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#1023 ただ一言「許してやる」とのお言葉を……

それでは今日も尾崎紅葉の『二人比丘尼色懺悔』を読んでいきたいと思います。

第二章の「戦場の巻」は、庵の主人である尼の夫である浦松小四郎のはなしのようです。
暁の空に、雪景色。小沢の近くに古い梅の木。低い梢に血が滴る生首が三つ結び付けられ、赤く染まる幹の二股に寄せかける若武者……。鎧の袖の板はちぎれ、草摺の板はほつれ、胴には血のまだら。額から眉を割って斜めをいく切り傷、赤をにじむ眼、うす青む面色。水際まで寄り、氷を破って、我が顔を水鏡に映して見詰め、顔の傷を洗い、辺りをまわして肩呼吸。半身を起き上げた、そのとき、右の太腿にヤリが!骨をも貫いたか!?見れば、小具足をつけた雑兵。「下郎!推参な!」……しかし、相手は一言も返さず、矢声高く切り下ろす。太腿に刺さったヤリを抜き取り、敵の胸板めがけて投げつけるが、体をひねって、斬り掛ってきます!つけいる若武者の切っ先を受け損じ、右の肩のはずれを割りつけられますが、すかさず二の刀で細首を打ち落とします。そんなとき、手綱を激しく搔い繰る音が!はたして敵なのか……味方なのか……。やってきたのは、白栗毛の馬で駆け来る武者!褐色の鎧に、獅子頭の前立物に、金の鍬形!小四郎に気づかず通り過ぎるところを後ろから、「浦松小四郎守真なり!御不足ながら御相手仕らむ!」……武者は、こちらを篤と見て、「やー小四郎か!」、なんと武者の正体は伯父上です!伯父上に傷の治療をしてもらっていると、突然、弾丸の音が響きます!小四郎は「これより戦場へ引き返し、華々しく斬り死に致す所存!」というと、伯父上は答えます。「いい所存!いい覚悟!しかし、おん身の勢は無残な敗軍。ひとり群がる敵に斬り込んで目覚ましい働きをしたところ、急に味方の勝利になるではなし。いわば犬死……。合戦は今日一日に限るでなし。十分手当をして、英気を養ったうえで、存分の働きをしやれ!」。すると小四郎は伯父上を恨めし気に見遣ります。「死すべき時に死せざれば、死ぬにましたる恥辱。それが名を惜しみ義を重んずる武士の御意見か!なにゆえ、潔く討ち死にせよと仰せられて下さりませぬ!却って御厚意を恨めしく存じます。伯父上……さらばでござります!伯母上にもよろしく御伝言頼みあげます。改めてお詫びを致しますは、芳野殿の事……」

黙然[モクネン]としてひそ/\涙を拭ひ。耳を清[ス]ませし左近之助[サコンノスケ]。わが娘の名を聞くや否[イナ]。身を背けて鞍[クラ]の前輪[マエワ]に。兜を犇[ヒシ]と押[オシ]つけ。堰留[セキトメ]し奔流[ホンリュウ]一時に注ぐ涙。如何[イカ]なれば……所以[ユエ]あらむ
⦅風の便[タヨリ]に承[ウケタ]まはれば。不束[フツツカ]なる小四郎を思ひ詰められ。頼みなきほどのお煩[ワズラ]ひ……難有[アリガタ]いお志[ココロザ]し……御伯父上始め伯母上の御心痛。御推量申します。これと申すもみな不義なる拙者がなす業[ワザ]。御免下さりまし。芳野殿と拙者とは幼少からの許嫁[イイナズケ]。今日明日[キョウアス]と祝言[シュウゲン]の延/\[ノビノビ]に相成る内両家[ウチリョウケ]の確執。其処[ソコ]へ足下から鳥の立つやうな御台様[ミダイサマ]のお言葉。たツて侍女[コシモト]の若葉と縁組[エングミ]せよ。仲立[ナカダチ]してとらせると……往生づくめの祝言。御主人の仰[オオセ]なりとも。かね/\許嫁の妻を余所[ヨソ]にするとは。いかなる人非人[ニンビニン]と。御二方[オフタカタ]の思召[オボシメシ]も御座りませうが。よく/\申すに申されぬ。深い仔細のある事と。お免[ユル]し下さるやうに願ひます。此度[コノタビ]小四郎が討死[ウチジニ]も。不義の天罰と思し召して。御無念をお晴らし下さりまし⦆

「御台様」とは、大臣や将軍の妻に対して用いられる敬称です。小四郎には芳野という許嫁がいたのに、御台様からの縁組で、御台様の侍女の若葉を妻にしたわけですね……

武重は鼻を啜[スス]り。声をうるませ
⦅なンの……なンの。お身が若葉殿とやらと祝言の義については。拙者を始め奥[オク]はいふに及ばず。む……む……娘まで。共々に毎日喜び泣[ナキ]にな……ないて居る。娘[ムスメ]芳野は知る通りの不束者[フツツカモノ]。気に入らぬは尤[モットモ]千万[センバン]……⦆
いひも切らざるに。矢庭[ヤニワ]に守真立上[タチアガ]り。股[モモ]の痛手[イタデ]に摚[ドウ]と倒れ。倒れながら武重の脛楯[ハイダテ]に取縋[トリスガ]り。おろ/\声を震はし。
⦅そりや伯父上……そりや伯父上あ……あ……余りでご……御座ります。その様[ヨウ]に御立腹では。小四郎が此世[コノヨ]の心懸[ココロガカ]り。冥土[ヨミジ]の障[サワ]りになりまする。犬畜生にも劣ツた恩知らずの顔を。御覧なさるもこれ限り。不敏の者と思し召して。たヾ一言[ヒトコト]許してやる……とのお言葉を……さもなくば。あの世へまかり越し。どうも父に逢はす顔が御座りませぬ。何卒お心解[ココロトケ]られて……これ伯父上ゆ……ゆるしてやるとのお言葉を……土産[ミヤゲ]に心やすく死出[シデ]の旅が。い……致したう御座ります⦆

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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