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#1001 今日から『二人比丘尼色懺悔』を読むぞぉ!

それでは、今日から尾崎紅葉の『二人比丘尼色懺悔』を読んでいきたいと思います。

自序
二人比丘尼色懺悔成る 例の九華。香夢楼[カムロ]思案[シアン]麻渓[マケイ]漣[サザナミ]眉山[ビザン]等[ラ]わが机をとりまき。

「九華」は丸岡九華(1865-1927)のこと、「香夢楼」は香夢楼緑[カムロミドリ](1866-1889)のこと、「思案」は石橋思案(1867-1927)のこと、「麻渓」は山本麻渓(1844-1923)のこと、「漣」は巌谷小波(1870-1933)のこと、「眉山」は川上眉山(1869-1908)のことです。みな硯友社のメンバーです。

言葉よりまづ大口[オオクチ]あいて笑ひ。爾[ナンジ]紅葉。若気のいたりからまた/\好色の書を著はすか。喝爾等[カツナンジラ]鞘の塗[ヌリ]で兼光[カネミツ]か竹光[タケミツ]か。判断がなるか。

「兼光」は名刀ですが、「竹光」は竹を削って刀のようにみせかけたものです。吉光・国光・兼光など、名高い刀匠の名には「光」がついていることが多いため、洒落気味に「光」をつけた造語です。「兼光か竹光か」とは、「本物か偽物か」という意味ですね。

そも色懺悔を題にして妙齢の比丘尼二人が山中の庵室[アンシツ]に奇遇し。古[イニシエ]を語り今を墓[ハカ]なみあふといふ脚色[シクミ]。一字一涙[イチジイチルイ]の大著作即ち是[コレ]と。薄汚なき原稿をさし出せば手にだも触れず腹を抱え。扨[サテ]も企図[クワダテ]のしほらしさよ。心根[ココロネ]のふびんさよ。茶番狂言の飯炊場[ママタキバ]が。情[ナサケ]なからうか悲しからうか。尺八に似た火吹竹[ヒフキダケ]。いかなる音[ネ]をやいだすらむ。爾性諧謔[ナンジセイカイギャク]。爾口善罵[ナンジクチヨクノノシル]。なぐり書[ガキ]の滑稽もの或[アルイ]は怪我の功名に。見らるゝもの出来[デカ]すやも計[ハカ]られず。爾[ナンジ]が悲哀小説-盲人が染小袖[ソメコソデ]の是非。其器[ソノキ]にあらずして之[コレ]を言ふは間違へるなり。鴝鵒[クコク]は済[セイ]を過ぎず。貈[カク]は汶[ブン]を渡って死す。鳥の知に如かざる紅葉。毛物[ケモノ]の愚に似たる悪太郎。労して物笑ひの種[タネ]となるとも。我等が知る所にあらず。我[ワガ]知る処[トコロ]なり。爾等[ナンジラ]が知る処に非[アラ]ず。

原文では「鴝鵒」に「クコク」というルビが振られていますが、おそらく「クヨク」の誤りかと思われます。前漢時代、淮南王劉安(前179-前122)が学者を集めて編纂させた思想書『淮南子[エナンジ]』巻一「原道訓」に、「鴝鵒不過濟 貈渡汶而死」という一文があります。

向横町[ムコウヨコチョウ]の東坡[トウバ]きのふ我に教へていふ。貧家は浄[キヨ]く地を掃[ハ]き。貧女[ヒンジョ]は巧[タクミ]に頭[トウ]を梳[クシケズ]る。ずいぶん骨を折てやって見なさいと。これわが宗旨[シュウシ]ちがひの小説を試むる所以なり。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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