さて、今回は切迫早産で入院したお話を記録として残して置こうと思います。 まず、入院が決まった時点で、主治医から入院計画書について説明がありました。 これは、あなたはどんな病名(診断名)でどんな症状があるから、何日~最大何日入院して治療しますよ。入院中の治療はこんな風にしますよ。っていう内容がざっくり記載されています。 私の場合は、切迫早産と腹緊(お腹の張り)、出血があるので、最低2週間から最長で予定日付近までの入院ですよと書いてありました。また、万が一症状が抑えられずに
毎度の事ですがお久し振りです。 夏に切迫流産になって1ヶ月弱自宅安静、その後、無事に仕事復帰。職場や夫の協力もありながら、軽度の妊娠糖尿病にはなってしまったものの、何とか妊娠31週まで来たのですが… 頻繁に張る様になって来たなと思っていた所での妊婦検診で、子宮頸管の長さが短くなっている事が分かり...2日後、仕事中の出血。 早退して受診した結果、即入院になりました。 24時間点滴治療だそうで... 朝、夫と子供を送り出したキリ、これから退院までは子供に会えません。淋
ご無沙汰しています。 あっという間に半年空いてしまいました。 タイトル通り、この度第2子がお腹にやって来てくれました。 ただいま絶賛自宅安静です。 はい。切迫流産になりました。 11週を過ぎたばかりの頃、シャワー中に突然出血してしまいました。 そこから早2週間。安静にと言われても2歳半の我が子はイヤイヤ期真っ只中。 ママじゃないと嫌ー!と言うこともあり横になっていても起きなければならないシチュエーションが多々…。 それでも、お腹に赤ちゃんがいると言うことを小さ
久しぶりの投稿が新型コロナウィルスの事でしたが、去年の振り返りもしつつ、新年の抱負でも。 11月12月は気分の浮き沈みの波も大きく、仕事を休めるのであればゆっくり休養したい日もあったのですが、保育園からの急な呼び出し等に対応するために有休を残したい一心で何とか過ごしていました。 そんな感じで過ごしていたので年末年始に掛けては、職場でも私生活でも何だかんだバタバタとしていました。 気が付けばもう2021年。 あっという間ですね。 せっかく新年を迎えたし(?)、今年の目
前回、発熱外来を受診して帰宅した私達一家。 その後のお話。 帰宅後、子供は何だか怠そうではありましたが、ゼリーを見ると元気に食欲も湧いてきた様で食事も無事に摂れました。 早ければ翌日には、濃厚接触者かどうか園から連絡があるはずです。 〝どうか電話が来ません様に...〟そう願わずにはいられません。 ちなみに、我が子の保育園では、コロナ陽性者が誰かは教えてくれませんでした。職員なのか園児なのか出入りしている業者なのか...全く情報がないのです。 そして明くる日の午前中
先日、お昼前に子供の通う園から職場に電話が入りました。 『〇〇園の××です、△△ちゃんのお母さんですか?』 そこまで聞いて、もしかして熱が出たのかな? と私は思いました。 おそらく、保育園や幼稚園から職場に電話が来る用事と言えば、大抵は熱か怪我ですよね。 でも、この日は違ったんです。 職場ではあるけれど、作業療法士の詰所ではなく、私の配属先の病棟に取り継がれた電話を取ると、担任の先生ではない声がしました。 (担任の先生がお休みだったかな?) 『お仕事中にすみま
突然ですが、私はとてもイライラしやすいのですが、皆さんはどうですか? 巷では、“アンガーマネジメント”なんて言葉も聞かれる様になりました。 アンガーマネジメントについての勉強をしっかりした訳ではないので、世間一般に知られているのと同等の知識しかないと思うのですが、私もすぐに怒らないように頑張ろう!!と思いました。 でも、現実にはなかなか上手く行きません...。目下、意識付けから練習中です。 最近、自分がイライラする原因について、ふと考えて見たことがあります。 そこで
しばらく記事を書く余力がありませんでした...(-ω-;) 今回は私の趣味のお話でもしようかと思います。 元々、好奇心は旺盛な方なので、面白そうな事があればやってみたいタイプです。 スポーツも読書も好きですが、手工芸などの細かい作業も好きです。 作業療法士の養成校時代、陶芸や銅板細工、タイルモザイク、籐細工など様々な作業活動の授業があります。 (作業療法士は、そういった趣味的な活動もリハビリの手段にします。) 実習に出ると、そこの病院や施設で行っている作業にも触れ
話は変わりますが... タイトル通り、私は今も昔も自分が大嫌いです。 親に認めて(褒めて)貰えなかった自分 親に迷惑を掛けてばかりいた自分 狡い自分 直ぐに鬱々としてしまう自分 感情に流されてしまう自分 すぐに怒ってしまう自分 すぐに泣く自分 私の中での自分の認識はこんな感じでした。 両親は共働きでしたが、母親は所謂【教育ママ】で、テストで90点であろうが100点であろうが褒めてもらった記憶がありません。 90点なら「何でこんな所を間違えたの?」、100
話が前後してしまいますが、妊娠中に思っていたことについて今回は書こうと思います。 妊娠には喜びと不安があるものだと思いますが、私もそうでした。 元々、結婚したのも遅めだったので夫も子供は早めに欲しいと話していました。なので、妊娠が分かった時には、来てくれたんだな。という気持ちと、流産や自分自身の精神的な問題、無事に産まれたとしても本当に育てて行けるのかという不安がありました。 妊娠中は妊娠中で、つわりで寝込むことも多かったですし、出血で安静を余儀なくされた事もあり、夫に
妊娠中のメンタルの不調は本当にしんどいです。 そして、他者からは見えないマイナートラブルも付きまとうので色々な意味で辛いことが続きます。 そこを乗り越えられるかどうかは、本人の気持ちも大切な要素ではありますが、周囲の支えだと思います。 ”支え”なんて言ってしまうと何だか堅苦しい感じもしますが、ただ話を聞くだけでも、傍にいるだけでも良いと私は思います。 私自身、言葉で表現することが難しい感情が沢山ありました。傍にいてほしい、でも近づきすぎないで。でも、放っておいて欲しく
前回まで、妊娠中のつわりと仕事について、それから職場の人達になかなか理解して貰えなかったお話を書きました。 理解して貰えなかったのは、説明が足りなかったり説明の仕方が悪かったのもあったでしょうし、私自身の気持ちが足りなかったのが原因なのかなと思っています。 結局、無理をした事が原因で出血。そして切迫流産で1ヶ月の休職をしました。 その休職期間は、切迫流産という事もあり極力安静にしていたのですが、結果として体調と共に悪化していた精神状態を回復させる期間にもなりました。
抗うつ薬を飲まない事を選んだ理由。 それは、薬が胎児に及ぼす影響について、分かっていない(研究されていない)事が多かったからです。 なので、妊娠中は色々な事に苦しみました。 第1に辛かったのは、【吐きづわり】です。 普段は好き嫌いなく何でも食べられるのですが、妊娠期にはネギ系が全くダメに。 ドラマでよくある様な、ご飯の炊ける匂いで気持ち悪くなるのは当たり前にあったし、色んな物が食べられなくなりました。 妊娠中に食べられた記憶があるのは、ミニトマトとお豆腐とマックの
そんなこんなで、結婚を機に東京から生まれ故郷(とは言っても完全な地元ではなく)に帰って来たので、引越しの片付けや手続きが落ち着いてから転職をしたのですが、その転職先が本当に私には合わなかった様で、寛解状態にあったうつ病も悪化。 新たにメンタルクリニックを探して通院を始めました。いつ退職しようかと時期を見定めている中で妊娠発覚。 子持ちが転職するには保育園問題があって、保育園に入れるのは仕事をしていないと難しいというジレンマ。 ここ最近は、待機児童問題もあるので、私はその
作業療法士として順調に(?)働き始めた私。 年末年始に地元に帰省した事で、大きな転機が訪れます。 実家近くの幼馴染がたまたま私が帰省した日と同じ日に帰省しており、駅まで迎えに来てくれた事がきっかけでした。 そこで、その幼馴染に突然プロポーズめいた発言をされたのです。 私に取っては青天の霹靂。男性として意識した事もなく、昔からからかわれる事もよくあった幼馴染だったので始めは冗談だと思いました。 結局、返事は保留にしたまま帰省を終えたのですが、どうやら本気だと分かったの
うつ病と自律神経失調症と診断を受けてから、新聞販売店やアルバイトを経て、専門学校へ編入し...ようやく作業療法士の資格を取れました。 私の場合ですが、何かしらの大きなイベント(試験をあるとか、何かを任されるとか、環境の変化)がある時や、感情が抑えられずに些細な事で泣いてしまう様になったり、朝方まで眠れないなどの傾向があったので、そういう状態が不調のサインでした。 なので、本格的に調子が悪くなる前に受診するなどの対応もできました。 30代に突入してようやく手に職を付けられ