることを感じられるのです。
大自然側はどう感じているかわかりませんが(笑)
それが『心地良い』と感じられる御方であればかなりオススメします。
②自分と向き合う時間ができる
それなりの数を参れば、それなりの回数祈ることになります。
祈っている時間は、ある意味、強制的に自分と向き合う時間となります。
自分が何を願っているかなんて、願わないとわからなかったりしますから。
自分のことが深く理解でき、成長する機会かも知れません。
③御朱印が思い出と紐付く
霊場巡り、御朱印巡りは記憶であり記録です。
見返した時のノスタルジーたるや。
素晴らしい日々だったなと思えてくるのです。
また、御朱印はその人のために一枚一枚書いてくださるものです。
まさに目に見える言霊です。
思い出も相まって宝物になると思います。
さいごに
自分より上の存在を作ることって凄く大事だと思うんですよね。それが大自然であっても、大日如来であっても、天照大神であっても、何でも良いんです。
そこから謙虚さを生み出していきます。自分は、ちっぽけなんだけど尊い生命であることを知ることです。そうして自分の内側と外側の境目を無くしていきます。
その先に『悟り』があるような気がしています。
サンダーソニア
花言葉は『祈り』