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【日記】日本で庶民として生きる人生をめちゃくちゃ楽しんでいる話〜婚姻制度について〜

こんにちは!
今回は近況報告や最近考えてることの共有をしたいと思います!


1. 家計の破綻と節約生活の開始

最近は家計が厳しくて結構節約して過ごしています!
私は2024年1月まで節約せず、自由気ままにお金を使って過ごしていました。何か大きな散財を繰り返していたというわけではありません。ただそれなりにありふれた庶民的な消費生活を毎日節約せずに続けていただけです。それでも制限なく遊び続けていたら、いつの間にかクレジットカードの引落日に残高不足になっていました。やらかしましたね。

主な出費は毎日の食事とお菓子、そして休日の交通費とライブ費用です。
2023年の後半、私は本当に楽しく遊んでいました。月3回は誰かとご飯に行ったり、映画を見たり、ライブやクラブイベントで踊ったりしていました。すごく楽しかったです!
とりあえずしばらく自由に遊んでみて家計が回るか試してみよう」という気持ちもあったんですよね。
そんな節約なしの生活を続けている中で、この1月だけは住んでいる物件の「火災保険の更新」があり、数万円飛びました。ほぼこのイレギュラーたった一つにより私の家計は簡単に破綻したのです。あとは年末年始の帰省用交通費、音楽fes「POP YOURS」の2DAYSゴールドチケット40,000円が痛手だったと思います。ただやはり火災保険だけは勘定に入れられていませんでした…。

クレジットカードの支払いが遅れるのはよくないので、対策を考えました。
とりあえず毎日お菓子を買うのは控え、休日の遊びを減らしました。
本来なら休日は人とご飯に行くか映画でも見たいのですが、ここは我慢して家で過ごしました。
ニンテンドーDSを引っ張り出してきて、小学生の頃から大好きな思い出いっぱいのゲーム、「流星のロックマン2 ベルセルク&ダイナソー」をプレイしたりしました。(夢中でやっちゃって、裏ラスボスを撃破するところまで進めました。本当におもしろいですこのゲーム)。

さらに、もうすぐ会社の人と海外旅行に行く話があり、たくさんの現金を用意する必要がありました。私は旅費や当日の遊び代を用意できるのでしょうか。お金について考えるのが不慣れすぎて、私にはよくわかりません。できればお金のことなんて考えずに過ごしていたいです。
正直な気持ちを申し上げると、私は本当にお金に興味がありません…! お金のことについて自分の脳のリソースを割くつもりがないと言ってもいいです! そんな(つまらない)ことに人生の時間を使いたくないといつも思っています! もっと好きな音楽や今日の天気のことを考えていたいです!(雨だな〜みたいな)
ただ、そうも言ってられないですよね。自分でお金を管理しないと痛い目を見るのは自分なのでしょうから。やはり本当は、できればお金の管理ができる大人になりたいものです。どうすればいいんですかね。やっぱり家計簿つけるところからでしょうか。
どなたか、お金の管理方法を人に教えるのが嫌いじゃない方がいたら教えてほしいです。

至らない点、伸ばしていきたいですね。
けど、モチベーション高いとは言えないですね!
なかなか気合入らないので、お金に関しては今後もっと痛い目見てこようと思います!

そう言えば資格試験に合格したおかけで4月から昇格して昇給するので、それでちょっと家計が楽になる可能性もあります。まだしばらくは我慢して、余裕が出てきたらまた遊びたいんですよね〜。
そうして限られた給料の中で消費活動をしていく、多少上向きに見えてどこかジリ貧の庶民的経済活動を送っていく覚悟です。私はなぜかいま、日本の庶民として生きていくことがかえって無性に愉快に感じ始めていますので。


2. メンタルめちゃくちゃ調子いい

家計が破綻したときだけはちょっと落ち込みましたが、最近基本的にメンタルがかなり調子いいです。幸せだと言っていいと思います。

私は、これまでの人生でたまには「どん底の時期」みたいなのがありました。そうした過去を参照してみると、「一日の中で誰とも会話しない日」が続いたときと、「人から激しく怒られる」ということがあると精神衛生がかなり悪化することがわかっています(ありふれてるかもしれませんが😂)。
あと、経験上「深夜1時〜5時」が一番メンタルに悪い時間だと感じています。「この時間寝られればハッピー、起きてしまうとアンハッピー」とまで言えるかもしれません。
あと「空腹」もメンタルに結構悪いです。

最近は仕事のおかげで人と会話する機会が得られていますし、生活習慣も安定しています。夜寝て、朝起きて、一日三食食べることが増えてきました。
この「人との会話」と「食事・睡眠習慣」が手に入るから正直自分は働くことが大好きです。
それらすべてを損なっていた大学院時代の苦しみが記憶に残っているからこそそう思えます。

親が教育にお金をかけてくれたおかげで、私は院卒正規雇用の安定した身分です。将来の不安なんてろくに感じていません。年金問題や「うちの会社退職金少なすぎ問題」などはありますが、他の人も同じ目に会うことがわかっている以上、私は特別焦る気になりません。
今後とも、この「確かに右肩下がりだけどすでに十分すぎるくらい豊かな国で細々と楽しく生きていきましょう!😆

私は、私を不幸にするものに対してはずっとキレてきました。もうそれ以外のことにはキレるつもりがありません。いまはただ私の幸せだけを守っています。
イライラするのは本当にメンタルに悪いです。
私は私の幸福を守りたいです。


3. 国政、同性婚について

日本社会についてもあまり意見がないです。
私は今のところ大した不自由もなく毎日美味しいご飯が食べられているので、とりあえず私視点は「かなりよくできた国だな」と思います(評価するようで恐縮ですが)。こんなに幸せな人(=私)を少なくともひとり生み出すことに成功した国ですからね。日本国やるじゃん!つって。

国政について言えば、同性婚だけは早く制度化すればいいのになと思っていますが、いつになるんでしょうね。もう異性間結婚だけを制度化しなくてもいいのになと思います。
小中学校で一番仲良かった同級生が、20歳くらいの頃に電話で「実は小学生の頃から女性じゃなくて男性が好きだと自覚してた」と教えてくれました。驚きましたね。それで、彼はいま経済的にかなり困っており、身近な人間関係が乏しく、深刻な孤独にメンタルがやられてるようでした。そして、「異性間で一緒になること(結婚)は社会で当たり前に認められてるのに、同性間で一緒になるのはこの社会では当たり前じゃない。だから俺はどうやって誰かと出会い、一緒に生きていけばいいのかわからない。俺はこれからも一生ひとりなんだ」といった絶望を語っていました。同性同士のマッチングアプリなどもあるらしいですが、田舎だと人口少なくて難しいところがあるみたいです。

同性愛者って私みたいな異性愛者からすれば結構異質な存在に見えます。しかし、どうやら同性愛者って、時代や土地にかかわらず、人類の歴史上でこれまで生まれ続けてきたし、これからも生まれ続けるみたいですよね。だったら同性愛者の居場所を社会制度のレベルで用意した方が良いんじゃないですかね。どうせ放っておいても今後ともたくさん生まれ続けるのだから。(人口に対する構成比率としてはずっとマイノリティなのかもしれませんが)。そうした人たちを今後も生きづらいままにさせておくのは酷に思えます。
本当は私個人は同性愛者の婚姻制度がなくても一向に困らないです。けど一応、同性婚を制度化する意志のある政党があればそこに投票しようかなとは思ってます! だって、これから生まれてくる同性愛者の子どもたちがたぶん困りますからね!

「社会」って、複雑で得体がしれない感じがしますけど、とりあえず目についた範囲内で自分の思ったように動いてみますよ。「投票」というめちゃくちゃ穏当なやり方で。

それ以外には国政に関する意見があまりありません😂
日本はいろんな面でこれまで結構よくやってきた国だと思うので、これからもいい感じの国でいられるようにみんなでがんばっていきましょうという感じです😂 

自分もいち社会人として健康で安全に働き、幸福に生きていこうと思います。この世界の中に幸福な人をひとりでも増やしておくために、最低限私だけは幸せに生きてみようと思います。私が幸せに生きることに成功すれば、「日本国民のうち少なくともひとりは幸福に生きた」ということが担保されますよね。そうすれば、日本という国が少なくとも部分的には成功した国だったと言えると思います。日本国は私を含むひとりひとりを幸せにする必要がありますからね。
今後とも、私以外にも幸福な人をひとりでも多く増やせるように、国家や国際社会にはがんばってもらいたいです。私は心身ともに健康なので、できる範囲で働かせてもらうつもりです!
よかったら私と関わってくれる方たちも一緒に楽しく過ごしていきましょう!😆 みなさんよろしくお願いします!


といった事柄を対人コミュニケーションで相手に投げかけるのが最近怖くなっていて、一方的にしゃべるだけで済む「note記事」や「一人語りスペース」ばかりやっています。
こういうことを考えるのが好きである一方、「対人関係は安定させたままでいたい」保守的姿勢が最近かなり強いのです。ちゃんと社会人らしくなってきたということなんですかね。


4. 恋愛と保守性

そう言えば恋愛と保守性についても考えました。社会人になってから、学生時代以上に守りに入っている面があるかもしれないと思った話です。

一方で、高校や大学時代は「数年後にはみんな卒業してしまう」というタイムリミットがあるからこそ、「早く好きな人に告白しないと…!」みたいに自分で自分の背中を押すことができたような気がします。
他方で、社会人になると学生時代のような明確なタイムリミットはあまりないような気がします。あるとすれば「年齢が高くなること」と「どちらかが先に交際や結婚してしまうこと」という、学校の卒業に比べてぼんやりとした、予測の困難な「終わりのとき」が来るかもしれない、くらいの感じですよね。
学生時代なら放っておいても「終わり」が来てしまうのだから「早く動かなきゃ」と思えたかもしれません。しかし、社会人になると放っておいても特に関係性は曖昧なままで変わらず、むしろ余計に動いてしまうことで関係性が変化し、かえって「終わり」を招き寄せてしまう恐れがある気がします。すると、守りに入ってしまいますね。
(「付き合ったらこんなに楽しい日々を送れるかも…!」みたいにポジティブな空想ができればモチベーション上がるのかもしれませんが、私は男女交際に対するポジティブな想像力があまり豊かではありません。これまでの交際も、他の人にとられてもおかしくない状況になって初めて「他の人にとられたら嫌すぎる」という消極的な動機で動くことがほとんどでした。付き合う前の段階では付き合ってからの生活内容がわからなすぎるから、積極的に動きづらいんですよね)。

ということを考えていました。

私は以前書いた記事で、次のような問題関心を提示しました。

問題は、誰かと一緒に生きるにあたって、理由がなさすぎることである。家族関係であるだとか、交際関係であるだとか、それくらいしかその人と共に生きる理由が見当たらないのである。そして、家族関係はもはや同じ場所で共に生きるための十分な理由として機能せず、交際関係や婚姻関係はそもそもありふれたものではなくなっているように見える
では、人は誰とどんな理由で共に生きればよいのだろうか。この問いは重要な問題だと私は思うのである。

とく - ひとりで歩く

私はこの問題関心(=「人は誰とどんな理由で共に生きればよいのか」)を抱えながら、人生を通してこの問いに答えていきたいと思っているんですよね。他の人の生き方も勉強しつつですが。

大学院生の頃に書いた記事で、ここで一番最初に投稿した記事です。手前味噌で恐縮ですが、なかなかいい記事だとも思うんですよね。もしお時間ありましたらこちらも読んでみてもらえると嬉しいです!

私は「誰かと生きたい異性愛者は、幸いにも今の社会に婚姻制度が用意されてるからそれを利用すればいいんじゃないの」と思っています。
それなりに需要ある制度なんだろうとは思うので。
たいていの人は誰か他人と一緒に生きたいものだろうと思うのです。日常的にコミュニケーションを重ねていける関係性の相手がほしいものだと思うのです。人間は社会的動物であり、コミュニケーションに対して駆り立てられ続ける生き物なんだろうと思っています。
私はありがたいことにXに居場所ができているので、自分の語りたいことを語り、相手の語りたいことを眺めて、お互いにいいねやリプライを送り合えるような環境が安定的にあります。これは本当にメンタルに決定的にいいです。

このままでいいのでしょうか?
あるいは、これだけでいいのでしょうか?
どこかのタイミングで、SNSの繋がり以上の関係性に移行することはあるのでしょうか?
そのとき、私たちの生活はできれば今よりも良いものになってほしいですよね。余計な一手を指すことでわるい結果が生まれたらやだなと思います。

もちろん、真に「このままでいい」可能性も考えてみたくはあります。つまり、インターネットで知り合ったいろんな人たちと日ごとに代わる代わる遊ぶような生活、ゆるい繋がりを維持し続ける関係性です。
しかし、30代、40代、50代になってもそうした生活で本当に大丈夫なのでしょうか。結局「家族」という新しい単位を生み出した方が、自分たちにとって利が多かったりしないでしょうか。
それとも10年後、20年後、30年後には「家族関係」以外の新しい繋がり方が社会制度レベルで十分確立されているのでしょうか? だとしたら私はその新しい関係性を人生に採用するのもやぶさかではありません。
しかし、いまだ婚姻関係以外ろくに望ましい関係性が制度化されていないのだとしたら、やはり私は婚姻制度を利用すると思います。

インターネットに対しては警戒心をもって当たるのが基本スタンスだという感覚があります。しかし、私は社会人になってからはネットの知り合いとオフで会うようになり、インターネットでの他人に対する「信頼」を回復していきました。
実際会ってみると「いい人だったな」と思うことがほとんどです。
そして一度会うと、それからはインターネットでのコミュニケーションが一層人間的なものになっていき、すごく健康的です。
それ以降、極力インターネットで目にする人たちを「人間」として見るようにしていますし、極力まともな人たちなんだろうと楽観視するようにしています。

そして、私自身インターネットでは「相手から見て信頼に値する人物であろう」と努めて振る舞うことを意識しているつもりです。

学生時代のような明確なタイムリミットもない中で、急激に人間関係の形を変えてしまうような一石を投じる勇気が、あなたにはありますか?
私にはありません。
ずっとこの幸福なぬるま湯に浸かっていたいです。
おそらく焦るのは、何かを失いそうになったときだけです。

そうですね、やはり「年齢の焦り」が生じるのを待つことにしましょう。
29歳頃になったら結婚を焦るはずです。そのとき私は知人の未婚女性に片っ端から求婚するでしょう(冗談ですが)。もうラブロマンスじゃなくてもいいので、利害が一致した人は結婚してください。
あるいはそのときもし同性婚が法制化されていれば、私自身選択肢が広がるのですが…。
(異性愛者の同性婚利用には以前からかなりロマンを感じてしまうのです…。結局実際はたぶん利用しないと思いますけど)。


やっぱり私は「飲み会で話すのに相応しいような内容であるにも関わらず、それを話す相手がいないから不特定多数に対して発信している」のでしょうか。
大学時代のお友だちともたまに会うのでこういうこと話すかもしれませんが、どこか新鮮さがない気もしますね…。
その一方で、新しくできた知人の人たちと話せたらまた違う刺激が得られて前に進めるかもしれません。しかし、こういう話題を投じるためには一歩踏み出す勇気がいる気がします。

やっぱり「勇気」が大事な気がするんですよね〜。
少年漫画でもっとも強く提示されてきた徳のひとつ「勇気」。勇気を発揮すべき場面が大人になってからたくさん出てきて私はいつも驚いています。何かを前に転がしていきたいなら、きっと「勇気」が必要になってくる気がするんですよね〜!
自分が今立っている場所が健康で安全で幸福な位置すぎて、もう何にも踏み出すことなんてできない気がしてきます。
けど、やっぱり本当はもっと、何かを変えていきたい気もするんですよね〜!!!!


ということで、ここまで読んでくださった方は本当にありがとうございました!😆

おわり


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