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苦しくて辛いサッカー人生でした。


11月15日に、小学校1年生から続けてきたサッカーを引退した。16年間もの長いようで短いサッカー人生でした。




引退した正直な感想。

「やっと終わった。やっと解放された。」

そんな気持ちだった。なんか意外だった。もう少し寂しい気持ちだったり、悔しく思うのかなって思ってたけど全くその逆で、引退して少し嬉しい自分がいる。

多分、自分の中で「サッカー」というものが重荷になっていたのだと少なからず思った。

僕がサッカーを始めたきっかけは父親の存在である。元々、父親はサッカーをやっていてサッカー好きだ。その影響もあり、物心がつく頃にはサッカーボールを触っていた。そして地元のクラブチームにも通い始めて、サッカーが本当に大好きだった。

昼休みも毎日時間ギリギリまでサッカーをやって、放課後もクラブチームに練習に行く。中学生になっても、この生活は変わらず益々サッカーが好きになった。でもこの頃から、少しずつサッカーの難しさを感じ始めていた。

中学の頃のクラブでの立ち位置は同学年でキャプテンで10番。一つ上の学年に混ざりスタメンを勝ち取り、先輩たちとプレーしていた。尊敬する先輩方とのプレーにいつものプレーを出せずにいる自分が居て、とてももどかしかった。失敗したら怒られる、ミスしたらどうしよう、と考えるように消極的なプレーが増えていた。

同学年でプレーすると伸び伸びやれ、心に余裕がありプレーの幅も広がっていた。そこで、自分は自分より上手い選手とプレーすると自信を失うことに気づいた。それと同時にメンタルによってプレーが左右される弱い自分が居るという事も理解した。

ユースに入っても皆んな上手くて、正直試合に絡めるか不安だった。その予想は的中。2年まで試合に絡むことはほぼなかった。1年の半分は股関節の怪我でリハビリだったのもあり、ほとんどの時間をピッチ外で過ごした。2年になってもスタメンの試合は4試合。残りの試合は途中出場か、ベンチで終わり。当時は悔しすぎて、寮の部屋で1人涙を流す時もあった。試合を見にきてくれる親を思うと、悔しさと申し訳なさで耐えきれなかった。

そんなこんなで3年生になり、監督も変わった。そこでスタメンを勝ち取りやっと自分のプレーができると思った矢先、第五中側骨を骨折。手術するという大怪我で全国大会に関わるクラブユースの出場を逃し、ビデオ撮影だった。なぜ自分はこんなにもついていないのか。何のために自分はサッカーをしているのか分からなくなった。

怪我から復帰したのは怪我してから3ヶ月。スタメンで出場しても、以前のキレはなく途中交代が当たり前になっていた。そんなこんなで、進路選択の時期になりプロを諦めきれなかった僕は大学でもサッカーする事を決めた。九州は必ずでてレベルの高い関東でサッカーをすると親に伝えると、親は僕の意見を尊重してくれて関東の大学に練習会に行き、今いる城西国際大学に決めた。


そこからというものユースでの試合はユース3年間で1番楽しい時期を送った。自分自身のプレーが戻ってきたからだ。中学生の同期とプレーしているような感覚。心に余裕もあり、ピッチではボールを受けるのが楽しくて仕方なかった。だが、結果的に3年間で納得できた試合は2.3試合のみ。こんなにも思い通りにいかないものなのか。将来が不安で怖く、誰にも相談できなかった。

大学に入ると1年から運良くトップチームに帯同し、試合にも起用してくれた。レベルの高い先輩達に迷惑かけないプレーを心がける事が優先され、自分自身を表現することは出来なかった。千葉県選抜にも選ばれ、関東の選手達を肌で感じた1年だった。2年になり、監督が変わりBチームに落ち半年間Bで奮闘。同学年と後輩が多いBでのプレーは伸び伸びでき、「あ〜サッカーやってるなあ〜」て感覚だった。試合にも毎試合出場し、楽しかったのを覚えてる矢先の出来事だった。

2年生の夏前サッカー環境が無くなった。詳しくは言わないが、サッカーが3ヶ月出来なかった。その間毎日、トレーニングを欠かさず行った。3ヶ月後トップチームに戻り、またトップでの練習が始まった。そこから間もない時だった。脳震盪で半年間の試合禁止令がでた。心と頭の中が真っ白になった。また怪我をしたのだ。なんで自分だけこんなに怪我でサッカーが出来ないのか。正直この年で自分のサッカーは終わったんだなと思った。

3年になり結果的にベンチに入る事も1試合もなかった。この頃から就職活動を始める。サッカーよりも就活と筋トレにフォーカスする。サッカーより他の事をやってる方が心が満たされるからだ。部活は苦痛でしかなかった。試合にも絡めない。思うようなプレーができない。それならば個人でやって、結果が見えてくる就活と筋トレをやった方が楽しかった。特に筋トレに関しては、本当に初めてよかったと今でも思っている。

そんなこんなで最終学年の4年になる。もちろん試合には出れなかった。これが現実かと受け入れ毎日の練習に取り組んだ。監督の思い通りにプレーしないと出れない厳しい世界だなと改めて思った。どんなにコンディションが良くても全く使われない日々。大学でスタメンで出れない選手がプロに行けるわけないと改めて感じた。正直大学サッカーというのはサッカー以外が主な活動だと思う。サッカーを通して違う場面で活動していく。これが大学サッカーの本質。高校生以下にも伝えたい事である。高校まではサッカーだけに絞って力を注げる。大学は違う、様々な活動が伴っていく。学生達だけで部を運営しなければならない。サッカーだけでは無いことも理解して欲しい。


そして、あっという間に最終戦へ。引退試合で3年ぶりにスタメン。思うように身体が動かず、これが自分の限界なんだなと試合中に頭の中でこの思想がグルグルと回っていた。終わった後は達成感よりも、やっと終わった。やっとサッカーから解放される。そんな気持ちだった。

あんなにも大好きだったサッカーがこんなにも苦しいものになるなんて、正直思わなかった。年々、身体と心のギャップが開いていき思うようにプレーできない自分が嫌いだった。年々下手になる自分を見ることが、悔しかった。

いつからこんな感じになったのかは分からないが、後悔はない。サッカーを通して出会った大切な仲間に出会えて本当に良かった。一生の財産だと思う。おそらくこれを見てくれる人もサッカーを通して出会った人達だと思う。

これからはサッカーから離れて、新しい夢に向かって突き進んでいきたい。新しい事にチャレンジする事は恐怖が付き物だが、それを超えた先に必ず報われると信じてこれまで以上に、アクションを起こしていきたい。

これまで支えてくれた家族に感謝すると共に、出会ってくれた人達にありがとうという言葉を送りたいです。

長くなったけど、読んでくれた方ありがとうございました。