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#1069 畜生男めと歯がみして悔しがりぬ

それでは今日も尾崎紅葉の『三人妻』を読んでいきたいと思います。

小〆は、たくさんの客のなかをうろつき、から騒ぎに騒ぐ芸で、才蔵は心から見た目までが柳橋芸者の正銘。菊住は自分のことを、日本に幾人もザラにある女と思い、鯛の旨味を知っている口で鰯のめざしをつまみ食いして旨がる天邪鬼、才蔵様のありがたみを知らせてやるべき!あれしきの男に捨てられて、あれしきの女に取られたと思えば腹も立つ。芸者のなかの芸者と人に言われる自分が、あのような男にのぼせて、世間の物笑いになるのは、熱湯を飲まされるよりもつらい。友人の金太郎の手前、苛立ちを酒で紛らわすも、金太郎は歯痒がりて、どうする料簡か、と問います。

外[ホカ]の座敷に人の無きこそ幸ひなれ、二人して彼房[アノヘヤ]へ飛込み、小〆の髻[タブサ]を取りて引[ヒキ]まはし、泣顔[ナキツラ]を撲[ハ]りつけて、詫証文[ワビショウモン]の代りには、地黒[ジグロ]を隠す厚化粧の頬に、こいつ助平と筆太[フデブト]に記し、三日の間[アイダ]其面[ソノツラ]にて坐敷へ出させるやうに屹[キッ]と談[ダン]じ、男はこれから家[ウチ]へ伴還[ツレカエ]り、散々膏血[アブラ]を絞りて一間[ヒトマ]へ押籠[オシコ]め、三日の間[アイダ]断食[ダンジキ]させてから、七日が間箱奴[ハコヤ]につかうて放してやりたし。畜生男めと切歯[ハガミ]をして口惜[クヤシ]がりぬ。
才蔵は徐[シズ]かに制して、畜生と思ふたら腹の立つことはあるまじ。其様[ソノヨウ]なるはしたなき事して、いよ/\衆[ヒト]に嗤[ワラ]はれな。外[ホカ]に思はくもあれば、何も知らぬ顔して胸を撫[サス]り、此場[コノバ]は大人しく済まして、近き内になるほどゝいはるゝ事をして見すべし。十郎の台辞[セリフ]ならねど、じつと辛抱しやいのと立花屋の仮声[コワイロ]。

十郎のセリフとは、おそらく1676(延宝4)年に江戸中村座で初演を迎えた歌舞伎『寿曽我対面[コトブキソガノタイメン]』のことかと思われます。曽我十郎・五郎の兄弟が朝比奈三郎の手引きで、父のかたきである工藤祐経[スケツネ]と対面し、血気の五郎がいきりたつのを兄の十郎が「じっと辛抱しやいのう」となだめ、工藤と再会を約して別れるという筋です。

金太郎もこの不覊[ノンキ]に呆れて力[チカラ]を落し、いかなる仕返しの思はくか知らねど、余りといへば張合[ハリアイ]なきお前の腑効[フガイ]なさ。長年同胞[キョウダイ]同様の中なる、お前の恥辱[ハジ]は私の恥辱[ハジ]。お前が構はぬとならば強[タッ]てとはいはぬほどに、私には私だけの一存[イチゾン]あれば、必らず構うて下さるな、と立たんとする袂[タモト]を捉へ、顔を背けて涙を飲み、関係[カケカマエ]なき他人でさへ、それほどに思ふものを、精神[ムシ]の無きにもあらぬ我身[ワガミ]が、何として無念に思はざるべき。お前の腹の癒[イ]ゆるほどの仕返しは、きつとして見せうほどに、此場[コノバ]は私に任せて、といかにも屹[キッ]としたる思附[オモイツキ]のあり気[ゲ]に見えければ、金太郎も納得して、さらば必ず此儘[コノママ]にはしたまふな。 我も柳屋の才蔵なり。

というところで、「その五」が終了します!

さっそく「その六」へと移りたいのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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