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#653 依田氏は草稿に大した苦心をしません

それでは今日も山田美妙の『明治文壇叢話』を読んでいきたいと思います。

美妙は、徳富蘇峰・森田思軒・朝比奈知泉の三氏から、「文学会を組織しよう」という手紙をもらい、1888年9月8日、芝公園の三緑亭へと赴きます。午後五時半、出席の第一番は依田學海、依田は時間を間違えない性格のようで、会の集まりには誰よりも早く来るみたいで…。その後、続々と、坪内逍遥や森田思軒など、総勢11人が集まります。依田氏は、こういう集まりの時には、誰よりも早く来る性格のようで、依田氏が会合にいれば、場が賑やかになるそうで…。しかも禁酒禁煙で、芸妓に冗談すら言わない性格のようです。そんな依田氏と美妙には、些細な噴き出す話があるようで…。浅草での日本演芸協会の演習での帰り道、美妙は依田氏とバッタリ会います。演劇論から小説論へと話が及び、やがて年齢の話がはじまります。自分はすでに老年であることをまわりの若い文学仲間に伝えると、坪内逍遥が「先輩には後進の先導を…」と答えます。すると、笑いながら「漢文で先導でもしましょうか」と言って、美妙の『いちご姫』の「小君」の読み方について、「しょうくん」ではなく「こきみ」と読ませた方がいいのではないかと指摘します。美妙は、「しょうくん」と読ませた根拠を學海に説明します。その後、多くの文学仲間と海を見晴らせる離宮の築山へのぼり、旧幕時代との景色の変化の様子、依田氏の作品『応天門』草稿のきっかけとなる話をしたあと、市川団十郎が来たため依田氏との会話は終わりました。依田氏の性質は清潔を好み、規律正しく、読書を喜びます。書物は整然として、机に向かって静かに読む性質です。

ことに妙なのは、氏の書癖[ショヘキ]が日を逐[オ]ッて進む事です。数年前よりは、依田氏の書癖は物によつてかッてかわりました。が、今日[コンニチ]の勢ひでは玉石[ギョクセキ]いづれも喜んで通読し、しかもいづれにも面白味を覚えるとの事です。依田氏は草稿に大した苦心を為[シ]ません。一度稿を立てゝすこし直し、それから直[スグ]に清書してその向[ムキ]へわたします。校正は森田氏とかわッてみづから為[ナ]すことがあまり多く有りません。令嬢が下座敷でしらべる琴の音[ネ]を聴きながら、楼上に始終[シジュウ]筆をとります。
いつも集会の節[セツ]には依田氏の演劇論が始ります。
明治廿二年四月頃の文学会で依田氏と森田思軒氏と菅了法[スガリョウホウ]氏との間に盛[サカン]なその論が有りました。

菅了法(1857-1936)は、僧侶で衆議院議員でジャーナリストで、『西洋古事神仙叢話』と題して日本ではじめてグリム童話(のなかの11話)をまとまったかたちで紹介した翻訳者です。

今[イマ]依田氏の口吻[クチブリ]だけ書いて見ませう。
「だつて貴君、私にや感心されないよ。男之助[オトコノスケ]があんなに顔を真赤[マッカ]に染めたッて那[アン]な人間が実際有るもんか。それで鼠[ネズミ]イ……鼠イふんづかまへやうとしても鼠は逃げちやつた。そして弾正[ダンジョウ]が拋[ハフ]るあの手裏剣、あれがあとでさつぱり役に立ちやしない……」。

依田氏が言っているのは、人形浄瑠璃や歌舞伎で上演される演目『先代萩』の「床下」の場面だと思われます。御殿の床下でひそかに警護を行なっていた忠臣・荒獅子男之助が、巻物をくわえた大鼠を鉄扇で打つと逃げ去り、大鼠は煙のなかで眉間に傷を付けて巻物をくわえた仁木弾正の姿に戻るという場面です。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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