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祖母の死が教えてくれた事。

私にとって祖母の存在は、物凄く大きく大切な存在であった。幼い頃から姉二人よりも末っ子である私を、一番可愛がってくれてた思う。私が小さい頃から姉二人は、よく祖母と言い合いをしていた。当時姉の反抗期を目の前にまだ幼かった私は、その喧嘩する家族を見るのが辛かった。だからこそ小さい自分なりに親と祖母とは何があっても喧嘩をしないと決めた。

祖母の体調が悪くなり始めたのは中学生頃だったと思う。学校が終わり家に帰ると、祖母が一人留守番をしていた。私はサッカーの練習があったのでほぼ毎日家には夜遅く帰っていた。

祖母「大ちゃん、今日も練習ね?」

と悲しそうに聞いてくる祖母の顔と口調は、今にも鮮明に覚えてるが、その頃の私は気付いていなかったと思う。当時の私はサッカーに明け暮れていたので、祖母の体調などはあまり心配していなかった。

しかし、誰よりもサッカーを応援してくれていたのは、間違いなく祖母である。小さい時から得点を決めたり、その試合で活躍することが出来たらご褒美に好きなものを買ってくれていた。試合に一度も見にきたことはなかったが、両親が録画した試合をテレビでみて、私の活躍を誰よりも喜んでいた。「試合を見に行けなくてごめんね」といつも謝っていた。

そして高校進学と同時に熊本での生活が始まった。帰省は年に2回。夏と冬だけだった。帰るたびに嬉しそうな笑顔で「おかえり」と言ってくれる事が本当に嬉しかった。なるべく家族で過ごす時間を多く取れるように、当時は幼馴染の遊びの誘いも断っていた。遊んでも晩御飯は家族と食べていた。

高校も卒業し、千葉の大学に進学することを決め家族との時間はもっと減った。そして家を出る当日。いつも通り、祖母は玄関までお見送りに来てくれた。それも足が悪かったので、手すりの補助を使ってまで来てくれた。

祖母「頑張ってね。いってらっしゃい。」

いつも通りの声かけで、私もいってきますだけ伝えその場を後にした。確か祖母の目には、涙が浮かんでいたような気がする。私が見えなくなるまでいつも見送ってくれていた。

千葉での大学生活がスタートし、夏休みになった。夏休みはOFFが何日間か設けられ、遠方から来た部員はほとんどが帰省する。しかし私は違った。大学で結果を出せていない自分は、家族に顔向けできないと思い帰省をしないことに決めた。親からは帰ってきてもいいと言われたが、私の心と気持ちは揺るがなかった。

夏がすぎ、あっという間に秋になった。

2017年10月8日(私自身大学一年時)。この日は千葉県一部リーグでの大切な一戦だった。国際武道大学との負けられない試合。アウェイ戦であり、バスで1時間半かけて到着し控室に案内されたすぐのこと。

私の携帯電話が鳴った。名前を見ると「お父さん」の文字が表示されていた。控室でチームメイトが騒いでる中、携帯を握りしめ静まりかえった廊下にでて電話をとった。試合前の電話であった為、私のコンディションなどを気になってかけてきたのだろうと私は思っていた。

いつもの父親のテンションではないことを、第一声を聞いて感じた。それでもいつも通りの会話から始まった。

父「お疲れ様。今大丈夫か?」

俺「大丈夫だよ!」

父「今日はどこと試合だっけ?」

俺「武大と試合!今さっき会場着いたよ!」

父「そっか。出たら頑張りいよ。」

この会話の後、予期せぬ言葉が父の口から伝えられた。

父「大。落ち着いて聞いてな。実はさっき祖母ちゃんが、祖母ちゃんが、亡くなった。

俺「・・・・・・・」

私は言葉が何も出なかった。頭の中も真っ白になった。試合前であったのもあり「そっか。わかった。」だけ父に伝え、試合が終わったらまた連絡するとLINEを入れ、その日のゲームに集中することにした。

このことを監督・コーチ・スタッフ・部員の誰にも伝えずに自分の中に留めようと決め、試合が始まった。ベンチスタートだった為、試合よりも頭の中は祖母との思い出でいっぱいだった。味方がゴールを決めて皆んなが喜んでいる中、私は心から喜ぶ事ができないくらい複雑な気持ちだった。

この日は出場機会はなく、そのまま試合は終わった。おそらく試合に出ていてもこのメンタルでは、何もできなっただろうと思い少しホッとしている自分がいた。

控室に戻り母親にLINEを入れ、明日帰ってくるよう言われた。解散後、監督・コーチに実は試合前に祖母が亡くなったという事、そして明日実家に帰らさせて頂きますと伝え、バスの中で飛行機の片道搭乗券を購入。普通、帰省前の飛行機の予約というのは、ものすごくワクワクした気持ちでチケットを購入するのだが、この日だけは何も考える事ができなかった。

翌日、朝一の飛行機で実家に帰った。空港には姉二人が迎えにきてくれており、いつもと変わらないテンションだった。車の中では祖母の死について、話してくれた。家につき皆が黒の喪服を身にまとっていた。母から「急でびっくりしたよね」と言われ、私も頷くしかなかった。すぐ様、お葬式会場に到着し多くの人が集まっていた。半年ぶりに再会した祖母は、いつもと変わらない姿で横になっていた。もう祖母と話すことも起きてどこかにいくことも出来ないと、その時に現実だと重く受け止めた。

父親の挨拶があり、生まれて初めて涙を流している父の姿に、感情的に心の底から私は涙した。

「夏に帰ってあげて祖母と話したかった。元気な姿を見せたかった。」

この後悔が今でも残っている。天国にいった祖母はいつまでも私を見守ってくれてるでしょう。悲しんでいてもこの先は長く、辛いことは増えてくる。祖母の分まで生きてやる。この想いを胸に刻み込んだ。

そしてこの経験と後悔から、大切な人とは会える時に会うべきだなと思うようになった。どんなに遠くても、時間がかかっても、お金が高くても、会いたい人とは会うようにすると決めた。未来のことなんて分からないし、過去のことは変えられない。変えられるのは「今」という存在だけ。その今をどのように過ごすか、誰と会うかで将来が変わる。だからこそ、これまで家族とあまり時間を共に過ごせてなかったので、帰省の際は今まで以上に家族との時間を大切にしたいと思う。

私たちもこの世に生まれてきた以上、いつか必ず命は尽きる。そして見送る立場から見送られる立場になる。これは必然的にそうなっているこの世の真理でもある。最後の瞬間に「いい人生だったな」と思えるような人生にしたい。

何が起こるか分からない人生。もっともっと考えて、もっともっと勉強して、もっともっと楽しんで、もっともっと人を愛して生きていきたいと思う。一秒一秒を大切に、後悔のない人生を選択していきたい。

少し長くなりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。

※写真は帰省した日に撮影したもの。この写真をみて思い出すたびに追懐する自分がいる。