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#643 今日で『蝴蝶』読了です!

それでは今日も山田美妙の『蝴蝶』を読んでいきたいと思います。

今日で『蝴蝶』も最終回!さっそく最終章の「その四」を読んでいきましょう!

さてもさても無情な世の中。花が散ッた跡で風を怨ませるとは何事です。月が入ッた後に匿[カク]した雲を悪[ニク]ませるとは、ても、無残な。風は空の根方[ネカタ]と共に冴亘[サエワタ]ッてやゝ紅葉[モミジ]になッた山の崖に錦繡[キンシュウ]の波を打たせている秋の頃、薄い衣[コロモ]を身に纏[マト]ッてその辺[アタリ]を托鉢[タクハツ]している尼の様[サマ]、面影はやつれても変りません、前の哀れな蝴蝶です。
羽を伸[ノバ]した事もなくて世にはその名に縁[ユカリ]ある夢の間[マ]に過ぐしました。実に蝴蝶、それも平家の紋処[モンドコロ]です。寿永四年の弥生[ヤヨイ]の春風に翼も切れて……そもそもこれが浮世ですか。思遣[オモイヤ]れば須磨浦[スマノウラ]の昔の歌、「掻曇[カキクモ]る雪気[ユキゲ]の空を吹変[フキカ]へて月になり行く須磨の浦風」。その吹変える風は寧[ムシ]ろ小笹[オザサ]を噪[サワ]がせたばかりです。

最後の文章にすべてが集約されてますね!こういうことができるのは、美妙の情景描写がうまいからだと思うんですよねぇ。

蝴蝶という女性が時代に翻弄されて、(蝶なのに)羽を伸ばした生活を送れることもなく夢のように過ぎてしまった…。これには、『荘子』の代表的説話「胡蝶の夢」も絡んでいます。

昔者、荘周夢為胡蝶 栩栩然胡蝶也 自喩適志与、不知周也 俄然覚、則遽遽然周也 不知周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与 周与胡蝶、則必有分矣 此之謂物化

昔者[ムカシ]、荘周[ソウシュウ]夢に胡蝶と為[ナ]る。栩栩然[ククゼン]として胡蝶なり。自[ミズカ]ら喩[タノ]しみ志[ココロザシ]に適[カナ]へるかな。周なるを知らざるなり。俄然[ガゼン]として覚[サ]むれば、則[スナワ]ち遽遽然[キョキョゼン]として周なり。知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか。周と胡蝶とは、則ち必ず分[ブン]有[ア]らん。此[コレ]を之[コレ]物化[ブッカ]と謂[イ]ふ。

昔、荘周は夢でチョウになった。ひらひらと飛んでいてチョウそのものであった。チョウであることを自分で楽しみ、満足した。自分が荘周であることに気づかなかった。突然目が覚めると、はっと我に返って、自分は紛れもなく荘周であった。荘周の夢でチョウになったのか、チョウの夢で荘周になったのかわからない。荘周とチョウとは、必ず区別があるはずだ。これこそを「物化(万物の変化)」というのである。

さらに蝴蝶と、平家の家紋も絡んでいます。平家の家紋のデザインは、蝶を模したもので、「蝶紋」と言います。平清盛(1118-1181)の父貞盛(生没年不詳)が天慶の乱(939年)討伐の功により、朝廷から拝領した鎧に「対い蝶」の紋があったことから、のちに平家の家紋として使用することになったといわれています。

しかも、蝶の羽を折ったのは、弥生の春風ということで、ここも、壇ノ浦の戦いがあった1185年の旧暦3月と裏切者の夫・二郎春風を掛けているわけですね。ちなみに壇ノ浦の戦いは、1185(元歴2)年ですが、この物語を執筆する契機となった古文書には寿永4(1185)年と表記されています。寿永は3年までで、1184年は元歴元(寿永3)年です。『蝴蝶』の前書きとなる古文書に関する内容は#506で少しだけ紹介しています。

ということで、今後に関しては…

また明日、近代でお会いしましょう!

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