豊太閤のバテレン追放令と当時の海上商業覇権の変化
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バテレン追放令に見る当時の国際経済事情
農民から関白になった天下人豊臣秀吉はキリスト教との関わりを通じて外国人と関わりを持ち、外国との関係を根拠にして、対外戦争を行い慶長文禄の役で明・李氏朝鮮と戦い勝利した。その一方では、遠藤周作の沈黙に描かれているようにカトリックの伴天連教徒に対する迫害者とよく言われることもある。ところがそのような伴天連教に対する迫害者としての豊臣秀吉像が近年疑問視され始めている。
そこで、①豊臣秀吉は本当にキリスト教を弾圧したことになるのか。
また、②豊臣秀吉の宗教政策下で、オランダを初めとするプロテスタント勢力がどのようにしてカトリック勢力より国際経済で優勢になったのか。
この記事では、バテレン追放令を実際に読むことで、以上の問題について検討し、カトリック教との関係を調停・解決し、オランダ人はどのようにして信仰の問題を解決して日本との交易を独占したかを考える。その結果として史料をより緻密に対比的に捉えることにより、後年有力な思想家が言った言葉と様々な事実が結びつき、バテレン追放令の重大な矛盾が発見され、当時の為政者が歴史の舞台で、実際にどのように文化地図を塗り分けたかを知ることになった。勿論豊臣秀吉はカトリック教ではないが、豊臣秀吉の宗教思想は世界的な構造的動向を反映しており、宗教政策を通じて西洋の文化や宗教にも影響を与え、その後の人類史の流れを変化させ、現代国際社会の覇権構造へと回帰しているのではないか。結論では現代のカトリック教徒の職業観や文化的多様性の理論的負荷の壁を克服する世俗主義や無宗教と言われる普遍主義的なルネサンス文化についても、豊臣秀吉の商業に適した宗教政策であるバテレン追放令の影響との関わりで検討を行った。
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