見出し画像

#1000 今日から紅露時代に突入だぁ!

ついに、この連載も1000回に到達してしまいました!決して狙ったわけではないのですが、今日から新たな道がスタートします!

没理想論争を読み終え、#660へと戻り、今日から新たな1891(明治24)年の道を歩き始めます!

それが「紅露時代」です!

1892(明治25)年、尾崎紅葉(1868-1903)は『三人妻』を、幸田露伴(1867-1947)は『五重塔』を発表して高い人気を得て、ともに作家としての地位を確立します。明治20年代は、このふたりの作家が文学界をおおいに盛り上げたため「紅露時代」と呼ばれました。先に紹介した坪内逍遥、森鷗外を含めて「紅露逍鷗時代」と呼ばれることもあります。

尾崎紅葉は、1883(明治16)年に東大予備門に入り、1885(明治18)年には山田美妙(1868-1910)、石橋思案(1867-1927)、丸岡九華(1865-1927)らとともに硯友社を結成し、『我楽多文庫』を発刊します。

山田美妙と尾崎紅葉は同い年で、出会いは6歳頃、近所に住む間柄でした。美妙は1879(明治12)年に東京府第二中学に入学し、紅葉は1881(明治14)年に同校に入学します。それが第一の再会です。1881年、東京府第二中学は東京府第一中学と統合し東京府立中学校となります。これが現在の日比谷高校です。ちなみに、幸田露伴は、1878(明治11)年に東京府第一中学に入学します。つまりこの三人は日比谷高校の同窓生です。ちなみに#054#055で紹介した上田万年(1867-1937)も日比谷の同窓生です。紅葉は、在学二年間で中退してしまいますが、その後、東大予備門で、美妙と第二の再会を果たします。

このあと、幼年期以来親友であった美妙と紅葉は、絶縁します。

美妙は1888(明治21)年に短篇集『夏木立』を金港堂から出版します。「籠の俘囚」「玉屋の店」「花の茨、茨の花」「柿山伏」「仇を恩」そして#507から#529にかけて紹介した「武蔵野」を含む全6作品を収録した短編小説集です。さらに美妙は、金港堂が発行する雑誌『都の花』の主筆を務めます。この当時の出来事を10年以上たった1901(明治34)年1月に雑誌『新小説』で紅葉は述懐します。

「十三号の発刊に及んで、硯友社の為に永く忘るべからざる一大変事が起った、其は社の元老たる山田美妙が脱走したのです。いや石橋と私との此時の憤慨と云ふ者は非常であった。何故に山田が鼎足の盟を背いたかと云ふに、之れより先山田は金港堂から夏木立と題する一冊を出版しました、是が大喝采で歓迎されたのです」

美妙の『夏木立』出版の翌年、吉岡書籍店が「新著百種」という新シリーズを立ち上げますが、その記念すべき第一号として尾崎紅葉に白羽の矢が立ちます。1889(明治22)年4月、紅葉は「新著百種」第一号『二人比丘尼色懺悔[ニニンビクニイロザンゲ]』を発表します。それまで紅葉の作品発表は、硯友社の同人雑誌内に留まっていました。当然このメジャーデビューにあたって、紅葉の脳裏には、美妙の活躍がよぎったに違いありません。

ということで、まずは、この『二人比丘尼色懺悔』を読んでいきたいと思うのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?