#605 車夫は一体なにを頼まれたのか?
それでは今日も山田美妙の『花ぐるま』を読んでいきたいと思います。
自分が贔屓にしている芸妓を、見合い相手の兄である杉田先生が可愛がっていることに怒りが収まらない美佐雄さん。そこで、人力車夫に賄賂で5円を渡して、なにやら悪いことを企んでいます。
五円…たゞの車夫に五円の骨折賃[ホネオリシロ]!思へば注文の六[ム]づかしさも推測[オシハカ]られます。
けれど車夫は受取[ウケト]りません﹆ ー
「いえ、それは入[イ]りません」。
「なぜ。ぢやア頼みを聞入[キキイ]れないのか?」
「そりやア遣付[ヤッツ]けましやう。」
金も取らずに命令を聞くとは意外の事です﹆美佐雄の不審は濃くなるばかり、
「なぜ、金を取らないンだ。」
「いや宜[ヨロ]しうございます」。
「御取[オト]りな。取らないけりやア己[オレ]も安心が出来ない。」
「為[ス]る事は為[シ]ます。けれど、どう仰[オッシャ]ッても金は」…どう勧めても受取[ウケト]らぬ車夫の強情、美佐雄も困切[コマリキ]りました。が、次第に時刻は移ッて行[ユ]きます。
まさか、この車夫の正体って…
たゞ押問答[オシモンドウ]して居る内「杉田がもし帰ッてしまッたら」…さう思附[オモイツ]けば仕方なくあきらめて仕舞[シマイ]ました。いつか美佐雄と車夫とは左右へ立別[タチワカ]れて、やがて吩咐[イイツ]けられとほり車夫は車を曳いて梅本の前をうろついて居ると案の如くその内に梅本から呼止[ヨビト]められました。
呼ばれても妙な車夫です、入口に一寸[チョット]身をあらはして見たばかり、光の影に身を置いて注文を聞くありさま、梅本でも不審とは思ッたものゝ心にも注[ト]めず、本郷元町まで載せて行[ユ]けと命じました。
やがて芸者に送出[オクリダ]されて立出[タチデ]て来たのは美佐雄が言ッたとほり、紛[マギレ]も無い杉田素清です。直[スグ]に素清は車へ乗りましたが、どうしたか、あら/\しい体[テイ]です。芸者にも梅本の女主人[オンナアルジ]にも碌[ロク]に告別[イトマゴイ]の挨拶もせぬ程です。乗る…その途端…車夫ハさも何か思巧[オモイタク]んで居る様子でさッぱり目を杉田の方へ向けません。
「元町までだぜ」。杉田ハ言ひました。
が返辞は「ヘイ」と言ッただけです。「ヘイ」だか、「はイ」だか、それもよく区別は出来ないほどです。
世辞[セジ]の無い車夫だと思ッたばかり、客は車へ乗移[ノリウツ]る、乗移るや否[イナ]や、躊躇せずに曳出[ヒキダ]しました。あゝ杉田!兎に角、美佐雄の計画は此処[ココ]でまづ行はれて望みどほり杉田は美佐雄が頼んだ車へ乗りました。さてその美佐雄が車夫に頼んだ子細は?極めて陋[イヤ]しむべき手段です﹆車夫に吩咐[イイツ]けて杉田を究厄[キュウヤク]に陥[オト]さうと思ッたのです。はや杉田は、それゆゑ今は釜[カマ]の魚[ウオ]です。本郷元町まで行[ユ]く途[ミチ]…あら…その途には人どほりの罕[スク]ない処もありますのに…
「釜の魚」とは、魚は煮られたらおしまいということで、破滅寸前にあることのたとえです。
というところで、第十二回が終了します!
各回が短くなってきましたね…
さっそく第十三回へと移りたいのですが…
それはまた明日、近代でお会いしましょう!
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