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手紙その13『愛』

2008年の12月。
僕は高熱で救急外来を受診した。
インフルエンザA型だった。
その時、偶然、看護師が気づいた。

『中尾さん、首に、しこりがありますね』

インフルエンザからの回復を待って、
新年から受診、検査を繰り返した。
雲行きが怪しくなるのを感じながら。
しこり発見から1ヶ月後。

『ガンです。』

6回目の手術が決まった。
甲状腺乳頭がん。
極めて進行は遅いが、肺への転移や、さらに悪性化が進むと極めて進行が早くなるため、切除するのが通例らしい。
眼の前が真っ暗になった。
自然気胸を乗り越えたのに。
まさか25歳で癌告知とは。

見習い柔道整復師として人生の再出発を果たしたばかり、彼女とのお付き合いをスタートしたばかりだった。
絶望には慣れていたはずだった。
けれど、それは独りだったからだ。
彼女にも背負わせるのか。
この現実を。

今なら引き返せるよ。
僕達はまだ付き合って1年足らずだ。
僕みたいな不良債権を引き受ける必要はないよ。
君をもっと幸せにできる人がきっといる。
そう思ったけど、何も言えなかった。
別れたくなかったからだ。

ところが彼女は別れる素振りを見せなかった。
それどころかより一層、僕に寄り添った。

それからは味わうように人生を生きた。
彼女と経験する全ての思い出が、最後のものになるかもしれない。
もう、いつその時が訪れるかわからない。

手術日は2009年3月6日、忘れもしない。
甲状腺の右側を部分摘出する。
失敗すると声を失う。
手術時間は午前9時から4時間。
13時ごろか…、僕が目覚めるのは。
首にチューブが1本刺さった状態で。

当日、朝8時にきた彼女。
9時まで会話という会話はなかった気がする。
ただ、ベッドの上で2人座って手を繋いでいた。

『中尾さん、手術室、行きましょうか』
カーテンの向こうが僕を呼ぶ、この言葉。
聞くたびに一人で腹を括ってきた。
今までは。

『いってくるよ』
『いってらっしゃい』

僕らは一瞬だけ繋いだ手を強く握りあって、
キスをした。軽いハグをした。数秒だった。
数秒を永遠にしたかった。
僕は立ち上がって振り返らなかった。
振り向いちゃいけない気がした。

手術室はいつも明るくて少し寒い。
手術台に脚をかける心地はまるで断頭台だ。
横たわると手際よく点滴が刺し込まれた。
もう、なんの痛みも感じない。
あとは麻酔で意識が飛ぶだけだ。
僕の人生から4時間が消えて無くなるだけさ。

『じゃあ数えますね。いち、に、さん、し…』

遠のく意識。
全てどうでも良くなるような感覚。
全身麻酔の導入が『死』に極めて近いのは、
きっと生まれ変わるためだ。
まぶたが重くて、もう持ち上げられない。
彼女は寂しがっているかな。
こっちは大丈夫だよって伝えたいなぁ。
暗闇と静寂が訪れた。 

体感としては5秒後くらいだった。
突然、目が覚めた。眩しい。寒い。
この風景は、まだ手術台だ。
周囲が慌ただしく動き回っている。
『中尾さん、動きますよー』
一瞬の浮遊感の後、風景が動き出した。
その流れる風景の途中で彼女がいた。
目が合った。目線で頷きあった。
それだけで十分だった。

手術直後は救急病棟に入る。
術後の急変に備えるためだ。
僕は手術箇所の首を触った。
ガーゼの上に包帯が巻かれており、
その隙間からチューブが2本でていた。

…2本?あれ?1本のはずじゃ…
それにしても暗い。
カーテンの隙間から日の光が差し込まない。
おかしい。

主治医が説明に来た。
『中尾さん、声は出ますか?』
「はい…」
『良かった。手術は成功です。そして、申し訳ありません。途中で全摘出に切り替えました。』

いろんなことを伝えられた。
左側も悪性の可能性が高かったこと。
今は夜の19時で、倍の時間が掛かったこと。
リンパ節まで転位が進んでいたこと。
死ぬまで毎日薬を飲まなくてはならないこと。
全摘出が正解かは検査結果待ちということ。

その晩は、全く眠れなかった。

翌日。
術後の経過が良かった僕は一般病棟に移った。
朝一番に顔を覗かせた彼女は微笑んでいた。
彼女は手術中の話をほとんどしなかった。
手術終了まで8時間待ち続けてくれたことだけ。

それからの入院生活は毎朝、注射針を刺されることから始まる。
退院まで毎日、血液検査は続いた。
数値の変化をモニタリングするためだ。
腕が真っ青になっていった。
そのあと一日、安静に過ごすだけの毎日。
彼女は早出の日は夕方から病院まで来てくれた。
大阪市から堺市、1時間半はかかったはずだ。
他愛もない話をして帰っていく。
喫茶店でお喋りしてるような感じだった。
バス停まで一緒に行って、見送った後は、またメールでその話の続きをした。
退院まではそれが日常だった。

手術の1週間後、検査の結果が出た。
左側の腫瘍も悪性だった。
全摘出は正解だった。
主治医も胸を撫で下ろしていた。
僕も彼女も再手術を回避できたことを喜んだ。

退院が決まった。
3月が終りかけていた。

退院後、すぐ彼女の母様に電話をかけた。
入院中たくさんのお見舞いの品を頂いたからだ。
そこで衝撃の事実を聞かされた。
手術途中で主治医が出てきて説明を受けた後、彼女は待合室を出て、号泣しながら母様に電話を掛けたと。

『私はもうどうしたら良いかわからない…』

母様に涙ながらにそう打ち明けたのだと。

『愛の好きにしいや。帰ってきてもいいよ。』
『わかった。』

彼女は帰らなかった。

『中尾君には申し訳なかった。
 あそこであの子が帰ってたら、
(あなた達の関係は)終わってたと私は思う』
母様はそう言っていた。

彼女からそんな話は一切聞かなかった。
退院後、初めて会った日、彼女に問うた。
『お母さんに電話したよ』
そう言ったとき、ハッとした顔をした。
『なんか聞いた?』
『まあ…うん。』
『そっか』
聞かれちゃったかー、みたいな顔をした。
『なんで帰らんかったの?』
『…それ聞く?』
彼女は、笑っていた。

僕は、その笑顔で気づいた。
この人が運命の人なんだ。
僕達は試されていたんだ。
一緒に乗り越えたんだ。
二人ならどんな難局も乗り越えられる。 

僕はまだその恩を返し切れていない。
もし、彼女が絶望の淵に立ったとしても。
僕も帰らない。
僕も離れない。

いいかい息子たち。
『愛』とは感情じゃない。言葉でもない。
行動なのだ、と。

教えてくれたのは君たちの母だった。

コブシ
花言葉は『友愛』。

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