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#650 學海が『いちご姫』に関して美妙に指摘したこと

それでは今日も山田美妙の『明治文壇叢話』を読んでいきたいと思います。

美妙は、徳富蘇峰・森田思軒・朝比奈知泉の三氏から、「文学会を組織しよう」という手紙をもらい、1888年9月8日、芝公園の三緑亭へと赴きます。午後五時半、出席の第一番は依田學海、依田は時間を間違えない性格のようで、会の集まりには誰よりも早く来るみたいで…。その後、続々と、坪内逍遥や森田思軒など、総勢11人が集まります。依田氏は、こういう集まりの時には、誰よりも早く来る性格のようで、依田氏が会合にいれば、場が賑やかになるそうで…。しかも禁酒禁煙で、芸妓に冗談すら言わない性格のようです。そんな依田氏と美妙には、些細な噴き出す話があるようで…。浅草での日本演芸協会の演習での帰り道、美妙は依田氏とバッタリ会います。演劇論から小説論へと話が及び、やがて年齢の話がはじまります。依田氏は一緒にいた久米幹文に話しかけます。

依田氏の癖として物語する時に身をすこしづゝ揺[ユス]る方で、腰を掛けぬ座敷ではしッかり正しく座して時々膝の上へ手を累[カサ]ねて上ので下の手を擦[サス]りながら語り、また椅子の有る座敷では起[タ]ッて間手を後ろに合はせ、足をすこし動かしてそして話す方です。今久米氏に対しての挙動もまた是[コレ]でした。
「久米先生(依田氏は人を呼ぶに先生と多く言ひ、何某[ナニガシ]さんなど言ふのは少[スクナ]い方です)御年役なら御見受け申すところ私と先生ですな(「な」を加へるのが依田氏の語気[ゴキ]での常[ツネ]です)。先生御いくつですな?私はもう五十六ですが」。笑ひを含んで、久米氏は物ごしのをとなしい性質、声ひくゝ答へました。依田氏は語[コトバ]を受け取ッて、
「は、それぢや私より御老年ですな。はゝゝゝゝ」。言語[コトバ]を終[オワ]ッてから快くそして軽く、笑ふのは依田氏の常です。
「いや、もう、老人は最[モ]う恐れるよ」。誰を目ざして言ふので無く、殆[ホトン]ど独語と言ふ場合には依田氏も多くこの体[テイ]で言ひます。「若武者が轡[クツワ]づらをたてゝ現れて来るから」。

轡づらとは、手綱のことです。

「しかし先輩は又[マタ]」ゆる/\と春の屋主人坪内雄蔵氏が笑ッて口を容[イ]れました。
「後進の先導で……」
「はゝゝゝ漢文で先導でもしましやうか、はゝゝゝ」。
私は笑ッて答へぬ。その訳は依田氏が斯[コ]う言ッた言葉の真意がまだ分かりませんでしたから。更に引きつゞく言葉を待つ間程[アイダホド]なく
「淫婦[インプ]ですかな、淫婦」。
明らかに分かりました、依田氏はいちご姫に格別の深い考へを付けなかッたので、それ故私は只[タダ]うなづくのみでした。
「あ、それで何ですな、あの中に小君[ショウクン]といふのが有りますな」この度[タビ]はすこし気の加はッた語気でした。
「あの小君の読み方ですか、ありやア貴君は『せうくん』と御読ませでしたが、『こきみ』の方が宜[ヨ]さゝうぢやありませんか、芸者じみるけれど」。息を入れて更に語り継ぎ、「源氏あたりの例でもあんなのゝ音読は罕[マレ]ぢや有りませんか知らん。全体兄貴とか伯父貴とか言ふのも要するに兄君[アニギミ]、伯父君[オジギミ]の転訛[テンカ]で……」
一寸[チョット]話しが横道に入りました、ー
「私がそれゆゑ娘にも〇〇(仔細あッて此[コノ]名は空虚[カラ]にしました)と付けたんです。返答を熱心に待つ体[テイ]、そこで簡略に私も答へました、ー
「御もッとですが、公卿[クギョウ]項に小大君[ショウタイクン]といふのも有りましたでせう。後世の読み癖[グセ]もさう有るからにはそれからと思ッて小君[ショウクン]とつけました。それだけです」。

やっぱり『いちご姫』を読んだほうがいいような気がしてきました…w

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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