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【短編小説】ホッペトラツユ

幻想的で童話チックな短編です。

ホッペトラツユはクチマリ湖に生息するが、霧が湖面に深くかかった明け方にしか見ることができない。霧の濃い明け方、ようやく空が白みはじめたころ、それまでどこで鳴りを潜めていたのか実に不思議なのだが一斉に水面に現れ、小さな口を鯉のように(といっても鯉よりはるかに小さい)パクパクさせて霧を食む。口内は真珠色で身体は目が覚めるような瑠璃色だからそれだけでも美しいのだが、身体が水面から出ると体表が蒸発して、チョウの鱗粉のように極細粒の砂銀が霧の中で輝く。空が白むほどに鱗粉は輝きを増し、やがて一瞬金色に変わって消える。

霧の明け方にしか砂銀を見ることができないのは、霧がなければホッペトラツユは鱗粉を散らすことなく蒸発してしまい、雨ならば雨粒に打たれて泡となってしまうからだ。明け方というのは、日の光の下では生きられないにも関わらず朝にあこがれるからに違いない。彼らにだって「あこがれ」という感情はあると思うよ。

ホッペトラツユが現れる条件の朝霧を事前に予測することはとても難しいから、この町の人でさえ砂銀を見たことがある人はほとんどいない。本気で見ようと思ったら何日も何週間も、いや、何か月も湖畔で夜を明かさなければならない。でも町の人はだれも貧しくそんな暇をもてあましている人はいない。だから砂銀を実際に見たことがあるのは湖で漁を営むぼくたち一家を含む数人にすぎなかった。

この光景を一度でも見た者は生涯幸せに暮らせるだろうと言われているけれど、ぼくらの生活は町の人たちよりも厳しいくらいだった。父さんは毎日何度も漁に出る。一度に捕れる魚は少ないうえどれも小ぶりだし、食べられる貝も少ない。母さんは毎日魚介を町の市場やレストランに売りに行き、それから天日干しの干物をつくる。漁具の修繕もしないといけないし、地区の奉仕活動にも参加しないといけない。ぼくも毎朝空が白む前に起きて、朝漁に同行する。そのため学校から帰って家の手伝いをして宿題をすませて夕飯を食べるともう眠い。友達と遊んでいる暇はない。でも朝漁の手伝いは欠かさない。母さんも朝いちばんの漁だけはいつも一緒だ。それというのもホッペトラツユが見たいからだ。湖畔の生活が苦しくても、だれも湖漁生活をやめて町で暮らそうと言い出さないのはそのためだった。

でもやっぱりもう少し楽に暮らしたい。そこでぼくは考えた。もっと大きな町では、一か月働かなくても困らない暇な大金持ちが大勢いるらしい。だったらそうした人たちを招待して砂銀を見るツアーを企画したらどうだろう。朝霧が現れるまで湖畔のコテージに住んでもらい、父さんの捕った新鮮な魚料理を提供する。もちろん宿泊代も見合った額をいただく、正当な報酬だよ。お金儲けのためだけじゃない。こんな美しいものをぼくたちだけが独占しているのはもったいないじゃないか。評判が評判を呼び、お金持ちがどんどん集まってくるかもしれない。砂銀を見た人は喜びぼくたちも町も潤う。よくないことはなにもない。

「でも一つ大きな問題がある」と父さんは言った。「クチマリ湖畔にコテージは一軒もない」

「建てるんだよ、これから」

最初乗り気だった父さんはその出費を考えると唸ってしまったが、町に相談してみると多少補助金をもらえることがわかった。それが決め手となって、最後まで浮かない顔だった母さんを二人で説き伏せた。小さいけれど、二組が宿泊できる二階建てのコテージさ。完成するとさっそく大きな町の人たちが見る情報誌の片隅に広告を載せてもらい、何件かの問い合わせのあとに、待望の宿泊希望の連絡が来た。

思い描いていたとおりの夫婦だった。経営していた会社を息子に譲ったとかで、隠居した今では世界中を旅行して回っている。運転手付きの黒い大きな車でやってきた二人は、まずはコテージを見たいと言った。そうくるだろうとぼくが思ったのは、ぼくらの住居を見るなり老婦人は立ちすくみ、老紳士は顔をしかめたからだ。でも真新しいコテージを見ると安堵の表情を浮かべた。やっぱり建てて正解だったと思ったよ。一方想像に反していたことは、二人が暇をもてあましているわけではないことだった。一か月も宿泊するわけにはいかないと言うので、父さんは電話越しに説明したことと同じことを繰り返した。

「長年ここで漁師をしているわたしにも、いつ砂銀が見られるか予測はできません。明日かもしれないし一か月後かもしれない。もしかするともっと先かもしれません」

二人はなにやらびっしり書き込まれたスケジュールノートを繰りながら相談していたが、やがて老紳士は一週間だけ滞在するときっぱりと言い、そして二人の「提案」が始まった。コテージのテラスには父手作りの木椅子を、湖を正面にして用意していた。毎朝、この椅子から湖を見ようというのだ。老夫婦はその椅子にはペイズリー柄のクッションが必要だし揺り椅子にした方がいいと考え、買い替えることを提案した。費用は持つというので反対する理由はなかった。またベッドのマットレスが硬すぎるので腰痛になると考え、羽毛布団でないのも風邪を引く要因だとした。映画観賞用のスクリーンも必要だし、運動器具がないのは大問題だ。室内履きはモカシンスリッパに限る(それらすべての提案は二人の滞在前日までに秘書が実現させてみせた)。それからふと老婦人がもの思わしげに尋ねた。

「朝の紅茶はアールグレイかしら?」

「いいえ、奥様。レモン水をご用意します。目も覚めるし食欲増進作用もありますよ」

老婦人は今そのレモン水を飲んだというように目をぱちくりし、老紳士は口をもぐもぐさせた。二人は相談の結果、母さんの手料理は次の機会に譲ることにし(次がいつかは明言しなかった)、滞在中はなんとかというレストランのシェフを町に滞在させることを提案した。こうしてすべての段取りが決まると、ぼくは二人を湖に案内した。

「大きくもないが小さくもない」湖畔に立った老紳士は顎髭をさすりながら言った。

「はい、大きくも小さくもありません」

「とりわけ美しいというわけでもない」

「はい、とりわけ美しいわけでもありません」

「でも、その姿を変えるときがある」

「はい、変えるときがあります」

「楽しみだ。ねえ、おまえ」

「でも」とぼくはくぎを刺す。「一週間以内に見るのは難しいと思います。これはぼくの経験ですが、ホッペトラツユは見たい会いたいと思えば思うほど現れてくれないんです」

老夫婦は笑っていた。

「きみは、成功するためにもっとも大切なことはなんだと思う?」

「努力ですか?」

 紳士は首を振った。

「情熱ですか?」

 紳士はまた首を振った。

「才能?」

「努力、情熱、才能。どれを欠いても成功できないだろう。でも本当に大切なものが底の底にある。それはね、運だ」

ぼくはがっかりした。だって運なんて自分ではどうしようもないじゃないか。

「残念ながらそれが現実なんだよ、少年。この世の中、素晴らしい才能にあふれ、努力を惜しまず情熱を燃やす人は星の数ほどいる。それなのに成功者はほんの一握り。不思議だとは思わないかね。わたしの家は貧しくてね、だから努力は人一倍した。でも同じように人一倍努力をした人はたくさんいたし、わたしよりも素晴らしい才能をもっている人もたくさんいた。それなのにわたしがいちばん成功した。今思い返すとあのときもこのときもと数々の幸運に助けられてきたことがわかる。わたしは自分の強運を恐ろしいほど知っている。だからきっと一週間以内にホッペトラツユなるものを見ることができるに違いないと思っているのだよ。もっとも、見られなくても運に見放されたとは思わない。これはきみの経験に負けないわたしの経験なのだがね、いつかどこかで幸運は二倍になって返ってくるのだからね」

老夫婦の滞在中、コテージには様々な人がやってきた。旅行代理店の副社長は次の旅行スケジュールの打ち合わせにほとんど毎日来たし、宝石商やマッサージ師、専属の医者、経済新聞の記者、それから四重奏楽団まで来た。老夫婦はぼくたち家族や近くの住人たちを招いてくれ、小さなコンサートが開かれた。後にも先にもこんな辺鄙な湖畔でプロの音楽家による弦楽四重奏が奏でられたのはこのとききりだ。

残りの滞在日数が一日となっても朝霧は出なかったけれど、二人に落胆の様子はなかった。少し苛立っているように見えたのは、砂銀が見られないからではなくて、なにもない湖畔の生活に飽きてしまって、早く次の旅行に行きたかったからだ。

最終日の七日目の明け方、霧が出た。申し分のない濃さだ。テラスに駆け付けると、老夫婦は揺り椅子のなかでアールグレイを飲んでいたのだが、カンテラの明かりに照らされた顔は笑みを浮かべ、ぼくを見下ろしていた。正直なところ、その笑みにぼくはぞっとした。確かに老紳士はなにかに守られているか憑かれているか呪われているかしているのかもしれないと思った。すぐ近くの桟橋に案内すると、父さんと母さんはすでに準備を終えていて、この日のために購入した新品の三人乗りボートに二人を慎重に乗せ、ぼくが二人の間に座ってオールを握った。父さんと母さんも湖漁用のボートに乗り込み、ぼくたちを先導する。エンジンはかけない。かけてもホッペトラツユが逃げるわけではないが、雰囲気を楽しんでもらうためだ。抜かりない父さんは、宣伝用に使う写真を撮るためにカメラを首にぶら下げている。霧の濃さからいって、今回の砂銀には大いに期待できそうだった。

前を行く母さんが振り返って湖面を指さしたが、ぼくも気づいていた。湖面が青味がかってきたのだ。瑠璃色はどんどん濃さを増し、ホッペトラツユの大群が水面に現れた。真珠色に輝く口を湖面から出して霧を食み、水面に潜るときに露わになった背の部分からサラサラと鱗粉が舞う。その美しさを言葉にしたところで正確に伝えることはできない。砂銀が一瞬金色に変わり消えてしまうまで、ぼくは見とれていた。

「霧が晴れてしまったぞ」

そう言われて、老夫婦をボートに乗せていたことを思い出した。

「ええ、もう終わりです」

「終わり? なにも始まっていないじゃないか」

ぼくは眉間にしわを寄せたが、それは老紳士も同じだった。

「つまり、きみは先ほどの霧のことを砂銀と呼んでいるのかね?」

老人の言いたいことがわからなかった。

「情報誌の宣伝文句によると、この世のものとも思えない美しさということだったが、今までの靄がそれだと言うのかね?」

「今回はあまり立派な砂銀ではなかったようね」と老婦人が夫を(それともぼくを)慰めるように言った。

「いえ、今回ほどすばらしい砂銀は見たことがないほどですよ」

「なんと!」

それきり二人は黙ってしまい、ぼくもなんと言えばいいかわからなかった。まさか今の光景が二人には見えなかったとでもいうのだろうか。小半時間は続いていたと思ったそれは、美しさのあまりぼくのなかの時が止まってしまっていたからで、実際はほんの一瞬のことだったために二人は見落としてしまった、とでもいうのだろうか。

二人は明らかに憤慨していた。二人の手を取ってボートから降ろす際も、ブランケットやらアールグレイの入った魔法瓶やらをコテージに運び入れる際も、お礼の一言もなかった。両親にこのことを伝えると、当然二人とも驚いた。というのも、長年早朝の湖に出ている二人ですら、この日ほどすばらしい砂銀は滅多にお目にかかれないものだったのだ。

家の台所では都会のシェフが老夫婦のための朝食を準備している最中だったが、コテージからの直通電話によって急遽献立が追加され、そのため母も参戦することになった。というのも、最後の朝食なのでぼくたち一家と一緒に朝食をとることを夫婦が所望したからだ。ぼくは少し腹が立った。苦情を言うなら紳士を気取らずはっきり言えばいいじゃないか。しかし断るわけにいかず、ぼくたちはコテージのダイニングテーブルを囲って、少し遅めの食事をとることになった。

老夫婦は機嫌をすっかり直しているようで、にこやかに席に座っていた。きっとぼくに大人げない態度を見せたことを後悔したのだろう。町の名士としての体面を気にしたに違いなかった。

「きっとあなたがたはわたしたちの審美眼を疑っていらっしゃることでしょうな」と老紳士は目元に笑みを浮かべながら言った。
「これでもわたしは世界中の美しいものを見てきました。美術品の収集家でもあります。いつかM市に行くことがあれば、わたしの名のついた美術館に立ち寄っていただきたい」
そして白身魚のムニエルをおいしそうに食べた。
「言いたくはないですが、あなた方のためにも言わないわけにはいかないのです。残念ながら、情報誌の宣伝文句は誇大広告と言わざるを得ない。今後はあのような広告は出すべきではありませんな。いずれ訴えられてもおかしくありません」

「嘘なんか載せてません!」ぼくは思わず言った。

紳士は優し気な笑みを浮かべて頷いた。

「そうだろうね。でもきみは知らないのだよ、たとえばプラネ山麓のバリリー湖、冬のコッタロ湖の美しさ。今思い出せるだけでも、今朝の靄よりも美しい湖の名前を十は挙げられる」

「失礼ですけど」と老婦人が慰めるように言った。「あなたがたはこの町から出たことがきっとないのでしょうね?」

悔しかったけれどそのとおりだ。

「この世界にはね、少年、もっともっと美しいものがたくさんあるんだよ」

見たことがないのだから比較できないぼくらに、言い返す余地はなかった。

「あなたたちに騙すつもりがなかったことはよくわかっています。それに今はあなたたちに感謝しているのです。本当ですよ。今朝は正直なところ腹が立った。なにせ大切な一週間を無駄にしてしまったのですからな。でもすぐに気づいたんですよ、わたしたちがどれほど恵まれているかということに。どれほど素晴らしいものを見、食べ、経験してきたかということに。その点をあらためて気づかせてくれたのだから、今は感謝の気持ちしかありません」

「あなた」

「ん? ああ」

しかし老紳士は悪びれる様子もなく、ワインの匂いをかぎ、さも満ち足りた笑みを浮かべた。そして二人は自分たちの人生を称えながら、それはつまり同時にぼくたちの人生を見下しながら、湖畔を去っていった。宿泊費は契約どおり全額支払われ、買い替えられた揺り椅子やマットレス、運動器具などはすべて、ティーカップ用のスプーン一つ忘れることなく秘書たちが回収していった。



都会でのことはあまり思い出したくないから、簡単に話すことにする。その後ぼくはよく勉強して、希望どおり奨学金を得ることができ、都会の学校に進学した。経営学を学び、なかなかよい成績で卒業し、大きな会社に就職することができた。出世したいと思った。裕福になりたかった。湖畔の漁師のような貧しい生活はしたくなかった。

あの頃を思い返すと、ぼくはいつもなにかにイライラしていた。特に、時間がいくらあっても足りないことに焦りを感じていた。仕事はもっとしたいのに身体は一つしかない。眠らなくても頭が冴えたままでいられないかと真剣に考えたりもした。ほかの社員にぼくは恐れられた。足を引っ張る人間に対して容赦なかったからだ。しかしそんなぼく自身が、担当案件を抱え込みすぎたせいで大きなミスを犯してしまい、降格させられ離れ小島に配属された。

だから友人に共同出資の話をもちかけられたとき二つ返事で承知した。社員五人でスタートしたベンチャーだったけれど、年々業績を伸ばして三年後には社員が三十人になった。さらに三年後には六十人になった。美しい婚約者もできた。しかし好事魔多しとはよくいったもので、ぼくの知らないところで共同出資の二人の友人が大手企業との合併に合意して、二人は重役になり、ぼくはなんの肩書もない平社員になった。それだけではない。ぼくの婚約者がそのうちの一人と結婚してしまったのだ。友人たちにも婚約者にも言い分はあっただろう。ぼくのやり方や言動に不満を募らせていたようだからね。でもあんまりな仕打ちじゃないか。結局お互いを利用していただけの関係だったのだ、婚約者さえもね。

でも完全にノックアウトさせられたのが、同時期に届いた父の死の知らせだった。漁中の事故で、湖でおぼれ死んだ。もしぼくが跡を継ぎ、二人で漁に出ていたらこんなことにはならなかっただろう。残された母は、そんなぼくをかばってか、父は幸せな人生を送ったと言った。少し早くはあったけれど、あなたから仕送りが届くたびに、もういつ死んでも悔いはないとアヤメ酒を飲んで笑っていたものね、と泣きながら笑った。

愕然とする思いだった。両親のような貧しい暮らし(とはいえその頃にはかなりの仕送りをしていたから昔ほどには貧しくなかったけれど)をしたくないばかりに寝る間を惜しんで働いていた自分が、果たして絶頂期であった瞬間、例えば昇進が決まった瞬間、パーティ会場で表彰された瞬間、婚約をした瞬間に、ああこれで死んでも悔いはない、などと思えただろうか。

ところで、父の遺品を整理していると、一枚の写真が出てきた。裏面の日付からそれがあの老夫婦と見た砂銀の写真であることがわかったが、なんたることか、その写真には霧のほかはかすかに湖面が見えるばかりで、瑠璃色のホッペトラツユも砂銀もなかった。ぼくたち三人が見た光景はそこにはなかった。なるほど、もしあの夫婦が見たものがこの写真と同じ景色であったならば落胆もしただろう、憤りもしただろうと、ぼくは納得した。

実家に戻ると、来る日も来る日もぼんやりすごした。傍からは夢遊病のように見えたかもしれないが、心のうちは自問でいっぱいだった。この先どう生きたらいいのかわからなかった。暇つぶしに湖畔で釣りをしているとき、ブイを見ながらふと考えた。自分が望むものはなんだろうか。一日三度の食事、十分な睡眠、母を大切にすること。週に一度は映画を見たい。毎晩のアヤメ酒も欠かせない。結婚や恋人はもううんざりだ。ここまで考えて、改めて驚いた。いったいこの望みをかなえるためにどれほどの努力が必要なのだろうか。

成功を求めてやむことのなかったぼくの心はいつも焦り苛立っていた。しかしぼくに残された時間を父さんが死んだ歳までとみなしたとき、すべてはむなしかった。金と地位のために奔走するのは時間の無駄としか思えなかった。裏切った友人や婚約者を見返してやりたいという思いも馬鹿らしかった。そのための労力はおそらく残りの人生すべてを費やすことになるだろうが、限られた時間をそんな復讐心で埋めたくはなかった。かといってどのように生きたらいいかもわからない。わからないまま、なにもしないでいる苦痛に負けて、湖漁を始めた。

言うまでもなく母さんはとても喜んだ。漁の仕方を父から教わったわけではなかったので見様見真似の試行錯誤を繰り返したが、だんだん安定した漁獲を見込めるようになり、心に余裕が出てくると、また同じ疑問が浮かんできた、このままで本当にいいのか、残りの人生をこのように過ごして自分は満足なのか、と。日々の生活には困らなかったし、広い湖に一人でいるのは気持ちのよいことではあったけれど、迷いは続いていた。

ある早朝、まだ暗がりの中でボートの準備をしていると、霧が立ち込めてきたことに気づいた。この霧ならホッペトラツユが見られるかもしれない、そう思った瞬間甘酸っぱいノスタルジーに襲われた。そして我ながら不思議に思ったのだけれど、そのときまでホッペトラツユのことをすっかり忘れていたのだった。いや正確には、心のどこかでは覚えていたが見たいという気持ちがまるで湧かないでいた。

「ホッペトラツユ」

と小さく声に出してみた。するとそこには、まるで遠い過去に滅んだ王国の宮殿のような響きがあった。

あれからぼくは都会に出て、砂銀よりも美しいものを数多く見てきた。タニラ洞窟の神秘的な鍾乳洞、エバミーニ島の満天の星空、ズス海岸のサンゴ礁、ロダイン博物館やカッチャス神殿に展示されている古今東西の美術品や工芸品。老紳士がクチマリ湖よりもはるかに美しいと断言した湖にも訪れた。そして確かに老紳士の言うとおりだった。そのほとんどは当時付き合っていた女性たちとの思い出でもあったのである種の薬味が加わるが、それだけにいっそう記憶は鮮明だった。だからホッペトラツユを見たところで、子どもの頃の恍惚たる感動を再び味わえるわけではないことはわかっていたのだが、疑うことを知らなかった当時の自分に会って、道を問いただしてみたいと思った。あるいはあの写真どおりの光景を前にしてなにかが完全に崩れてしまうかもしれなかったが、それはそれで仕方がない、今が潮時なのだ、と思った。

予想どおりホッペトラツユは現れた。真珠が踊る瑠璃色の水面。きらめく砂銀。光景は当時の記憶と変わらなかった。そして砂銀が空に消えてしまうまで、ぼくはまったく動けなかった。この間呼吸が止まっていたのではないかと思う。老夫婦の審美眼がいかに確かなものであろうと、この感動を覆すことはできなかった。二人を恨む気持ちはなかった。ただ自分を恥じた。生きるとは虚しいこと以外のなにものでもない。でもこのような朝を迎えられる限り、虚しさに飲み込まれず生きていけるにちがいない、そうぼくは確信し、これまでの自分と決別した。

老夫婦の宿泊を最初で最後にして、あれ以来コテージは物置のような使われ方をされていたけれど、いずれぼくが結婚したら夫婦で住めるようにと、父さんと母さんはこまめに掃除をし修繕をしてくれていた。だからコテージ『ホッペトラツユ』はすぐに開くことができた。もっとも、儲けようと思って始めたわけじゃない。こんななにもない湖畔で儲けようと思っても土台無理な話だ。でも宿泊費を格安にしたせいか思いのほかお客さんがやってきて、コテージ維持費とアヤメ酒代くらいの収入は得ることができた。宿泊客は、受験を控えた学生や、缶詰めになって書き上げないといけないものがある作家先生、世界をさすらうバックパッカー、都会のあわただしさに疲れて逃避に来た、かつてのぼくのような会社員、そういった、なにもないところに惹かれてきた連中だ。

宿泊にあたって一つだけルールを作った。霧の出た早朝は、どんなに夜更かししていても(たとえ受験勉強でも)、湖に出てホッペトラツユを観察するというものだ。砂銀の美しさをみんなに見せたい、でも宣伝するわけにもいかない、というわけの悪あがきさ。ここまでこだわったのには、一つには朝霧がだんだん出にくくなっていて、このままではホッペトラツユの存在が忘れ去られてしまうのではないかと恐れたからだ。それともう一つ、ぼくたちのように心の底から砂銀の光景に感動する人に出会ってみたかった。それがどんな人か知りたかったし、その人とはきっと友人になれるだろうと思った。しかし残念ながら、運よく霧の立ち込める早朝を迎えた宿泊客の誰一人として、ぼくが期待するほどの感動は示さなかったし、それどころかすぐ水面下にいるホッペトラツユに気づくことすらなかった。目が覚めるような瑠璃色への変化に気づかないというのはまったく不思議な話だったが、父の友人だった古老の漁師は、毎日湖を見ている我々だからこそ、彼らにとってはほんのわずかな水色の変化が大きな変化と映るのだろうと言い、なるほどとは思ったけれど、残念なことに変わりはなかった。

やがて町の人口が増え、郊外にまで家が建ちはじめ、高いマンションも建設された。おそらくそうした人口増加が原因なのだろうけれど(本当のところはわからない)、いつしか朝霧がまったく現れなくなってしまった。足腰が弱り半分寝たきりになっていた母が、自分も朝漁に同行すると言い張ることがなくなった点はよかったけれど、ホッペトラツユが朝霧のみを食べて生きているのならば、絶滅してしまってもおかしくない。

「もう一度ホッペトラツユを見たいねえ」

と母は時々思い出したように言い、その思いはぼくも同じだった。ある日ふと思いついて、絵具とパレットを買い、客のいないコテージのダイニングテーブルで砂銀を描いてみた。でも全然だめだ。技術的な面はもちろんだけど、それ以前に、ホッペトラツユも砂銀も描こうとすればするほど描けなくなってしまうんだ。目をつぶるとその細部までが鮮やかによみがえるのに、目を開けて描こうとしたとたん、記憶がぼんやりしてしまう。とても不思議だ。でもくすぐられたようなもどかしさはあっても焦りはなかった。だって自分が描きたくて描いているだけなのだからね。

ボートや人物なんかは少しずつうまく描けるようになっていったけれど、なにか気に入らない。リアルすぎる。あの光景は、人もボートもなにもかもリアルではいけない。リアルじゃないほうがリアルなんだ。変なこと言うだろう? うまく言葉では言えないね。他人にはリアルでなくてぼくにはリアルである色を出すにはどうすればいいか。そこで、売られている絵具ではなくて本物の色を使ってみればどうだろうかと思った。霧と混ざった砂銀はその後どうなるか考えてみたんだ。浅瀬で潜って湖底の砂をすくってみた。するとどうだい、見落とすぐらいうっすらとだけど、銀色に輝く粒がある。砂をふるいにかけて、それからピンセットで銀の粒だけ選り分けていった。地道な作業だ。集めた粒をすり鉢ですりつぶして、それをキャンバスにまいてみるとなかなかよかった。次はホッペトラツユの瑠璃色だ。砂に瑠璃色の粒が混ざっていないかとすくい続けたのだけどだめだった。一緒にすくいあげたなかに、湖に戻し忘れたモラミ貝があった。食べたら食中毒を起こすし、茶色の二枚貝は美しくもないからだれにも見向きもされない貝だ。でも胃のなかに砂銀を溜めているかもしれない。そう思ってナイフで二枚貝をこじ開けてみたら驚いた。貝の内側が真珠色に輝いていたのさ。そのままキャンバスに張り付けようと思ってナイフで慎重にこそげ落としていったらさらに驚いた。下の層が青味がかってくるではないか。もしホッペトラツユが空気にさらされても蒸発せずにいたらきっとこんな色だろうという瑠璃色だ。たまげたねえ。

あんなもの捕ってどうするのかと漁師仲間には呆れられたけれど、ぼくはモラミ貝集めに夢中になった。捕る貝捕る貝、どれもが内側に真珠色と瑠璃色を隠していた。それで確信した。朝霧が現れなくなってもホッペトラツユは絶滅なんかしない。こうして湖底にあり続けるに違いない。いつかまた霧が立ち込める朝が来れば、きっとまた砂銀が見られるだろう。

具材がそろってからは、まずまず納得するものが描けるようになっていった。さあ、失敗作はもう何枚描いたのか自分でもわからないね。コテージと家に飾ってあるのは、亡くなった母のお気に入りだったものですよ。お客さんはたいてい退屈しているからこの絵のこと、ホッペトラツユのことを聞きたがる、あなたと同じにね。だから夕食後のダイニングテーブルやなんかで、アヤメ酒を飲みながら話すようになった。一泊のお客さんには見えるのに見えない砂銀の話、あなたのように数日滞在予定のお客さんには乞われるままに子どもの頃までさかのぼってね。クチマリ湖のコテージで民話を語るオーナーなんて新聞で紹介されたときは驚いたよ、だって民話というのは昔話でしょう? 聞く人はだれもぼく個人の本当の話とは信じていなかったんだからね。

うん? ああ、絵を買いたいんでしたね。前に同じ相談をされたことは何度もあるんだけど……。でも、金が入るのはありがたいが、売るために描いてきたわけじゃないし、それに娘が大反対なんですよ。え? 言ってなかったかい? 晩婚でできた子でね、まだ五歳だけど、ホッペトラツユを見たことがないんだ。だから本物を自分が見るまでは絶対に一枚も売っちゃいけないって。かみさんは家計の足しになるから少しなら売ってもと言うんだけどね、はっはっは。いや、かみさんはこの村の人じゃないよ。でも漁も手伝ってくれるしここが好きだっていう変わり者です。ありがたいことに。照れくさいからはしょってしまったけど、実は宿泊客でただ一人だけホッペトラツユを見た人がいましてね。そんな縁です。

というわけで、悪いけれどご勘弁願えますか。生活は楽じゃないが、そういう問題じゃないのでね。見る分にはいくら見ていただいてもかまいませんから、またお立ち寄りください。

あと、断っておきますけど、本物のホッペトラツユは絵よりもはるかに美しいですよ。いつまた現れるかわかりませんから、ぜひ長期でお泊りを。はっはっは。

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