ともすけ

自分の感情と価値観を整理するアプリ 25歳なりました。 長崎→熊本→千葉→福岡

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最近の記事

自分だけ信じろ

僕は自分が大好きです。 なぜなら、「心が豊か」だからです。 心が豊かになれば、本当に楽になります。 この話の前提に、まず自分自身の身体に何不自由なく、地に足を付けて前にも後ろにも進むことが出来る事。これらに僕は幸せを感じています。 幼い頃、周りと比較する競争の中で生きてきました。それも無意識でその競争心を生み出していました。テストの成績、マラソン大会、身長、容姿。挙げるとキリがありませんが、僕たちは幼い頃から競争社会に身を置いていました。 そこから人は、嫉妬や劣等感

    • たかが筋トレ。されど筋トレ。

      皆さんお久しぶりです。 夏も終わりに近づき、私の大好きな秋に迫ってきました。嬉しい限りです。 さて、時間があるので今ふと思った事を書きたいと思います。 私の趣味というか日課というか、、、、 ハマっているものがあります。 それは「筋トレ」です。 なぜ筋トレに、ハマったのかをここで書いていこうかなと思います。 私が筋トレに出会ったのは、大学2年時の夏です。今でも鮮明に覚えています。当時所属していたサッカー部が活動休止になり3ヶ月近くの、部活動ができない時期がありました

      • 人間関係の断捨離

        こんばんは。 お久しぶりの更新になってしまいましたが、ゆるーーーーく頭の中を整理していきたいなと思い、今キーボードをカタカタ動かしています。 いきなりなんですけども、題名見てお分かり頂ける通り、なんじゃこの腹黒と思ったと思います(笑) しかしながら、この題名である 「人間関係の断捨離」 一見、残酷なように見えるかもしれましんが、私自身は大事なんじゃないかなあと思います。 LINE、Instagram。特に今の若い世代の方々は皆んな、利用しているアプリではないかなと思

        • 刺激的な変化が欲しいお年頃

          サッカーばかりやっていた僕の人生。 振り返ると、挑戦の母数が少なかったなと思う。だから、就活を通して考えることが楽しかったし、さまざまな出会い価値観に触れて充実していた。 小学校から大学まで、学校とサッカーの繰り返し。変わるのは場所と人のみ。このベースは変わらなかった。その中心にあったのは、自分のやりたいこと。それがサッカーだけだった。 正直、昔はサッカーから離れた自分を想像するのが怖かった。 しかし、今は違う。将来の自分を想像するのが楽しみで仕方ない。勿論、大変なこ

        自分だけ信じろ

          「別れと出会い」

          早いもので大学卒業まで残り数日になりました。 私は昔から春が来るとなんだかソワソワするんです。新しい環境、「別れと出会い」が重なる季節だからかもしれません。 出会いと別れではなく、なぜ「別れと出会い」なのか。同じ言葉を入れ替えただけなんですが、順番が違えど意味は変わります。学生なら誰もが経験していることであろう、卒業式。送る側からいつの間にか自分たちが送られる側になっていますよね。 その時に感じることは、「別れって寂しいな〜」「もう卒業か」などネガティブな感情が大きいと

          「別れと出会い」

          成長したいと思う22歳

          結論から言うと、私は常日頃から成長したいと考えています。 私自身これまで、成長の過程で生きる楽しさ、生き甲斐、存在価値を感じていました。 そして、人間がなぜ成長をしたがるのか自分なりに考えました。 人は生まれてから何かに触れることで、それを感覚的に学んで覚える術を身につけ、保育園や小学校などで集団生活を送ることにより、隣の人には負けたく無いという、競争心が芽生えはじめました。 私もそのようなマインドで生きてきました。運動会のかけっこ競走、テストの点数、身長など、あげる

          成長したいと思う22歳

          22歳vsイヤイヤ期(3歳)

          帰省初日から3歳の甥っ子と、毎日格闘している日々を送っている22歳です。1年ぶりに会う甥っ子は、身長も体重も以前と比べて物凄く大きくなっていました。 ただ、それ以上に成長している部分がありました。それは「イヤイヤ期」真っ最中であるという事です。私自身、このイヤイヤ期を体験する事は初めてです。姉から聞いていたのですが、これがもう本当に大変で、、、 働くよりストレス溜まるかもしれないと感じましたね。 具体的にどんな行動をするのか。まず自分で何もかもやりたいと言い出します。たと

          22歳vsイヤイヤ期(3歳)

          やっぱり実家は暖かい。

          1年ぶりに実家に帰って来ました。片道7時間も掛かるのですが、そんな移動時間も帰ってから何するかずっと考えていました。まるでディズニーランドに行く前日のワクワク感と表現すれば、伝わるでしょうか(笑)そんな時間を移動中考えていました。 空港に到着すると姉が迎えに来てくれていたので、片手にスタバの新作「抹茶のフラペチーノ」を持って、車に乗りました。久しぶりに再開した家族一人目は長女。7つも年が離れており、気付けば息子が二人も生まれており、時の流れの早さを感じました。帰路での会話は

          やっぱり実家は暖かい。

          幼馴染とは??

          今さっき、幼馴染とドライブ兼食事をしてきました。メンバーは大学生の私、地元の大学に通う1人と、社会人の1人の計3人です。今日はその3人でドライブをしてきました。 私にとってこの2人は、これまでもこれからも一生関わっていくだろうと思う存在です。そんな存在の人と出会う、または今までの関係をより深くできる相手は現れるのか分かりませんが、そんな2人を私は「親友」と呼んでいます。 わたしには運良く、熊本、千葉と沢山の友人・知り合いと出会い、よく幼馴染の話をする機会があります。そんな

          幼馴染とは??

          notoを書き始めて気付いたこと

          私は去年、noteを始めました。しかし、全く更新していないのが現状でした。文章を書くことに対して、自分の意思が違う方向に向いていたからです。 noteよりも部活、就活、アルバイト、学業に没頭してブログを書こうという気持ちはなかったというのが本音です。今となっては後悔しています。毎日必ず、自分の気持ちと向き合ってその時の感情を、記録するべきだったなと今更思います。 最近になり更新頻度も増えてきました。しかし、文章を書くということは、私自身の体験や経験が必要であると感じます。

          notoを書き始めて気付いたこと

          卒部しました。

          写真は同期。卒部できたのはマネージャー含め8人のみ。 11月29日。卒部式があった。卒部式とは、最終学年である私達四年生が送られる大事な式である。 今現在、卒部式が終了してすぐ書いている。この卒部式の想いが冷めないうちに、そしてこの想いを忘れないためにも、このnoteに綴っていきたいと思う。 11月29日。日が出てない朝早く久しぶりにグランドに顔を出した。引退してからというもの、グランドには一切行かなかった。だからこそ、何だか不思議な感覚だった。久しぶりに会う同期・後輩

          卒部しました。

          帰る場所がある幸せ。

          皆さんは家を出たのは何歳ですか?? 実家を離れたのはいつですか?? 僕は15歳の時に家を離れ、寮生活を始めました。家を離れたことがある人なら理解して頂けると思いますが、もちろん滅茶苦茶寂しい気持ちになります。これまで家族と過ごして何不自由なく誰にも気を遣わずに、住める環境があるというのは家以外ないと思います。帰ったら「お帰り」と出迎えてくれる環境があることは、本当に幸せだと思います。 今現在、僕は22歳です。親元を離れて7年目です。それでも尚、家に帰ることは僕にとっての活

          帰る場所がある幸せ。

          祖母の死が教えてくれた事。

          私にとって祖母の存在は、物凄く大きく大切な存在であった。幼い頃から姉二人よりも末っ子である私を、一番可愛がってくれてた思う。私が小さい頃から姉二人は、よく祖母と言い合いをしていた。当時姉の反抗期を目の前にまだ幼かった私は、その喧嘩する家族を見るのが辛かった。だからこそ小さい自分なりに親と祖母とは何があっても喧嘩をしないと決めた。 祖母の体調が悪くなり始めたのは中学生頃だったと思う。学校が終わり家に帰ると、祖母が一人留守番をしていた。私はサッカーの練習があったのでほぼ毎日家に

          祖母の死が教えてくれた事。

          兄弟みたいな人。

          私には二人の姉がいる。小さい時から、男兄弟の家族が羨ましいなと思っていた。理由は単純に、家の中での遊び相手が欲しかったからだ。ゲームやカードゲーム、鬼ごっこや隠れんぼなど、外で遊んでくれる相手も友達しかいなかった。しかし、サッカー漬けの毎日になるとそんな事なんか忘れていた。 そんな想いを思い出させてくれたのが、大学で出会った「城臺映伍」という存在だった。(以後、映伍君。写真左) 私の大学のサッカー部は、ほとんどが遠方からの部員で構成されており、寮に入寮しなくてはならない。

          兄弟みたいな人。

          苦しくて辛いサッカー人生でした。

          11月15日に、小学校1年生から続けてきたサッカーを引退した。16年間もの長いようで短いサッカー人生でした。 引退した正直な感想。 「やっと終わった。やっと解放された。」 そんな気持ちだった。なんか意外だった。もう少し寂しい気持ちだったり、悔しく思うのかなって思ってたけど全くその逆で、引退して少し嬉しい自分がいる。 多分、自分の中で「サッカー」というものが重荷になっていたのだと少なからず思った。 僕がサッカーを始めたきっかけは父親の存在である。元々、父親はサッカーを

          苦しくて辛いサッカー人生でした。

          従兄弟とのお寿司

          10月4日、日曜日。 いつの日かぶりに福岡の従兄弟と会った。場所は六本木のお寿司屋さん。 従兄弟は3つ上で、身内の中で唯一の男だったから小さい時から、お兄ちゃん的な存在だった。僕は姉が2人居て、男兄弟が羨ましく思っていた。   ゲームを教えてくれたり、運転して遊びにきてくれたり、雑談をしてくれたり、ウンチクを話してくれたり。色々と自分よりも経験して、僕に何かを伝えてくれた。 その従兄弟は、福岡の偏差値が高い高校に進学しその後、イギリスの大学に進学した。中学生の時から塾

          従兄弟とのお寿司