見出し画像

#1011 なぜ亡き夫の遺言に背いたのか?

それでは今日も尾崎紅葉の『二人比丘尼色懺悔』を読んでいきたいと思います。

谷陰にひっそりと佇む庵……茅葺は黒ずみ、壁は破れ、竹縁は踏み抜けそうです。ここには暦日がなく、昼は木を伐る音に暮れ、夜は猿の声に更けます。そんな庵に、ひとりの比丘尼が訪れます。どうやら、慣れぬ山道に迷ったようで、一晩泊めてほしい、とのこと。21歳の主人が見るところ、客人は、ねたましく思うほどの容色で、自分よりも2歳ほど若くみえます。客人が主人を見ると、世に捨てらるべき姿、世に飽くといふ年で、自分の成れの果てかと思います。主人も客人も互いに一様の思いはありますが、言い出す機会がありません。夜が更け、梟が鳴き、狼の遠吠えが聞こえます。和紙で出来た蚊帳を吊り下ろして、ふたりは寝ることに……。主人のいびきが微かに聞こえてきますが、客人は目を閉じても心は冴えて眠れません。枕辺には、行燈の火影に、今は蚊帳となったかつての書き置きが映り、目に入ります。客人はその書き置きを読むことにします。どうやら、内容は、戦場へ赴く男が相手の女性にしたためた手紙のようです。涙ながらに読み終え、改めて手紙を見ると、筆跡が知っている人に似ています。そんなタイミングで主人が目覚めます。客人は書き置きを読んだことを伝え、たずねます。「この書き置きの宛名の『若葉』とは、あなたの俗の名では」「はい、若葉と申しました」「そのお姿では、まさしく討ち死になされた事と……」「仰せの通り、武士の手本となるような、目覚ましい最期を遂げた、とのこと」。涙ながらに語り合い、今度は主人が、客人に、尼となった物語をうながします。客人も、夫と死に別れ、尼となり、同行もなく行脚していたところ、道に迷い途方にくれ、この庵に辿り着いたといいます。そして、主人の優しい心・言葉が姉様のように思われ、そばに置いてほしいといいます。主人はその言葉を受けて……

⦅よう……おッしやいました。不束[フツツカ]な私[ワタクシ]を姉……私も親身の妹にでも逢ふやうに思はれます。物心つく頃に両親[フタオヤ]をなくし。幼少からお上[カミ]へ御奉公申上げ。縁づいて間もなく夫の討死[ウチジニ]。何の便[タヨリ]もない身の上。あなたのやうな妹でもあつたなら。憂[ウサ]を語る相手にもならうかと。ゆうべお目もじ致した時。つく/\思ひました。御覧の通りしがない活計[クラシ]。御辛抱さへ遊ばしますなら。十年が二十年なンの……いつまでも御出[オイデ]遊ばしまし⦆ 言葉に真実[マコト]を顕[アラ]はせば。客はなを涙-悲しいか……嬉しいか。
⦅そンなら今夜から姉上様……⦆
見かはす顔……見詰[ミツメ]あふ眼
⦅い……い……妹⦆
わァつと声を立てゝ。正体なく伏転[フシマロ]ぶ右と左
⦅もし姉様……もう此[コレ]からは他人では御坐りませぬ。お互ひに身の上を打明[ウチアケ]て。お話しが致したう御坐ります。あなたのそのお姿を見るにつけ。どうも不審が霽[ハ]れませぬ⦆
⦅この姿に不審とは……⦆
⦅さればで御坐ります。御書置に尼法師[アマホウシ]となるならば。未来まで縁を切るとの事。その御遺言にお背[ソムキ]遊ばして。御法體[ホッタイ]は何故[ナニユエ]で御坐ります⦆
⦅あァ夫[ソレ]をおつしやつて下さりますな。あなたがおつしやッても。草葉[クサバ]の陰[カゲ]から夫[オット]に申されるやうな思ひがいたします。あの通り呉ゝ[クレグレ]書置に夫[ソレ]を申しましたも。私[ワタクシ]の行末[ユクスエ]を心にかけての事。其志[ココロザシ]を無に致したいことはござりませぬが。たとひ七生[シチショウ]まで縁切られましても。あなたどうまァ二度の夫[オット]が持てませう……そンな女と思はれましたが。ざ……残念口[クチ]お……惜[オシ]うぞんじます。討死[ウチジニ]と聞いた時は。いッそ自害とまで思ひつめましたなれど。短慮[タンリョ]は出すなとの遺言。それかと申して生甲斐[イキガイ]もない身……世間の人は子にも親にも。替えて惜しむ-命のやりはがないと申[モウス]のは。前世にいかなる悪業[アクゴウ]を致した報ひでござりますやら……

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?