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『この出来事があったから』いまの自分がいる。嫌なものは嫌でよいし、変わらない!と思っている  あなたにこそ読んでみてほしい。

見つけて頂きありがとうございます。
はじめまして、ともと申します。

各SNS

現在▶︎
秋田県を拠点にモデル・タレント活動・ラジオ出演・
ソーシャルビジネスとして子どものコミュニケーション教室
運営チームなどさせて頂いています。

その経験を経て今、
わたしが感じていることそして
わたしが1番伝えたいことは
『人生は自分次第で変えられる』ことです。

こちらのnoteを読んで頂いてる方の中には、

「そんな事あるわけない」
「いやいや、ともちゃんだからでしょう?」
「自分には無理だよ」

と思っている方もいると思います。

モデル・タレントと聞くと
華やかでずっと幸せに過ごしてきた人という
イメージがあると思います。
でも実は…私は人生で3回本気で
"自殺を考え行動"をした過去があります。

ただそれについてはこれからお伝えするのですが

今のわたしは幸せです。
そして、恵まれています。
何より運が良いです。

沢山の素敵な出逢い・別れを体験させて頂く事ができて、今の私の考えがうまれました。

なので過去のわたしと同じ

  • 『自分に自信が持てない』

  • 『今辛くてしんどい』

  • 『ずっと辛いんじゃないかと考えてしまう』

  • 『変わりたいと思っている』

  • 『かなえたい目標がある』

  • 『あいされたい』

と考えたことがあるなら、
ぜひ読んで頂きたいです。


ただ、
今回お話する出来事がなければ
そこには気がつけなかったでしょうし、
今の考えや捉え方は、生まれていないと
自信を持っていえます。
だからこそ感謝する気持ちが強かったり、
朝目覚めたら息が吸えたり、手足が動く事

もしかしたら。当たり前のような日常。

それを幸せに感じるのかもしれません。

あなたが自分の人生をよりよいものにする
きっかけを求めているのなら、
こちらのnoteをぜひ読んでみてください。
ほんのささいなきっかけで、
人生が大きく好転することがあります。
そのための第一歩であれば、
これほど嬉しいことはありません。

声バージョンを聴きたいといくつかお声を頂いたので声バージョンです。


母の実家【祖父=じっちゃ 祖母=ばっちゃ】
父の実家【祖父=じじ 祖母=ばば】と呼んでいます。

幼少期


小さなころ私の両親は
仕事で家を空けることが多かった為、
私は母の実家に預けられる事が多く

おじいちゃん・おばあちゃん子として育ちました

ばっちゃは日本舞踊の先生をしていたので、
近所の方や私にも教えたり縫い物をしていました

じっちゃは、私を自転車の後ろのかごに
乗せて川に連れていき、一緒にどじょうを網で
採ったり、川から帰ると一緒になつめの木に
登ったり、畑仕事の手伝いをしたりと

アクティブな幼少期を過ごしていました。

小学校にあがると
私の小学校では、掃除が終わってから
感想を言うのが決まりだったのですが、

ある日、身体障のがいのある女の子が、
感想を話す際に、名前を飛ばされていた事で
思わず、私は頭の中にあった言葉を口に出します

『なんでとばすの?』

その出来事がきっかけで、
次の日から悪夢と思える人生の始まりでした。

わたしが挨拶しても、声は次第に帰ってこず、

最終的に シカト=無視

という状態を経験する事になったのです。

その時に、女の子をかばったから自分が
標的になったのだろうと。今は感じます。

自分がその場にいるのに
返事が返ってこないことが怖かった。

ですが・・・
この時はまだ始まりにしか
過ぎないことをわたしは知りませんでした。

小学校5年生になり、嫌がらせは悪化します。

・男の子達に悪口言われる。
・机に落書き・ばい菌・呪い扱い
【きもい・うざい・しね・ぶりっこ】と噂
・面と向かって言われること
・その噂を聞いて離れてしまう人も
・信じていた友人もぶりっこと陰口
・私の状態は人間不信
・『生きていてごめんなさい』と考えはじめる
・不登校になり、人生で1回目"自殺したい"となる

私は常に不調と闘うことになります。
腹痛・頭痛・吐き気・いつ吐いて戻してしまうかわからない恐怖心。それらにより、疲れてしまい今すぐに屋根から飛び降りたいと思っていました

屋根から飛び降りようとしたとき。母が
『まさがおめとびおりねーよな?』
(まさか貴方飛び降りないよね?)

声を掛けられ泣き崩れました。そんな私を見て
母が教えてくれたことは。

・親戚の5才の男の子が癌の難病になった事
・相手のお母さんと手紙でやり取りしている事
・副作用で顔がどんどんが変わっていること。
・生きたくても生きられない人がいること。

『死んだらだめだ』強く感じました。

不登校になりましたが、保健室登校から登校に
戻り無事卒業できた時は安心しました。

笑えなくなり笑顔が苦手な頃


学生時代

・中学校はマンモス校でした。
・入学式の時に全校生徒前で名前を呼ばれる

・学年で『キモい・うざい・しね・ぶりっこ』
必ず言われるようになり、自分に自信は無くなる
・部活動でも同じような状態

身長は、140cmなかったので目立っていたの
かもしれません。廊下を歩くと三年生の先輩方から声をかけて頂き、私が手を振ると

『かわいいー!』

そんな風に言われても、怯えていたんです。
ちびと言われていたのもあるかもしれません。

『いつ、また。いじめがスタートするのか』

そればかり考えていました。

クラスでは嫌がらせや、仲間はずれもありましたが、守ってくれるメンバーもいました。
いじめの原因は『天然』と言われることでした。

「天然の意味は辞書で調べたらいいじゃん」

調べましたが、逆に人工物あるの?

『みんな天然じゃない?』

と発言したら、"天然ぶってる"  "ぶりっこ"
とレッテルを貼られたり、友達なりたかった
という理由でいじめを受ける事もあったんです。

同級生には、天然治すクリニックしてあげると
声をかけてくれる女の子もいましたが
更にぶりっことして、扱いが酷くなりました。
自分の考えや意見を伝えられなかったので、
そこも合わさったんだろうと今は感じます。
部活は運動部にも入っていましたが、
ペアを作る際は余るのでそれが特に嫌でした。

『私の友達をとらないで』
という手紙を頂くこともあったのですが、
私はぶりっ子していなくても、声がアニメ声なのか高くなってしまう。それにより

"声は低く話すようにしたい"

と話すようにとなり、今までより低い声が出る
ようになりましたが、声量がなくなってしまい、
自分の声もコンプレックスになりました。

二度目

思春期というのは、個人的にいちばん学びがあり
試練がある年に感じますし、いじめは難しい。
何故なら片方が"いじめ"と認識したなら、それは
いじめになるだろうけれど。そうじゃない事も。

今でも高校時代はいじめなのか何だったのか、
わらないけれど、やはり、ぶりっこと決めつけ
られたり、勝手にゲームして私が相手に購買で
物を買うことなっていたり、いじめのドラマの
主人公役になったり、色々ありました。

ハッキリ私が言えない性格が原因

今ならそう感じます。


人生で2度目の自殺を考えたのは高2でした。

電車通学で、さらに人目を気にしてしまうピークにもなっていた私は、わざと電車を毎回乗らず。
帰宅して母にガミガミ叱られながら車で送って
頂いていたんです。

・嫌がらせが酷くなっていた事
・範囲はほぼ全校。
・母にも叱られる事
それにより辛くなっていました。

ある日、『本当にもうやだ!死にたい!』と

母の車から降りようと車のドアを開こうとしたら母は車のアクセルを全開にしてこう言いました。

「一緒に死のう」

母はそう言うと車はスピードをどんどん加速していったのを見て、母が死ぬのは嫌だと謝りました

目の前にある車のギリギリになった時に

『キキッ』

急ブレーキをし車は停車しました。

しばらくして親戚の5才の男の子の訃報を知り
"命を大事にしなきゃ"  そう考えてみるものの、
何のために生きているのか解りませんでした。

5.警備員

  • 上京して警備会社に入社し新人社員研修受講

  • 到着して携帯電話は没収され朝は社歌で起床

  • そのまま体育館ランニングや厳しかったです笑

  • 研修後は同期の何人かが故郷に戻っていた事

  • 仲良い方と思っていた友人からだまされる

  • 初給料を下ろした直後スリに財布とられる

  • 『天然ぶっている』『キモイ』『ぶりっ子』『男に媚び売ってる』と噂

  • 非通知の無言電話が夜中に何度切ってもくる

  • ストーカーに合う

  • 目覚まし時計に使用の為、電源は落とせない

  • だんだん恐怖で私は疲れてきた

  • この頃スカウトもされていたので、いたずら電話なのかな?と不安になる

  • 笑顔の代わりに涙が出てくるようなる

  • 健康診断で腎盂腎炎・自律神経失調症・うつと診断される

  • 精神科と大学病院を薦められた事

  • 病気は悪化すると人工透析になる説明を受ける

  • 帰宅後は薬や大学病院の紹介書もビリビリに破り捨てるくらい病んでた

  • 『もう十分生きた』自殺を決意

だんだん吐き気・頭痛・耳鳴り・貧血が悪化し
対策しなければと考えていたのですが、
突然駅で倒れ、救急車で運ばれてしまいます。
救急隊員の方に会社に代わりに連絡して頂き、
点滴を終えてから出勤したことを覚えています。
会社が休みの日に、高熱が出て体を起こそうと
しても起き上がれない私は、秋田の母に助けを
求めて電話をします。母と一時帰省する事になりました。
秋田に久しぶりに帰り、懐かしさを感じたことで

『まだこんな人間らしさが残っていたんだ』
そう安心しました。
翌日、母の実家に向かうことになります。

私の家では、
母のご両親をじっちゃ=おじいちゃん

ばっちゃ=おばあちゃん と呼んでいます。

車で母の実家に着きましたが、
"笑えない"  "人間不信"  でかっこわるい自分を
出したくない気持ち・具合が悪いので車で横に
なっていた時の事です。車にじっちゃが迎えに
きてくれたので私は嫌々だけど降りることに。

実家には親戚のお兄さんの子供がいましたが、
その赤ちゃんを愛でるより "壊したい"という
感情がある自分が嫌で、更に落ち込みました。

母とばっちゃは畑にいるので家には3人だけ。
母 『何でも口に入れてしまうからよく見てて』
ケガさせないように、しなきゃと見ていました。

じっちゃは、赤ちゃんにお菓子を渡して笑って
私は『傷つくからだめ』とじっちゃに伝えても 止めない事で激怒するも、じっちゃは、ケラケラ
母は大激怒している私を見てかなり驚いてました

私は、帰る時に『元気でね。またね』と必ず
伝えていたのですが、この日は言えませんでし
母にじっちゃにまたねは?と言われても返さない
 "すぐ会えるよ!"
維持を張ってしまう事・沸点が低い・笑えない・色々な感情が溢れて、帰りの車の中でなきました。
次に会ったら言おうと決めて、帰宅したとき
電話がなりました。

『げんき?』

埼玉の芸能の友達から電話でした。
元気がないのがバレないようにする自分と
前の自分のギャップを感じてしまい。苦しくなり

"しっかり辞めて人生もやめよう"と決意し
死に方・自殺サイト・死の準備をし始めます。

鬱になったことは自分が弱いからと。責めました

いままで当たり前のようにできていた生活が
できないんです。けれど鬱は弱いからではなく
真面目で生ている証なんだと今は伝えてあげたい

偶然のできごと

会社を辞めると伝えてからは、毎晩カラオケに

『この時間が永遠に続くといいのに』
そう思いつつ、楽しみは長く続かない。
この時期に奇妙なことがあったんです。
・4:44をよくみる。(起床・時計をみる)
・オールして時計を見ると4:44
・『ちいちゃんなかないで』の本の中で、
主人公の女の子のお母さんが亡くなるシーンで。
主人公のちいちゃんは小学校にいて怪しい空を見たという文章があるんですが、
その一節を読んだときに思い描いた空を
・退職日のオール明けの朝にみたこと。
・退職の挨拶日11:00頃腹痛がしたこと。

挨拶周りをしていると、私の携帯電話が震える。
携帯電話を開くと母から20件以上の不在着信
その時に一緒に回ってくれた上司は

『大変な事あっただろうけど、
これからきっとうまいいくよ。
困った事があったら直ぐに連絡してね』

そして横浜駅で降ろしてもらった所で電話が
なったので電話に出ると母からでした。

『・・・・』

『もしもし?もしもし?お母さん?なしたの?』

『・・・・ぐす。。。』

『???もしもし?』

『じっちゃが・・・』

『じっちゃ?』

『ねぐなった(亡くなった)』

『わがった。かえる。こまちで帰る』

そう返したものの、その瞬間頭が真っ白になり
どうしたらいいのかわからず、上司に電話し  

私は新幹線の切符を購入して地元へ一旦帰る事に

大きな出来事。

どうやって戻ったのかは、覚えていませんが
じっちゃの姿をみた瞬間から涙が出てきました。

『ごめんなさい』そう何度も謝っていました。

私が死にたいと思ったからだ。

そういえば自殺を考えた2回もそうだった。
私は死にたいと思ったら、周りが死に関わる。
そう考え方が変わってきました。

じっちゃは声を掛けたらすぐに起きて

『いぐきたな~(よくきたね)』

そう返事してくれそうなくらい
穏やかにねむっているようでした。

じっちゃの横で話をしているとうたた寝してしまいました。そうして無事にじっちゃの葬儀が終了

わたしは、関東に荷物を置きっぱなしだったので

関東の親戚たちが車で葬儀に来ていたことで、
私も一緒に関東に帰ることになったのです。
車の中ではゆっくりと会話をしました。
その日の澄んだ空がキラキラ輝いていて美しい空
私は生涯忘れることはないとおもいます。

泊まって話をするうちに本心が溢れてきました。
・本当は自殺を考えていたこと
・スカウトされ、撮影をしたこと
・なんの為に生きているかわからないこと

私『なんのために生きているかわからない』

親戚『何のためにかは知るために生きてる』

そうして夜な夜な話しているうちに、

・自分の生まれた感情が活かせる。
・自殺やいじめがあった方に伝えられる
・『今だけじゃない』この思いを伝えたい。
・1mmでいいから、こころに響くようになりたい
本心に気づき、頑張りたいんだと思いました。
わたしは芸能を頑張ろうと決意し、高校生の時
メディアの影響力のパワーを感じたこともあり、『この為に私の経験はあったのかも』と考えが、少しずつ変化して光が見えてきました。

その日の夜、

夢の中にじっちゃが会いにきてくれました。

・これから起こる出来事やどうなっていくか説明
・きっと夢の事は忘れてしまうだろうという説明
・ばっちゃの事よろしぐたのむなと言われた

ばっちゃは、いつ亡くなるかわからないと言われていましたが、結果的に長生きしてくれました。

朝になり、目が覚めた瞬間に

じっちゃはもういない

そう考えるとまた涙があふれました。

それまでいわれた事を覚えていたのですが・・・
お手洗いに行った瞬間に忘れてしまいました。

しかし【ばっちゃの事よろしく頼む】という言葉
だけはしっかり今でも頭の中に残っています。

親戚のみんなに伝えました。
会社の寮のアパートに戻り片付けをして関東から秋田県に帰りました。

前の日

じっちゃは自分が死ぬことをわかっていたのか、お米の農家の種まきは時間が掛かるのですが、

倒れる前日種まきの数がぴったり

という事があったんです。

退職して、退職金を頂いている期間は
農業を手伝うことになりました。
そうして母の実家で過ごすことになったのですが

じっちゃの最後の農業仕事を今度は叔父と私が一緒に田植えをしたのも…
なんだか今となっては面白いと感じています。

農業の朝はとにかく早いのですが、
5:00 起床
7:00 田植え開始
12:00 ばっちゃが用意してくれたご飯
暗くなるまで作業
20:00までに就寝

朝型生活に変化していったらあることが

景色が美しいと感じるようになり、赤ちゃんはなんて可愛いんだという感情が戻ってきました。

今回の事で『自分が自殺に向けて行動し始めると周りが死にかかわる』ということを学びました。たまたまかもしれませんが、

・私は本気で変わりたい
・嫌な思い出の対象の人物達を許したい

と考えるようになり、ひたすら本を読みました。

私は読書が好きで当時は図書館に通い
11:00~16:00まで集中して本を読んでいたのですが、これまで読むのを避けていた自己啓発の本を
ここで初めて読み始めます。
結果、今も好きなジャンルの1つにもなりました。

かわりたい為にしたこと

・紙になぜゆるせないのかを書く
・自分が恵まれていることを紙に書きだす
・紙に私は〇〇をゆるします。ありがとう。
と声に出してかく
・鏡の法則の本を読んでから、無理矢理でもいい。笑うこと。感謝するようになりました。

書いているとどんどん涙があふれて止まらなくなりましたが、すっきりして、どんどん許せるようになっていったんです。

芸能界への決意

マネージャーさんに連絡をして、
本気で芸能界をしたいと伝えて
秋田県と関東を行き来するようになりました。

・沢山のオーディションを受けて落ちる
・撮影は夜行バスで通う
・3:00開始の撮影は開始まで近くのお店で待機
・あの俳優さんはこうして売れた等いろんな
お話・経験をさせて頂く。

ですが・・・
今度は人を信用しすぎた結果
だまされてしまいます。
・87万振込詐欺
・高校時代のいじめをした方に、
『あの時ごめん』と謝られ信じて、
相談されお金貸してと言われ貸してしまった事
(当然返ってきませんでした)
・夜行バスで乗った方が視える方で私がいじめを受けてきたのはいじめの霊がいるからと
15万だまし取られそうになる等

15万円の件は母にバレ凄く叱られて、貯金は
振り込め詐欺により貯金が無い事で
大激怒されました。

なので本編とは関係ありませんがみなさんも
振り込め詐欺等には気をつけましょう。

この頃にはもう考え方が変わっていたので、
勉強代と切り替えて猛反省しました。

 コンビニでアルバイトをしていましたが、
ケーキを販売したりが苦手でした。
ですが一緒に勤務していた方に

『自信持て。販売スキルある』

と言われたことによりどんどん販売できるように

コンビニを辞める時は
常連のお客様からケーキや花束など
沢山プレゼントを頂いたことで

『応援してよかった』

そんな人になろうと決意して上京しました。

上京してから

日雇いアルバイトに参加しながらオーディションをしていましたが、どんどん貯金は減っていた時


マネージャーさんから事務所に呼び出されます。


「アイドルをしてみない?」そう言われました。

内容は実際に家電量販店に勤務しながら
週2でアイドル活動をするという内容でした。
ただ、実際に家電量販店で活動をしているので、身バレを防ぐためにサングラスをして活動すること。新宿で家電量販店で勤務をしてから残業が終わったら、急いで着替えて

池袋のスタジオまで行き終電までレッスン

朝は赤坂のスタジオに早く集合してレッスン

お休みが取れた日は、ライブ活動
という日でした。

・最初に携帯電話キャンペーンガールをする
・契約を頼まれるようになる。
・女性の先輩に嫌がらせを受ける。
・また、ぶりっ子と言われる

ということがありました。携帯電話はあまり
人気がない携帯電話だったので、ここで全国1位になれたら『自分の自信になる』と感じて2か月後
全国2位になりました。その1か月後は全国1位になり、それからずっと店舗1位を辞めるまでキープできたことにより、自分の考え方を変えると人生が変わるんだと実感したことを覚えています。

アイドル時代と芸能活動

家電量販店で働きながら活動するアイドルは、
江頭2:50さんが任命してくれました。

私は販売が楽しくなりアイドルを辞めて本格的に販売に行こうとしたら、芸能の友人に止められたことによって販売は辞めて、本格的に芸能活動を開始しました。

BSスカパーものくら〜べ 研究員役


それから月日が流れて、私は今秋田県を拠点に活動しています。きっかけは、

2019年11月に数年ぶりに秋田県に帰りました。

2020年2月に関東に戻り家に入ろうとしたところ・・・『あれ?鍵がない』そうなんです。

秋田の自宅に家の鍵と3才から大事にしている
ぬいぐるみを置いてきてしまったのです。
それによりまた秋田に戻りました。

じっちゃの命日は4月なので命日を迎えてから
関東に戻る予定でいたんですが、緊急事態宣言により秋田県から出られなくなりました。

秋田県では芸能活動は難しいかな?

そう感じていましたが、

2021年11月頃に秋田県のテレビ局から
お声け頂いたり、偶然立ち寄った整体院から
ご縁がスタートして、
企業さんと出会わせて頂いたり、
沢山のご縁を頂きながら現在は秋田県を拠点に
モデル・タレント等として活動中です。

私は経験は財産だと感じます。
人とのご縁のおかげで現在は
・秋田県のCM3本出演中
・ラジオ出演
・SNS講師・MCなどさせて頂いています。


Instagramでは秋田県のスポット紹介をしています。私の経験が同じような方が少しでも

『いまだけじゃない』

と届く日がくるように。
そんな想いで活動させて頂いています。

いじめ、引きこもりの予防としてソーシャルビジネス活動をさせて頂いています。

その1つが子供のコミュニケーション教室
自我が芽生えはじめる時期に、楽しみながら学べる機会があれば変わる気がしました。

去年は小学校でコミュニケーション教室をさせて頂き、そのうちの1つの小学校で私が6年生の時の
担任の先生に再会したりもしました。

何かのきっかけになれたら幸いです。

今ならはっきり自信をもって伝えられます。

考えを変えたいと思った瞬間
人は変わっている
考えが変われば人生は変わる

自分が恵まれていることに気が付けた瞬間から、アンテナは幸せをキャッチしはじめます。

だから、大丈夫。空がずっと暗いままではないように人と空はおなじで、きっと晴れる。

今でも私は自分に自信は持てません。ですが、
応援して頂いている方の言葉を大事にして信じて自信にしているので、自信がない場合も大丈夫。

一緒に歩みましょう。

私は、この過去があったからこそ
今は幸せですし、これらの出来事がなければ
出会えなかったことも沢山あるので、
今は嫌がらせも経験してよかった

そう考えています。万が一過去に戻れてやり直せたとしても、私は同じ選択をしたり、間違いもするだろうと思います。
過去があるから今があると感じているんです。
すぐには許せない気持ちも
苦しさもあると思います。

ただ今、やりたいことが無くて
苦しんでいる場合でも。その苦しみ
しんどさは無駄にはならない

同じような経験をした人を

今度は

あなた自身が言葉をかけてあげられる番に

なるかもしれない。

生きている限り、可能性は無限大。

過去があるから未来があるし
未来は誰のものでもない。
どんなに辛くても1番の味方はいる。
それは、あなたじしん。
だから、ひとりじゃない。
いくらでも、自分の気持ち次第で変わる。

だから、応援しています。


このnoteを最後まで読んで頂いたあなたへ。
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素敵な日々でありますように。

TOMO


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