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『居る』意味の再考を強いられた2020年に感謝を

こんばんは、心太です。

新年明けまして、おめでとうございます。
なにかと慌ただしく、初めてなこと尽くしの2020年が終わり、2021年がやってまいりました。
長らく記事更新をしていませんでしたが、頭の片隅では「ひと段落したらカムバックしよう…」と虎視眈々と時期を見計らっておりました。
(noteから離れていた理由はまた後日記事で)

少しだけフォロワーも減ってしまいましたが、未だに心太をフォローしていただいている皆様には恐悦至極、感謝感激雨あられです。
2021年もマイペースに徒然なる記事を書いていきますので、何卒宜しくお願い致します<(_ _)>

心太にとっての2020年

自分にとって、2020年という年がどういった時間だったのかを少しだけ書き残しておこうと思います。

言わずもがな、2020年は新型コロナの流行で、世の中の様々な事柄が変わることを余儀なくされ、強制的にイノベーション・変革を強いられる年となりました。

私も、これまでは敬遠していたオンラインでのカウンセリングをせざるを得ない状況となりました。
0から、遠隔でのカウンセリングについての勉強と研修を積み、通信方法の確保や、予約申し込みや支払い方法の整備など、システムを作り上げました。

そういった意味では、心太にとっての2020年も多くの方と同様に、新しいことに挑戦し、七転八倒、猪突猛進した年だったと言えます。
いやあ、大変でした。
ですが、コロナ以前よりカウンセリングをしていた方と、オンラインで初めて繋げたときには、新たな時代の到来(←大げさ)に画面越しに喜びを分かち合ったことを思い出します。

そして2020年で、もう一つ考えたことは、『居る』ことの意味でした。

向き合う男女イラスト photo by sannoun

『居る』ことについて

昨年はこの『居る』を巡って、興味深いコメントをクライアント(←相談に来られる人)の方々にいただきました。
これらのコメントを、大きく分けると2つの内容に分けられます。

一つ目は、目の前に『居る』ことによる安心感、確かに感じられる存在感についてです。

文字にすると当たり前のように思えてしまいますね。
でも、ある人はオンラインの画面越しでも上記を感じられ、ある人は生身での接触を必要としておられました。

これらのコメントを聞いて、心太が考えたのは、ーーー

『居る』って人によって感じ方が違うんだな

ーーー、ということでした。


二つ目は、会わずともこころの中に『居る』ことができるということについてです。

昨年4月、5月の緊急事態宣言で、都内、関東一部では様々な施設が自主的に閉鎖をしたり、機能に制限を設けました。
心太所属の施設も、一時的にカウンセリング機能をストップすることとなり、クライアントさん達と会えない期間がありました。

その後、オンラインシステムの構築や自粛の緩和もあり、カウンセリングを再開することができました。
そのときに、久々にお会いしたクライアントさん達に言われたのは、ーーー

Aさん:「カウンセリングを再開したら話せると思うと、辛いことも不思議と耐えられた」
Bさん:「心太さんならなんて言うだろう、と思って自分にカウンセリングしてみました」

ーーーなどなどでした。

会わずとも、それぞれの胸の内で心太は躍動していたのですねえ…。
やや気持ち悪い言い回しをしてしまうほど、嬉しかったです。

記憶と言うこともできますが、過去の会話以上にそれぞれのクライアントさんの中で私は会話をし、存在感を持ち、確かに現在系で『居る』ようでした。


2021年の心太について

書きながら抱負のような、目標のようなものが定まりました。

より善く『居る』こと

私自身のカウンセリングの一つのテーマでもあった『共に在ること』をより強く、効果的なものにすべく今年も精進していきたいと思います。


それでは、また。


心太


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