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#508 口惜しさはどれほどだろうか!

それでは今日も山田美妙の『武蔵野』を読んでいきたいと思います。

今は賑やかな東京ですが、かつて戦国の世では、武蔵野でも戦があり、見るも情けない死骸が数多く散っています。しかし、当時の武蔵野は何もないところで、葬る和尚もなく、退陣の時に積まれた死骸の塚には、血だらけになった陣幕などがかかっています。

その外[ホカ]はすべて雨ざらしで鳥や獣に食われるのだろう、手や足が千切[チギ]れていたり、また記標[シルシ]に取られたか、首さえもないのが多い。本当にこれらの人々にもなつかしい親もあろう、可愛[カアイ]らしい妻子[ツマコ]もあろう、親しい交りの友もあろう、身を任せた主君もあろう、それであッてこのありさま﹆刃[ヤイバ]の串につんざかれ、矢玉[ヤダマ]の雨に砕かれて異域[イイキ]の鬼となッてしまッた口惜[クチオ]しさはどれ程だろうか。

「異域の鬼となる」とは、故郷から出て、そのまま帰ることが出来ずに亡くなることです。

死んでも誰にも祭られず……故郷では影膳[カゲゼン]をすえて待ッている人もあろうに……「ふる郷に今宵ばかりの命とも知らでや人の我をまつらむ」……露の底の松虫もろとも空しく怨[ウラミ]に咽[ムセ]んでいる。

「ふる郷に…」は、1333(元弘3)年、少弐貞経(1272-1336)と大伴貞宗(?-1334)に追い詰められた菊池武時(1292?-1333)が、子の武重(1307?-1338?)に託したとされる辞世の歌です。

それならそれが生きていた内は栄華をしていたか。なかなか左様[ソウ]ばかりでもない世が戦国だものを。武士は例外だが。ただの百姓や商人[アキウド]など鋤鍬[スキクワ]や帳面の外はあまり手に取ッた事もないものが「さア軍[イクサ]だ」と駆集[カリアツ]められては親兄弟には涙の水杯[ミズサカズキ]で暇乞[イトマゴイ]。「しかたがない。これ、倅[セガレ]。死人の首でも取ッて胡麻化[ゴマカ]して功名しろ」と腰に弓を張る親父が水鼻[ミズバナ]を垂らして軍略を皆伝[カイデン]すれば、「あぶなかッたら人の後[ウシロ]に隠れてなるたけ早く逃[ニゲ]るがいゝよ」と兜の緒を緊[シ]めてくれる母親が涙を嚙交[カミマ]ぜて忠告する。ても耳の底に残るように懐[ナツ]かしい声、目の奥に止[トド]まるほどに昵[シタ]しい顔をば「左様[サヨウ]ならば」の一言で聞捨[キキス]て、見捨て、さて陣鉦[ジンガネ]や太鼓[タイコ]に急立[セキタ]てられて修羅[シュラ]の街[チマタ]へ出掛ければ、山奥の青苔[アオゴケ]が褥[シトネ]となッたり、河岸[カシ]の小砂利[コジャリ]が襖[フスマ]となッたり、その内に……敵が……そら、太鼓が……右左に大将の下知[ゲジ]が……そこで命がなくなッて、跡[アト]は野原でこの有[アリ]さまだ。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!


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