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#634 「その二」は、浜に流れ着いた蝴蝶の様子から…

それでは今日も山田美妙の『蝴蝶』を読んでいきたいと思います。

今日から「その二」に入ります。

清くて、優美で、そして愛らしいものは六七歳の少女と浦の春景色ででもありましょう。その眉のまだ繊[ホソ]くて薄く、その顔のまだ肥えて固まらず、薄絹の頬に笑靨[エクボ]の泉をたたえて、こぼそうとは思わずに愛嬌の露をこぼす有様を見ては誰が一片[イッペン]きわめて高尚な愛情を起さずにいられましょう。夕日の紅[クレナイ]を解[ト]かして揉砕[モミクダ]いている波の色、その余光[ヨコウ]を味わうという有様で反射の綾模様を浮織[ウキオリ]にしている苫屋[トマヤ]の板びさし、しかも昨夜過ぎた春雨の足跡をば銀象嵌[ギンゾウガン]とも見立てられる蝸牛[カタツムリ]のぬめりに見せていながら、それで尚[ナオ]水際立って見える工合[グアイ]の美くしさ、余情は以心伝心です。
壇の浦つづきの磯づたい、白沙[ハクサ]の晃[キラ]めきを鏡として翠色[ミドリイロ]の色上げをば生温[ナマアタタカ]い浦風にさせながら思うまゝに悠然と腹這[ハラバイ]している黒松の根方[ネカタ]に裸体[ハダカ]のまゝ腰を掛けているのは、前回に見えた蝴蝶という少女です。実に西の嵐に東の日和[ヒヨリ]﹆花をたしなめる風雨を見ては誰が実を結ばせる末を思いましょう。わずか離れた処の修羅[シュラ]の巷[チマタ]はこゝに蜃楼[シンロウ]の影も留めず、一網[イチモウ]の魚[ウオ]に露命[ロメイ]を恃[タノ]む、いわゆる質朴の静かさばかりが苫屋の春を鎖[トザ]しています。

「一網の魚に露命を恃む」とは、はかない命を、網に掛かった魚を食べることでかろうじて保つこと、という意味です。

波にもてあそばれている鷗。可愛らしい銀色の足でちょろちょろと磯へ這上[ハイア]がって来るさざ浪。血腥[チナマグサ]いという言葉はこゝではただ魚の料理で僅[ワズカ]に悟るというばかり﹆すべて景色が、言うもおろか、さて空気を汚[ケガ]すべき非理[ヒリ]の福原[フクハラ]の別荘も、否、別殿も、有難いこと、まだありません。

平治の乱(1160)で勝利した平清盛は、1167(仁安2)年に太政大臣にまで昇りつめますが、僅か3ヶ月で辞任し、福原(現在の兵庫県神戸市中央区から兵庫区北部あたり)に居を移します。1169(嘉応元)年には邸宅・雪見御所を構え、この地で10年間を暮らします。日宋貿易に本腰を入れていた清盛は、宋との貿易拡大によって海洋国家の樹立を目指したともいわれ、三方を山に囲まれ、温暖で過ごしやすく、敵の攻撃に備えやすく、興福寺などの寺社勢力から逃れられるという理由から、高倉上皇(1161-1181)と平家一門の反対を押し切って、1180(治承4)年6月に遷都を強行します。安徳天皇や高倉上皇も福原の地に移ります。しかし、遷都反対の声は根強く、平安京を念頭においた都の造営が計画されます。内乱が激化すると清盛も新都造営を諦めなければならなくなり、高倉上皇の病状も悪化したため、同年11月24日に天皇以下、福原を離れ、わずか半年で、幻の首都となりました。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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