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#1006 眠れぬ夜の蚊帳の書き置き

それでは今日も尾崎紅葉の『二人比丘尼色懺悔』を読んでいきたいと思います。

谷陰にひっそりと佇む庵……茅葺は黒ずみ、壁は破れ、竹縁は踏み抜けそうです。ここには暦日がなく、昼は木を伐る音に暮れ、夜は猿の声に更けます。そんな庵に、ひとりの比丘尼が訪れます。どうやら、慣れぬ山道に迷ったようで、一晩泊めてほしい、とのこと。21歳の主人が見るところ、客人は、ねたましく思うほどの容色で、自分よりも2歳ほど若くみえます。客人が主人を見ると、世に捨てらるべき姿、世に飽くといふ年で、自分の成れの果てかと思います。主人も客人も互いに一様の思いはありますが、言い出す機会がありません。

⦅旅の疲[ツカレ]もさぞ。心置かず御寐[ギョシ]なれ⦆と紙帳[シチョウ]釣下[ツリオロ]して。切に主人[アルジ]の勧むれば。明朝[アイタ]を契[チギ]りて客はまづ臥戸[フシド]に。
里ならば初夜撞[ツ]くほどに夜[ヨ]は更けて。山を吾物[ワガモノ]に暴[ア]らす風-夫[ソレ]に吹転[フキコ]けじと。松の梢に取附く梟[フクロ]の濁声[ダミゴエ]。
夫[ソレ]に呼吸[イキ]を詰まらして。月に哮[ホザ]く狼の遠音[トオネ]。庭にたまりし落葉[オチバ]の。又夫[ソレ]が為めに揉まれて。どッと一度に板戸を打てば。夢を破られし客の比丘尼は。目を見開き……今眠りしと思ひしに……同じ床[トコ]に主人[アルジ]の寐姿[ネスガタ]。
外は凄く内は寒く。目を閉ぢても心は冴え。微[カス]かなれど耳につく主人[アルジ]の鼾[イビキ]。枕辺[マクラベ]に夜[ヨ]を護[マモ]る行燈[アンドウ]の火影[ヒカゲ]に。紙帳[シチョウ]の反古[ホグ]の文字。鮮やかに読まれければ……読む気もなく-寐られぬまゝに首をあげて。眼近[メヂカ]なる一通を見るに
一書[ヒトツカキ]……書置[カキオキ]……の事

「紙帳」とは、和紙で作った蚊帳のことです。眠れぬ比丘尼は行燈の明かりを頼りに、蚊帳として再利用された「かつての書き置き」を読みます。

一筆[ヒトフデ]申のこし候[ソロ]。我此度[コノタビ]戦場へ罷り向ひ候上[ソロウヘ]は。一命[イチメイ]はなき物との御覚悟有之度候[コレアリタクソロ]。勝負はもとより時の運に候[ソロ]の間。相構[アイカマエ]て捨[スツ]る命に極まれるにも候[ソウラ]はず。やがて目出度[メデタク]凱陣[ガイジン]致さん事も。有之[コレアル]べきかなれど。兼[カネ]て今日[コンニチ]を期[ゴ]し候[ソロ]千歳[センザイ]の一時。仇に過[スゴ]すべきや。日頃の主恩を報ず可きに候得[エ]ば。比類まれなる忠戦[チュウセン]に美名[ビメイ]を留め可申[モウスベキ]所存に候。宿世[スグセ]いかなる縁[エン]に候てか。忝[カタジケ]なくも御上様[オンカミサマ]の御仲立[ナカダチ]を以て。おんみと祝言致し候過分[カブン]の条。人々に羨[ウラヤ]まれ候[ソウラ]ひしも。夢の世のしばしにて。浅からぬ御情[ナサケ]の嬉れしく。玉椿[タマツバキ]の八千代。二葉[フタバ]の松の末と頼みしも。今は仇と相成[アイナリ]候。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!


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