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ショートストーリー『すべての痛みが消える時』

    《すべての痛みが消える時》


さァ、明日も素晴らしい日になるゾ…と男はほぼいつもの時間に眠りについた。そして、どれくらいの時間が経った頃だろうか、

「ぅおおおおーーーーー!!」

突然の足の痛みで男は叫びながら目を覚ました。

こむら返りだ。すぐにわかった。右足のふくらはぎで激痛が爆発している。そう、爆発なのだ。今までだって寝ている時にそのように足がつり、痛い思いをした経験はある。それだってものすごく痛かった。しかし何とか足の親指を引っぱって痛みを止めることが出来ていた。

しかし今回は少し違った。痛過ぎて体が硬直し、足の親指まで手が届かないのだ。そのせいもあってかいつもより痛みが長引いた。

(この痛み…一体いつまで続くんだ…)

気が遠くなりそうだった。そのまま気絶出来たらどんなにいいだろうと思った。


しかしいつしか男はふたたびの眠りについていた。気絶したわけではないだろうが、男にあの激痛を乗り越えてやっと眠れたなどというよろこびなどはない。それを認識するのは翌朝いつもの時間にアラームに起こされた時だった。

起きてすぐ思い出した。あの地獄の責めのような痛みを。右足のふくらはぎに微妙な違和感が残っている。また起こったらどうしよう…。不安に思いながら軽く揉んだ。幸いそのあとそれは起こらなかった。

誰にでもあるだろうが、その男にも仕事に出る前の朝のルーティンの動きというものがあった。

そのひとつに軽いストレッチがある。右足ふくらはぎは少し意識した。しかしとくに痛みはなくアキレス腱伸ばしも無事に終え、男はホッとした。

しかし、そんなことより何よりも、体の状態のとても大きな変化に男は気づいて驚いた。

長年体を使って来ると、いずれどこかにガタが来て痛みを感じることもある。年をとれば首・肩・背中などが毎朝、あるいは常に痛くなる…とはよく聞く話だ。

男も多分に漏れず、ずいぶん前からその症状にはウンザリしていた。無理をして来たつもりはないが、まァこれも仕方のないことか、あとはコレとどうつきあっていくかだナと、思いは前向きだった。

毎朝晩のストレッチで、今日は体のどこが調子良いのか悪いのかをチェックすることもずっと昔から習慣づいている。

それでその時初めて男は気づいた。

(何てこった!! ない! ないぞ! いつもの首・肩・背中のあの痛みが。なんで? どーして…?)

心当たりはただひとつ。ゆうべのこむら返りの激痛だ。痛みが長引いて苦しんで、そしていつしかその痛みが去り、男は眠りについていた。そして朝になってこれだ。

まさかあの足の激痛が消える時、首・肩・背中の痛みまで持って行ってくれたのか!? そんなことって果たしてあるのだろうか。しかしそれ以外に考えられない。そう信じるより他にない。

(ありがとう! こむら返り)

男はあの激痛に感謝した。


さて、人間とは実に欲張りなものである。こむら返りの激痛に首・肩・背中の痛みを持って行ってもらいハッピーなはずの男であったが、それで健康体になったわけではない。

男にはまだ少々困っていることがあった。それは片頭痛とアレルギー性鼻炎、そして気管支喘息で、それらにも長年苦しめられて来た。まァもちろん薬とそれなりの努力で和らげて、今までそれらともうまくつき合って来たのだが、やはりあんなことがあると男もふと考えてしまうのだ。

片頭痛と鼻炎と喘息、ああそれからついでに飛蚊症と緑内障による視野の狭まり。それらがすべて消えてなくなるためには、一体どれほどの痛みを代償にすればいいのだろう…と。

あの時のこむら返り程度の激痛では、とてもそれだけの苦痛を持って行ってくれはしないだろう。相当な痛みに耐えなければそんな願いは叶いそうにない。いや、そもそも一つの大きな痛みが消える時、他の小さな痛みも一緒に消えるなんて、そんな保証などどこにもないのだ。

有り得ないことを望んだところでどうなるものでもない。今まで通りそれらがさらに悪化しないように努めながら日々を過ごして行けばいいんだ…と、男は仕事の帰り道、いつもの横断歩道を渡り始めた。その時・・・

ドーン!! 

という大きな音と共に、男の体が空中高く舞い飛んだ。ノーブレーキの車は少し先の電柱に激突して止まった。

空中で男は思っていた。

(やった! これで片頭痛も鼻炎も喘息も、すべての苦痛が消えてなくなるゾ)

本当にそうだった。男が地面に落下して妙な姿勢で横たわった時、男はもういかなる痛みも感じていなかった。そう、痛みも他の何もかも、すべて消え失せていたのだった。


                  …End


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