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子供時代の記憶ギフト

みなさま、こんばんわ。こんにちわ。
いつも、ありがとうございます。

今日は魂の浄化・・・スピリチュアルに明るい方の言うインナーチャイルドを癒すっていうのがこれなのかな?と思い始めたのですが、私がよくやる内観のお話でございます。お付き合いくださいませ。


私は責任感と正義感が強い人だと思います。
時々は自己犠牲の領域に入る時もありました。やっと最近は自己犠牲や疲弊の手前で気付けるようになったようです。
争いは起こさないので人やものごとの理不尽から受ける負の攻撃エネルギーを歯を食いしばって耐えて、別の全体まるくの道で進む忍耐の道を探すこともしばしばありました。
こういった魂の性質ですので浄化を心掛けています。


呼吸を整えながら、内観したり、「私が大自然なら」の大きく俯瞰した視点で自分が傲慢なく正しく進めているかを見つめてみたり。よくやります。

生きていると他者の傲慢や我儘、嫉妬や偏り歪んだ見られ方。時にはマウント取るような抑圧的な人と関わる場合、私自身の負の感情が動く時もあります。そんな時「ああ、悔しく思っているんだなぁ」「悲しいなぁ」「辛いんだなぁ」「反撃したい気持ちがあるんだなぁ」・・・と、忍耐で争いは起こさないけれども、自分に生まれた負の感情も否定しないことにしています。

そして、静寂に内観する時に「確かに理不尽だったけれども、自分の心は何故あの反応だったんだろうか?他の感受もあったのか?」と深く考えていくと自分の過去の経験や最後まで真実の理解をしてもらえなかったトラウマに辿り着く時が多くあります。


私はアダルトチルドレンです。幼少期から「甘えることができない」「自分が我慢をすれば・・・」という子供らしくない感性を持って過ごしてきました。大人の年齢の今となれば、性質と身体年齢が一致してくるので、わざわざ言う事ではなかったのですが、「過去の記憶」というお話をしたいので、少し私事に触れていただきました。


数日前に眠っている時に夢なのか内容は覚えていないのですが、私が三歳くらいの時。一冊の絵だけで文字や物語がない絵本が好きで何度も読んでいた記憶が鮮明に甦り「急になんだろ?」と起きてすぐに検索して見つけて購入しました。
「えんにち」という五十嵐豊子さんの作品(福音館書店)

えんにち 五十嵐豊子さく 福音館書店

お兄ちゃんと妹の二人がえんにちを歩く風景を描写している絵本。
えんにちの屋台などの風景だけがあり、その絵を見て、何回も何回も自分で台詞を頭で作って読んでいた記憶。
甘えるという機能がなかった幼少期の私にもちゃんとに「お祭りやえんにちに行きたい」という憧れはあったんでしょう。あれやってみたい。これが欲しいと子供らしい駄々をこねられる経験は逃してしまいましたが、この絵本が大好きだった事で自分で豊かを想像し創造する練習は出来ていたのかもしれません。
誰かの作った物語は素晴らしく、読めれば、読んで貰えれば自分に吸収されて、それも豊かなことです。子供の私には台詞ない絵本を「当たり前」と捉えて描写から様々な自分の言葉の世界をこの絵本のお蔭様で創造する力を育てて頂けたのだと思います。


「note」のこの空間で、このように観察、思考、想像して、自分をみなさまに発信出来ていることも、この絵本で幼少期に経験して育てて頂いた力や、アダルトチルドレンでずっと周りの大人を観察して自然と立ち回ってきた性質の人生が活かせているのだろうと解釈しています。


これからも何かを学び、求め積み上げるものもあるのでしょう。
ただ、実は自分の中に既にあるが自分で「何てことない」で済ませている表立って使っていなかった才能や能力はきっとあるのだろうとも思い始めています。
考えてみれば、目の前の問題を解決しようと、耐えて耐えて認められなくとも現実動かしてとやってきて、ありのまま正しい評価より嫉妬の評価を受ける事が多かったですが。もうそれを気にせずに自分ですり足でも走っても前に前に進むこと。
終焉前の混沌から更地の新しい時代を創らないと子供たちの未来に繋げられませんね。私の子供時代の記憶がプレゼントをくれました。
さあ。参りましょう。


本日も、お付き合いいただいてありがとうございました。
今後も宜しくお願いいたします。

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