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#1010 どうぞおそばにおめしつかいあそばして!

それでは今日も尾崎紅葉の『二人比丘尼色懺悔』を読んでいきたいと思います。

谷陰にひっそりと佇む庵……茅葺は黒ずみ、壁は破れ、竹縁は踏み抜けそうです。ここには暦日がなく、昼は木を伐る音に暮れ、夜は猿の声に更けます。そんな庵に、ひとりの比丘尼が訪れます。どうやら、慣れぬ山道に迷ったようで、一晩泊めてほしい、とのこと。21歳の主人が見るところ、客人は、ねたましく思うほどの容色で、自分よりも2歳ほど若くみえます。客人が主人を見ると、世に捨てらるべき姿、世に飽くといふ年で、自分の成れの果てかと思います。主人も客人も互いに一様の思いはありますが、言い出す機会がありません。夜が更け、梟が鳴き、狼の遠吠えが聞こえます。和紙で出来た蚊帳を吊り下ろして、ふたりは寝ることに……。主人のいびきが微かに聞こえてきますが、客人は目を閉じても心は冴えて眠れません。枕辺には、行燈の火影に、今は蚊帳となったかつての書き置きが映り、目に入ります。客人はその書き置きを読むことにします。どうやら、内容は、戦場へ赴く男が相手の女性にしたためた手紙のようです。涙ながらに読み終え、改めて手紙を見ると、筆跡が知っている人に似ています。そんなタイミングで主人が目覚めます。客人は書き置きを読んだことを伝え、たずねます。「この書き置きの宛名の『若葉』とは、あなたの俗の名では」「はい、若葉と申しました」「そのお姿では、まさしく討ち死になされた事と……」「仰せの通り、武士の手本となるような、目覚ましい最期を遂げた、とのこと」。涙ながらに語り合い、今度は主人が、客人に、尼となった物語をうながします。

⦅はイお心にかけられた其尋問[オタズネ]。思出すも涙の種。はかない身の上で御坐ります⦆
姫百合[ヒメユリ]は首[クビ]を垂れ。ホロリ飜[コボ]す露[ツユ]一ト雫[シズク]。湿[ウル]む声を震[フル]はして。

横書きになると、わかりにくいですけど、漢数字の「一」にカタカナの「ト」で「露ひと雫」です。

⦅両親ともに世に在[ア]りながら。頼む夫[オット]に死別[シニワカ]れ。味気ない身の浮世を観じ。仏の御弟子[ミデシ]となりまして。話しにきゝ-絵で見たやうな旅路を。同行もなくさまよひあるき。死ぬにもましな艱難辛困[カンナンシンク]。夫[オット]の事は片時[カタトキ]忘[ワスレ]る間[マ]は御坐りませぬが。また其様な時は両親が一入[ヒトシオ]恋[コイシ]くなりまして。身も世もあられぬ思ひでござります。今宵も道に迷ひまして。心細く途方に暮れました処ろ。火影[ヒカゲ]を目的[メアテ]にお門[カド]まで参りまして。御無心を申しあげましたに。心よく御承知被下[クダサレ]。またお目に懸[カカ]ツてお話申せば。お優しいお心-おやさしいお言葉。どうやら姉様のやうに思はれて。もうあしたから廻国[カイコク]致すがいやになりました……どうぞお傍[ソバ]におめし仕[ツカ]ひ遊ばして。阿伽[アカ]を汲め。花を折て来い……汚れた物の洗ひ濯[スス]ぎ。何なりと御用を仰[オオセ]つけて下さりまし……もし……お……お願ひで御坐ります⦆
真白く細き手を合せ。涙浮[ウカ]ぶる眼に主人の顔を。なつかしげに見つむれば。主人は顔を横にして。かれが涙を拭[ヌグ]ふとき。此[コレ]が袂[タモト]も濡れたりし。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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