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旅人なおとめ

おとめです。
先日の自己紹介、お読み頂き、ありがとうございました。
今日は、先日の自己紹介について、キーワードから一つ一つ掘り下げていこうかな、と思います。
まずは、おとめのコアであり、ある意味「本業」である旅人について。

生まれもっての放浪癖の持ち主。

私は、父親が熊本、母親が愛知と地元が離れており、生まれてから帰省等による長距離移動が必須でした。
生まれてすぐに飛行機には乗りましたし、新幹線や夜行列車の乗車も早かったと思います。
私の子供の頃のエピソードですが、
1:父が仕事から帰ってきてから、私を車に乗せて一回りドライブしないとぐずってしまう。
2:母とデパートとかお出かけして、母が一瞬目を離すと私がいない。
迷子になった私を母は必死で探しても見つからず、交番に行くと私がきゃっきゃっはしゃぎ回っていた。
らしいです。
まぁ、一つの場所にじっとしているなんて無理な子供だったでしょうね。
子供の頃から、休みは出かけないと気が済まない子でしたから、チャリや列車で近くへ行ってましたし、近くでも家族とのお出かけは楽しみでした。
月一で列車で行く親の実家への帰省は、列車に乗れるし、祖父母が車でどこかへ連れて行ってくれるし、すごく楽しみでした。
もう小学生の頃には、弟と二人で祖父母や親戚の家に夏休みに新幹線に乗って遊ぶに行くのは定番で楽しみでしたし、年末年始の帰省も楽しみでした。
実は、母方の祖父母も母も旅が大好きでしたから、完全に母方のDNAを引き継いだと思いますが、旅好き度は完全に超えています。

青春18きっぷと周遊券。

私は大の乗り物大好きで、後の記事で書きますが、鉄道が大好きな「鉄子」なおとめ。
そんな私にとって夢のようなきっぷが「青春18きっぷ」と「周遊券」。
私が子供の頃には、両者ともありました。
青春18きっぷを初めて使ったのが、確か中学生の時で、当時の青春18きっぷは1回分の5枚綴りでしたから、分けて使うことができました。
友人から1回分譲って頂き、鉄道に乗りに行ったのは覚えています。
中学生から高校生にかけての旅が、列車に乗りつつ、東京や大阪や名古屋とかに行き、宿泊は祖父母や親戚の家に行くスタイル。
列車に乗るのが楽しかったし、都会で見て回るのも楽しかった。
青春18きっぷやまだあったワイド、ミニ周遊券を使って、新幹線とか乗っていきました。
大学生になると、バイトで稼いで、夏休みや春休み(冬休みは毎年年賀状の配達のバイトで資金を稼いでいました。)に長期の旅を周遊券で行くスタイル。
鉄道に乗るのが目的でしたし、基本鉄道に乗って、観光して、という感じ。
その頃はひとまず「JR全線乗車」が目標でしたし。
でも福岡を起点に全国くまなく鉄道で旅しました。

ユースホステルに出会っての変化。

学生時代のお宿は、当時はまだ全国走っていた夜行列車、ビジネスやカプセルホテル、健康ランド、祖父母や親戚の家が中心。ひとまずお金が無かったし(今の変わらず)、鉄道にガンガンに乗るのがメインでしたから、要は寝るだけで良かったし、祖父母や親戚の家ならお土産持って行って、元気な顔見せればお金かからないし(しかも食事付き)。
大学生になって、最初の冬休みで憧れの北海道へワイド周遊券で行きたいと思い、色々と調べましたが、道内は札幌から稚内、網走、釧路、函館と夜行列車があり、それを宿代わりにして、でも洗濯はしないといけなくて。
で、当時の鉄道旅行愛好者のバイブルであった故種村直樹先生の「鉄道旅行術」に出会って、読んでいるうちに若者向けのお宿として紹介されたユースホステルを知り、会員制でしたから、福岡のユースホステル協会に入会しました。
会員証持って、北海道へ行き、夜行列車に5泊してユースホステルに泊まっていましたが、鉄道を骨の髄までしゃぶり尽くすまで乗っていたおとめは、ユースホステルはあくまで「コインランドリーを探す手間が省けるお宿」。もちろん素泊まりで夜遅くに着いて、洗濯したら寝て、朝ご飯も食べずに出発する、単なる「寝ると洗濯するだけのお宿」。
それなりに出会いはあったような感じでしたし、楽しかったのですが、帰って、当時あった旅行雑誌のJTB発行の「旅」誌を通じて文通を初めており、あるペンフレンドにこの話をしたら、「ユースホステルは素泊まりで泊まるのではなく、食事して旅人との交流を図るお宿」と痛烈批判されました。
実は、これが旅のスタイルを変えるきっかけ。
その後は、鉄道での旅を楽しみつつも、ユースホステルでゆっくり過ごして、人のの出会いを楽しむようになり、色々とあって楽しかったし、色々と学びました。
今思うと、この指摘がなければ、今ゲストハウスなんて知らなかったし、泊まって無かったし、もちろんお宿(ゲストハウス)開きたいとも思っていなかったでしょうし、ゲストハウスを通じての出会いもなかったでしょうから、ある意味私のありとあらゆるものを変えてしまったきっかけ。今では感謝しています。

就職してから。

就職して、当時の福岡の親元から遠い岐阜で一人暮らしするようになり、一人暮らしするようになってからしばらくは車はなかったので、青春18きっぷとか周遊券で鉄道旅するようになりました。
初任給はかなりの薄給でしたが、当時住んでいた独身寮の家賃がありえないくらいに格安(実は缶ビール350ml缶2本分と同じくらいです。ほぼタダに近い。)で、岐阜駅まで6キロと近かったので、旅するには都合よかったし、行けれる時には旅に行きました。
就職してからも「JR全線乗車」は達成していなかったから、まずは鉄道乗車がメインながら、ユースホステルとかとほ宿に泊まるのも楽しみな旅もしてきました。
1999年(平成11年)11月20日、(先日廃線になった)根室本線新得から富良野まで乗車しJR全線完乗の夢を達成しましたが、その後は鉄道一辺倒より宿に泊まって、グルメや温泉、街歩きの旅をしていきたくなり、日本の鉄道全線乗車は目指さない事に決めて、ユースホステルとかとほ宿に泊まっては、出会いを求めたり、イベントに参加するようになりましたし、何度も同じお宿をリピートするようになったのかな。

恋愛から結婚、離婚して。

先ほど書きましたが、今は亡きJTB発行の「旅」誌を通じて文通していましたが、その時のペンフレンドの一人が、実は今住んでいる愛知県内の某市に住んでいて、就職してからとあるサークルの代表者さんが共通の知り合いであることが分かり、実際に何回かお会いして、お付き合いする事になりました。
ちなみにそのペンフレンドさんもユースホステルの旅が大好きで、結婚したら共通の趣味で旅が楽しめると思いました。
付き合った当初は、車がなかったのですが、付き合うとなると車が必要になり、ペンフレンドさんの親戚がホンダの販売店でしたから、中古のシビックフェリオを購入し、それ以来、車でも旅を楽しむようになりました。
車の旅も鉄道とかの旅とは違った魅力にハマってしまいました。
実は、中型自動二輪免許取って、バイク買いたかったのですが、「危険だからダメ」と反対されて、車を購入しました。
で、色々とあって付き合いから結婚に至りましたが・・・。
ユースホステルとかとほ宿、今で言うゲストハウスって出会いや交流がありますが、そこに恋人や夫婦、家族で行くと、出会いは出会いで割り切って楽しむ場合と、逆に出会いで異性と交流すると嫉妬して気まずくなる場合とはっきり分かれまして・・・。
私の場合は、はっきりと後者になってしまいました泣
結婚したペンフレンドが、ちょっと複雑な事情もあり、難しく、旅する毎に揉めて喧嘩してしまい、そのうちにそう言う交流宿には泊まれなくなってしまい、子供が産まれたのもありますが、それよりその「複雑な事情」により、ほぼ旅に出られなくなりました。
そうなると、事情で分かっていても、生まれもっての放浪癖があるおとめ、ある場所に引きこもったり、缶詰にされるのが苦手、というか耐えられなくなり。
それでも家族旅行も行きましたし、たまにお忍びでお出かけしましたが。
結局7年3ヶ月で離婚になりました。
離婚してからは、しばらくショックでしたが、また落ち着いてから旅に行き出して、以前の独身時代の旅の楽しさや充実さを思い出し、結局旅人復帰となります。

ゲストハウスとの出会い。

今おもに泊まっているゲストハウス。
最初の出会いは、結婚したきっかけになったサークルに参加していた旅好きでユースホステル好きの友人から紹介されました。
そこで行った最初のゲストハウス、記憶が正しいなら、三重県亀山市関宿の石垣屋さん。
最初行って、盛り上がって楽しかったのだから、リピーターになり、よく行くようになりました。
その後色々と事情があって、石垣屋さんには行かなくなりましたが(また行けれるなら久々に行ってみたいとは思っています。)、色々と知り合った旅人仲間の友人からおすすめを教えて頂き、泊まってリピートするようになりました。
南知多のほどほどさんや小谷村の梢の雪さんは、ゲストハウスの存在を知った時から泊まっていますから、もうリピートして10年位になるのかな?
リピートして、旅人さんだけでなく地元の皆さんとも知り合いになり、行きつけのお店も増えて、ほぼ常連に近くなると、感覚的には、「新しい故郷であり地元」。
そうやって日本中に心休まる「地元」「故郷」がだんだんと増えていきました。
ゲストハウスだけでなく、鉄道(秋田県の由利高原鉄道)とかイベントもリピートするうちに、やはり友人が増えて、「地元」「故郷」が増えていきましたし、ある意味快感でした。

今、そして夢。

そんなゲストハウスを通じて彼方此方に行くうちに、「地元」「故郷」が増えて、旅人や地元民の友人が増えていく。
そのうちに旅先で「地元に住んでいると思ってました」と言われると、何となく旅先ではなく地元の一員として認められたのは、これ程嬉しいことはありません。
あと、旅を通じて、色々とやりたい事見つけて、やって行く。
先日の旅で、長年着たかったお着物、しかも綺麗な小紋の訪問着を着られたのも旅人であったからかな?と思っています。
まだまだ行きたい場所はいっぱいあるし、でも、リピートしたいお宿もいっぱいあって、仕事やお金の事情もあり、なかなかいつも旅もできないし、その中で行けれる時間があれば旅しています。
旅しては、車や鉄道といった乗り物を楽しみ、写真も撮ったり、温泉や自然で癒されたり、美味しいもの味わって、お宿に泊まって、イベント楽しんで、旅人や地元の皆さんと出会って、飲んで食べて楽しむのが、今の旅のスタイル。
実は、海外も行きたいのですが、パスポートとか取らないといけないし、思い立って行けないから、国内ばかり行っています。
そうやって、旅をしてゲストハウスやカフェを開いたり、イベントをして、夢と理想を現実にして、楽しく心豊かに生きている皆さんを見て、「私にもできるかも」と思い、今度は自分が旅人を迎えて、楽しんで盛り上がりたい、旅人に元気にさせたい、また帰って来れるようなお宿を開く夢を持つようになりました。
だから、おとめにとって、やはり、旅って人生、なんですし、それがあるが故に今は幸せです。

長くなりましたが、今回も読んでいただき、ありがとうございました。

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