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#1032 小四郎が戦場へ向かう二つの目的

それでは今日も尾崎紅葉の『二人比丘尼色懺悔』を読んでいきたいと思います。

第三章は、小四郎が、館の別室で、先の合戦の傷を癒しているところから始まります。「御気分はいかがでござります」と芳野が介抱にやってきます。すると、芳野は「おめでとうございました。御祝言あそばしましたとやら……小四郎様……女と申す者は操が大事と申しますが、その様なものでござりますか。」……御台様の侍女を選んだ男……許嫁なのに振られた女……振った男を介抱する振られた女……。小四郎は答えます。「申すも愚か。女は操を守って両夫にまみえず。忠君は二君につかえず……」。芳野は呆れ顔で「私の申したことがお気にさわりましたか。そのような心で申したのでは御座りませぬ。女は両夫にまみえずと申しますが、殿御は沢山恋人をお持ちなされてもよろしいので御座りますか」。小次郎は答えます。「武士たるものにはあるまじき振る舞いで御座る。女とて忠義は忘れてはならず」。芳野は言います。「あなたは私は左近之助の娘ということを、お忘れあそばしましたのか」。「なにゆえにそのような事を……」「なにゆえとはお情けない!左近之助の娘なら、小さい折から浦松小四郎守真の許嫁の妻では御座りませぬか!あなたは左近之助に芳野という娘があることをお忘れあそばしたので御座りましょう!あまりといえばお情けない!」。しおらしくと心を配れど、顔を見ると恋はいやましに募り、恨みはひとしお深くなります。「お主様[シュウサマ]の命だとて、お主様も人では御座りませぬか。なぜ、左近之助の娘芳野という歴とした妻があると、おっしゃってはくださりませぬ!あなたの口から、わけをお話しあそばして、ご辞退くだすったら、それを無理にとはおっしゃりなさるまい。私のような不束者はイヤにおなりあそばしたゆえ、言い訳もおっしゃらず、ご祝言なされたので御座りましょう!」。八歳にして孤児となった小四郎を育ててくれたのは伯父上の左近之助……しかし、両国の合戦では、敵と味方に立ち別れてしまった……そこに降りかかる縁談……二世の契りか、君臣の縁か……

又[マタ]芳野が怨言[エンゲン]に。許嫁の我に秋を吹かして。萌え出[イズ]る草の若葉に見替[ミカエ]しとは。そもや乱心しての言葉か……心得ぬ。此[コノ]守真は甲冑を伊達[ダテ]に衣[キ]る男傾城[オトコケイセイ]と見たか。十余年の長[ナガ]の月日。小四郎が顔ばかりに気を奪はれて。皮一重[カワヒトエ]内[ウチ]の腸[ハラワタ]は。仇[アダ]に見過[ミスゴ]せしか。芳野といへば筒井筒[ツツイツツ]。振分髪[フリワケガミ]の許嫁。

「筒井筒」は、『伊勢物語』第二十三段の話で、幼馴染の男女がやがて結婚する物語です。

其両親[フタオヤ]は海山[カイサン]の恩を受けたる伯父と伯母。思案の外[ホカ]に迷へばとて。この義理を忘れやうか。若葉との祝言に熱鉄[ネッテツ]の盃を酌み新枕[ニイマクラ]の針の床[トコ]に。鬼と添寝[ソイネ]の夢を結びしは。讒言[ザンゲン]の外[ホカ]に身を措[オ]く一時の策略。もし芳野の事をいひ出して。二心[ニシン]の汚名を受けなば。味方の笞[シモト]に背を破られ。敵に濺[ソソ]ぐべき血汐[チシオ]をむざ/\流し。剰[アマツ]さへ馬革[バカク]に裹[ツツム]べき屍[カバネ]を藁席[ムシロ]に巻かれなむ。此身[コノミ]一時[イットキ]の苦痛は忍ぶに難[カタ]からざれど。万代[バンダイ]不朽の悪名[アクミョウ]は。守真が恥辱祖先の名折[ナオレ]。かほどの事を土百姓[ドビャクショウ]は甘んずるか。素町人[スチョウニン]は得忍[エシノ]ぶか。武士は得忍[エシノ]ぶか守真が甘んずるか。常に似ぬ愚痴の繰言[クリゴト]。爾[ナンジ]がそれを言[イウ]にはあらじ-恋が其[ソレ]をいはするか-恋には誰[タ]が性根[ショウネ]を奪はれし。此程[コノホド]守真が戦場へ向ひしに。二ツの目的あり。一[イチ]に主恩を報ずる事。二に遠山夫婦の恩を受け。芳野を妻と定めながら。若葉に添[ソイ]しは余義[ヨギ]なき主命[シュメイ]。半日[ハンニチ]なりと添ひしからは。主命に背[ソム]かず若葉の心を無にせず。扨[サテ]は一命[イチメイ]を捨て。遠山夫婦未婚の妻[サイ]芳野へ言訳[イイワケ]の事。出陣の砌[ミギリ]遺[ノコ]したる書置[カキオキ]も。此心を籠[コメ]しなり。

なるほど……お主様と伯父上へのふたつの恩を報じ、芳野と若葉のふたりの女の心を無にしないためには、戦場で死ぬ必要があったわけですね……

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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