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#1 大阪国際女子マラソンのペースメーカーに首ったけ!?


1.もう一人の日本人ペースメーカー

その女子マラソン選手の走りを初めてみたのは、2020年に開催された第39回大阪国際女子マラソンのテレビ中継がきっかけでした。

前年にMGCが開催され、女子マラソンの東京オリンピック代表が後1人の代表選考となった大阪国際女子マラソンでは、松田 瑞生選手(ダイハツ)が2時間21分47秒の好タイムで優勝しました。

その大阪国際女子マラソンをスタートの時からテレビ観戦していたのですが、見覚えのある選手がペースメーカーをしていることに気づきました。

「あ、新谷仁美選手がペースメーカーなんだ」

現10000mの日本記録保持者の新谷選手がペースメーカーとして走っていたこのマラソン、優勝した松田選手のやる気がすごく、何度も新谷選手が松田選手を抑えるしぐさが印象的でした。

ただ、私が本当に印象的だったのは別のシーンからでした。

5キロほど過ぎたあたりでしょうか?新谷選手がもう一人の日本人のペースメーカーの選手に何か合図を送りました。それまで、もう一人の日本人のペースメーカーの選手は、細かく時計を確認していました。おそらくは、1キロ毎のラップを確認していたのだと思います。

新谷選手から合図を送られたもう一人の日本人のペースメーカーの選手は、新谷選手の合図に気づくと新谷選手と一緒にケニア人のペースメーカーの選手を引き連れ、各ランナーが給水をとりやすいように、道路の中央を走りはじめたのです。各ランナーが給水を無事に取れたことを確認した後、また、各ランナーとともに歩道よりを走り始めました。

この光景をみて、とても感動しました。

2.ペースメーカーの印象が変わった!

今までマラソンのペースメーカーというのは、1キロごとに事前に決められたラップを刻んで走っていればいいだけ、という印象でした。ただ、それも、ペースメーカーによってはラップを正確に刻むことができない選手もいたりと、それまで僕の中でぺ―スメーカーの印象はいいものではありませんでした。

しかし、このマラソンのペースメーカーたちは違いました。新谷選手をはじめもう一人の日本人ペースメーカーも、各ランナーに「いい記録を出してもらいたい」という思いが強く伝わってくる走りをしていました。

12キロすぎで新谷選手がペースメーカーの役割を終えると、今度は、もう一人の日本人ペースメーカーの選手がケニア人のペースメーカーの選手を引き連れて先頭集団のレースを作っていきました。

この日本人ペースメーカーの選手の対応があまりにもカッコよかったんです。ケニア人も含めた各ペースメーカーのリーダーのような感じになり、各ランナーが好記録を出せるようにペースメーカーとしてレースを盛り上げていこう、そういう姿勢が見て取れたのです。

「いつまでも、この日本人ペースメーカーの選手、走ってくれないかな?」といつの間にか僕はレースよりも、その日本人ペースメーカーの選手のことをずっと追いかけていました。

ずっと、この日本人ペースメーカーの選手の走りを観ていたい、そんな不思議な感情で胸がいっぱいな思いで大阪国際女子マラソンを観戦していました。

正直いうと、「いつまでも、この選手の走りをみていたい」なんて思ったことは30年以上マラソンや駅伝を観戦して初めての体験でした。

残念ながら、その日本人ペースメーカーの選手は17キロ地点でお役御免となり、レースからは姿を消しました。(本来は15キロまでのはずだったのが17キロまで走ったようです。)

その日本人ペースメーカーの選手が17キロで終了した時には、テレビはちょうどコマーシャルの時でした。その日本人ペースメーカーの選手の最後の時をテレビで観ることができなかったのは、今でも本当に残念な気持ちです。

3.大阪国際女子マラソンが終わって

でも、その日本人ペースメーカーの選手のことはずっと印象に残りました。色々な男子や女子のマラソンや駅伝は、子どもの頃からテレビで観戦してきましたが、初めて「この選手のことを本気で応援したいな」と、その日本人ペースメーカーの選手の走りをみて思いました。

それまで、彼女のことを全く知りませんでした。

でも、彼女のペースメーカーとしての走りをみて、一発で彼女のファンになっちゃったんです(笑)。今後も、彼女のマラソン人生を応援したくなったのです。

小さいころからお正月は、ニューイヤー駅伝と箱根駅伝の観戦はワンセットで過ごしましたし、マラソンはテレビ中継があるときはよく観ていました。

しかし、あくまでも、マラソンや駅伝は私にとってテレビで観るもの、というイメージでした。

月刊陸上競技や陸上競技マガジンを毎回定期購入してまで読むほどではありませんし、陸上競技のトラックの観戦もほとんどしたことがありません。

もちろん、私自身は陸上競技経験者でもありません。

そして、2010年に行政書士として独立・開業してから、日々の仕事が忙しく生活に余裕のない10年を過ごしていたこともあり、マラソンを観るという習慣がなくなっていました。

ですから有名な選手は知っていても、「この選手のことを本気で応援したい」と思った選手は、選手の母親と直接知りあう機会があった息子さん以外はいませんでした。(その息子さんの応援に京都の都大路の駅伝の応援には東京から駆けつけたことはあります。)

そんな中で観た2020年の大阪国際女子マラソン。

大阪国際女子マラソンのレース終了後、このもう一人の日本人ペースメーカーの選手のことを知りたく、そして、応援したくて、各SNSで、その日本人ペースメーカーの選手の名前を検索しました。

すると、Twitterですぐに見つけることができました。その日本人ペースメーカーの選手の過去のTwitterのタイムラインをみると、よく投稿していることがわかりました。

そこで、早速、その日本人ペースメーカーの選手のフォローをして、大阪国際女子マラソンに出場する記事を引用リツィートして、ペースメーカーの走りに感動したことを書きました。

4.もう一人の日本人ペースメーカーの正体は?

その日本人ペースメーカーの選手は、豊田自動織機(シャイニーブルー)の萩原歩美(愛称:萩ちゃん)選手です。

これが、萩原歩美選手を初めて知った(そして私が萩原選手のファンになった)思い出です。

後日、「大阪国際女子マラソンのぺースメーカーの走りをみて、萩原選手のファンになりました。」と何人ものファンの方が萩原選手のTwitterにリプライしていました。

そのリプライを観るたびに「やはり、あの大阪国際女子マラソンの萩ちゃんのペースメーカーの走りは、神だったんだ(笑)」と密かに満足しています。

追記
萩原歩美選手は、毎週金曜日20時~【萩ちゃん駅伝部】というクラブハウスのルームを開催しています。
クラブハウスに登録している方であればどなたでも視聴可能になります。
競技も種目も違う数名のトップアスリートの生の声を聴くことができるので、とてもお勧めです。

クラブハウス内で【萩ちゃん駅伝部】で検索してみてくださいね。

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