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兄弟みたいな人。

私には二人の姉がいる。小さい時から、男兄弟の家族が羨ましいなと思っていた。理由は単純に、家の中での遊び相手が欲しかったからだ。ゲームやカードゲーム、鬼ごっこや隠れんぼなど、外で遊んでくれる相手も友達しかいなかった。しかし、サッカー漬けの毎日になるとそんな事なんか忘れていた。

そんな想いを思い出させてくれたのが、大学で出会った「城臺映伍」という存在だった。(以後、映伍君。写真左)

私の大学のサッカー部は、ほとんどが遠方からの部員で構成されており、寮に入寮しなくてはならない。そして謎の部屋割りが決まっており、一年生と三年生の二人部屋という決まりがあった。勿論、初対面で二人での生活がスタートした。正直言って、この生活は辛いものがあった。違う二人の価値観である生活スタイルや、先輩に気を遣うのは当たり前の世界。同部屋の部屋割りも決まっていた為、一年間は部屋替えはない。

私自身、高校も寮生活をしており入寮する前は、慣れてるから大丈夫だろうと思っていたがそんな自分が甘かった。そんな中、よく私の部屋に来る先輩がいた。

その先輩が「映伍君」だった。一つ上の学年で、出身が私と同じ長崎県である。どことなく親近感が湧く存在であり、動物のカバに似ている風貌である。長崎弁の癖がすごく、長崎県出身の私でも聞き取れない程だった。その理由として、長崎でも南の方の出身であり田舎育ちで私と似た環境で育っていた。

そんな映伍くんは、入寮初日から絡んできてくれた。私としては、知り合いがいない中、一人心許せる存在であったと今は思う。入寮する前もLINEでやりとりをしてくれたり、荷物を預かるから俺名義で送っていいよと荷物の受け取りも、別の部屋でありながらやってくれた。

寮部屋に遊びに来てくれては、一緒にドラマ鑑賞をしたり雑談などしてよく絡んでくれた。そんな先輩は長崎の創成館高校の10番でありキャプテンだった。私は高校生活を熊本で過ごしており、自分のことで精一杯だったので長崎県のサッカー情報などは耳に届いていなかった。運よくトップチームに身を置く事ができ、映伍君と同じカテゴリーになり、一緒にプレーする事もできた。

ポジションはフォワードで点取屋のポジション。初見のプレー印象は「野性」。身体能力は化物級、基本技術も人並み以上にあったので高校の時の立ち位置も理解できた。身体もゴリゴリの筋肉質であり、食生活は適当。夜食でポテトチップス、カップラーメン、アイスなどを食べているにも関わらず体脂肪率は驚異の一桁。私は筋トレをしているので食生活に気をつけながら生活していたが、そんな自分が馬鹿馬鹿しくなるくらい良い身体をしていた。

こんな人が同じ長崎県にいたんだなと少なからず驚いたが、中学校の時に対戦していた事が後々発覚した。その時は、私のチームがボコボコにしていたようだ。長崎県での共通の知り合いも沢山いた。

サッカー経験者なら理解してもらえると思うが、「意外とあの時対戦していんだなあと」過去を振り返ると、当時出会っていたという事がある。まさにそれだった。

そんな映伍君と過ごす内に、映伍君の性格が段々分かってきた。愛想がよく場を盛り上げてくれるムードメーカー。それにプラスして弄られキャラであり、先輩後輩問わずスタッフにも好かれていたように思う。そんな先輩が進入部員である私の誕生日に焼肉を御馳走してくれた。私の誕生日は4月なので、出会って一ヶ月弱で連れて行ってくれたのだ。自分が逆の立場だったら後輩を焼肉に連れていくのかなと、当時感激したのを覚えている。

同じ長崎県出身だから連れて行ってくれたのか。それともただ単にお祝いしてくれたのかどちらかは分からないが、本当に嬉しかった。

二年生になる春先、部屋替えがあるとの情報が回ってきた。これも自分達で好き勝手に決める事はできず、完全に運任せ。神様に願った結果、なんと映伍君と同部屋になったのだ。周りからは、お前らずるいぞなどと中傷の言葉を浴びる事もあったが、上層部に何も仕組んだり同部屋にしてくれとも頼んで無いので完全にホワイト。

ここから二人で過ごす時間が、とてつもなく増える。一年生の時とは違い、いい意味で気を遣わなくていい先輩。同部屋生活はとても楽しかった。ゲームを一緒にしてワイワイ盛り上がったり、無駄に課金させて無駄金を使わせたり、恋愛話をしてお互い結婚できるのか心配したり、夜中にワールドカップを応援して朝からのフィジカルで倒れそうになったり、と様々な思い出がある。

朝起きたらおはようから始まり、その後朝ご飯を一緒に食べ、部活も二人で行く。学年は違えど、一緒に行動を共にしていた。

部活での悩み、アルバイトでの不満など何でも話し合える中にいつの間にかなっていた。しかし、同部屋としての不満も少なからずあった。それは、トイレを流さない事、部屋をすぐ汚す事、布団でダニを育てる事(笑)

挙げ始めたらキリがなくなるのでこの辺で止めるが、こんな不満を持って二年間同部屋で過ごした。映伍君が4年生になるとほとんどの4年生は一人部屋になれる。だが、映伍君はそのまま二人部屋で良いと言ってくれた。嬉しかったなとつくづく思う。今現在、私は一人部屋になりプライバシーが守られ伸び伸びと暮らせているが、喋り相手がいない寮生活はどことなく寂しい。その日あった他愛も無い事を話せる相手がいるというのは、生きる上で大事な要素なのかもしれない。そんな心を許せる先輩の存在は私にとって、とてつもなく大切な存在だったと、この文章を書いてる今も思う。

小さかった頃思っていた、男兄弟が欲しいと思っていた気持ちがこの寮生活を通して、思い出させてくれた。今現在も連絡はとり合っており、お互いの近況報告もしている。弟のように可愛がってくれた映伍君に感謝の気持ちを込めてありがとうと伝えたいです。この文章を見てくれるかは分からないけど、これから先も付き合っていきたい人。

長崎に帰った際は美味しいものでも御馳走してくれるだろうと、期待を込めて飛行機に搭乗したいと思う。

少し長くなったが、暇つぶしに読んでくれたらと思う。

以上。

カバがハットトリックを決め、寿司を奢った時の写真✌️