八月のスタジアム /冨永裕輔 Stadium in August by Yusuke Tominaga

もうすぐ7月も終わりますね。

今日は、8月の広島を舞台にして紡いだ楽曲『八月のスタジアム』の動画作品をお届けします。

戦後65周年の2010年8月、ぼくは音楽活動の岐路に立っていました。
音楽を止めるしかないのか、それとも起死回生の一曲が書けるか。
連日曲作りに没頭していました。

書いても書いても、なかなかとてつもない曲はそううまく書けません。
そもそもそのような曲は、書こうとして書けるものではないのです。
そのような曲は、人間の努力だけではコントロールできない、なにか天啓のようなひらめきを伴い生まれてきます。

創作の壁と夏の暑さのなかで朦朧としていたとき、ふとテレビ画面に映っていた光景に目が止まりました。
それは広島東洋カープの試合でした。
広島のスタジアムでカープがジャイアンツと戦っていました。
そしてカープの先発ピッチャーはアメリカ人の投手でした。
そのアメリカ人の投手が好投すると、広島のファンの皆さんは惜しみない拍手を送りました。
今までも見たことがある、何気ない日常の光景かもしれません。
しかしこのときぼくは、それがなにか凄いことのように感じたのです。

ちょうど戦後65周年で、戦争や平和を題材にした番組も放映されていた8月でした。
日本とアメリカが戦争で戦ってから65年、アメリカが広島に原爆を投下し日本が無条件降伏した8月に、日本人とアメリカ人が同じユニフォームを着て広島で野球をしている。
そこには、筆舌尽くしがたいほどの悲しみや怒りがあり、そして、それを乗り越えてきた人間の強さや想いがあることを感じました。

赦しがたいことを赦すためには、優しさという言葉では表現しきれないとてつもない強さが必要になると思います。それは人間のみがもてる“愛”という境地かもしれません。
これは戦争の話に限らず、人間というものは、憎めば相手も憎んできます。例えどんなに相手が悪いことをしたとしても、それを責めれば必ず相手も言い分を持って責めてきます。
憎むことで、赦さないことで、自分自身も永遠にその負の鎖に縛り付けられることになります。
世の中は、どちらか一方だけが完全に正義で、どちらかは完全に悪ということはなかなかないと思います。
歴史上は勝者が正義になってきました。歴史というものは勝者が残すからです。しかしそんな単純な歴史は存在しないはずです。どの国にも、どの街にも、どの村にも人間がおり、そこにはささやかな暮らしや家族がいて、戦うときは故郷や家族を守ろうとしたはずだからです。

しかし、そのような議論をしだすと終わりを見ることはありません。そしてその先は、報復に次ぐ報復という泥沼の状況に陥ることは、残念ながら世界の歴史が今なお証明し続けています。

もう悲しみを繰り返さないために、もうこれ以上尊い犠牲を払わないために、未来の世代のために、戦争ではなく平和を選んだ先人たち。その“愛”とは、戦争により失われた尊い命への愛であり、そして子供たちや未来の世代への愛でもあると思うのです。その愛が、すべてが失われたかのようなぼくたちの故郷に、希望という小さな芽を育ててくれたのではないでしょうか。

焦土と化した国で敗戦を聞かされ立ち尽くしたあの8月。
それでも再び重たい一歩を、勇気を持って踏み出してくれたあの8月。
その未来の高度成長、オリンピックが開催され、日本は世界が驚く復興を遂げます。その先人たちが引き継いでくれた平和な時代に生まれ、大人になったぼくたち。
そして東京2020オリンピックが開催されている2021年の8月を迎えます。
内戦で生き別れた兄弟の選手が、東京2020オリンピック開会式の会場で再会したというニュースもありました。
今でも世界で戦闘は続いています。

ぼくたちの世代は、日本と仲の良いアメリカの姿しか見ていません。
しかし、その両国は、国が無くなるかもしれないほどの壮絶な戦争をしたのです。
もう二度と、武力で戦うことなく、スポーツで、野球で戦い続けられるように。
願いを込めて、『八月のスタジアム』が誕生しました。

コンサートで広島を訪れた際、ある飲食店で食事中、忘れられない光景を目にしました。
店の前をちょうどアメリカ人の団体が通ると、店の店主が、
「原爆を落としておいて、よく観光に来れるな」
と言いました。その表情には静かな怒りが浮かんでいました。
その気持ちも事実だと思います。
それほど、赦しがたい歴史上の事実です。

壮絶な悲しみや怒りの前では、平和への願いというものは微々たる力かもしれません。
この歌だって、受け取り方は様々かもしれませんし、批判もありえると思います。

それでも、綺麗事などではなく、もう二度と戦争が起こらないためになにができるかと考えたとき、ぼくは何気ない広島のスタジアムの日常に感じた敬いを、歌で表現したいと思うのです。

2010年、結局この歌は当時所属していたレコード会社に採用されることはなく、ボツとなりました。
レコード会社や音楽業界は、つねに“キャッチーな売れる曲”を求めるものなので、これも仕方のないことだと理解しました。

しかし、その後に独立してからこの楽曲を歌ったとき、その反響は決して小さなものではありませんでした。
2時間のコンサートをして20曲ほど歌っても、この楽曲が一番よかったという声も少なくありませんでした。たしかに、この歌に込めたメッセージは受け取ってもらっていると感じられました。

2012年にはアルバム「INSPIRE」に『八月のスタジアム』を初収録。
そして2019年にはアルバム「Beautiful Harmony」にリアレンジしてリメイク収録しました。
今回の動画は、「Beautiful Harmony」バージョンの音源に合わせて、イメージ映像や写真、2013年の野方区民ホールでのシンフォニーコンサートの映像を編集して構成したものです。
野球を通して歴史映画を撮影するような気持ちで、魂を込めて編集しました。

最初にこの歌を書いたときの2番の歌詞は、
「65年も前」
でした。

そしてリメイクでは
「75年も前」
になりました。

その間、日本に戦争が起きていないということです。

この歌詞が、
80年、90年、100年と変わり歌い続けられますように。

余談ですが、この歌の情景は、時間的にはアメリカ人のピッチャーがマウンドに上がってから、たった3球を投げた間の出来事かもしれません。

歌というものは瞬間芸術と表現されることもありますが、一瞬の出来事に数十年という長い年月と尊い人の想いを感じ、それを歌という形で永遠に保存できるものです。

もう数年すると、戦争を体験された人はこの国からいなくなってしまいます。
だからこそ、語り継ぐこと、歌い継ぐことが重要だと思います。

そのときは、悲しみや怒りとともに、それを乗り越えた人たちの強さと優しさと愛、ぼくらが託された平和への願いと希望を、また次の世代に伝えたいと思います。

大好きな野球、そして歌という僕らしい視点で、平和への祈りを込めてこの作品を公開します。
どうぞご覧ください。

そしてもし、ぼくがあの夏に広島のスタジアムで感じた気持ちをあなたも感じてもらえたとしたら、あなたの大切なだれかにこの動画をシェアしてもらえたら嬉しいです。

一人の声、一つの歌の力は小さいかもしれませんが、そこに込めた願いにあなたが共鳴してくれたとき、この世界が一歩ずつ平和へと近づいていくことを信じています。

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ありがとうございます。
明日もあなたに良いことがありますように♪

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