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#569 夜中に乗せた憂い顔の美人

それでは今日も山田美妙の『花ぐるま』を読んでいきたいと思います。

昼間は学生、夜は人力車夫の力造さんですが、同級生は、力造さんが人力車夫をしていることを知りません。薄々感づいているのは、下宿屋の主人で、どうやら、風の便りでそのことを知ったようです。品行が良く、下宿料を滞納しない力造さんが、夜な夜な働いていることを知って、ますます尊く思い、下宿料を安くしてやりたいとも思い始めます。力造さんの下宿は本郷にあり、人に悟られぬように、芝のほうへ出掛けてから、服を着替えて車夫となります。暇さえあれば、法律雑誌を読む姿に車宿の親方さえ感服して人力車の借用代を安くさせたほどです。その日も車宿へ出掛け、雑誌を読みながら待っていると、近所の家から依頼が来ます。力造さんの他には誰もいなかったため、急いで身支度をします。身を切り刻むような寒さで、すでにほとんどの家が戸を下ろしています。町のさびれた様子と、そこを歩くさびれた人々…

頼まれて行ッて見ると頼んだ家は格子戸づくりの二階家[ニカイヤ]で先代には御神燈[ゴジントウ]でも釣下[ツリサ]げたらしい花車[キャシャ]な家です。

御神燈とは、職人や芸人の家で、縁起担ぎに神仏の名を書いて戸口に吊るした提灯のことです。

「ヘイ車がまゐりました」。音信[オトヅ]れて待ッて居る内に出て来たのは十七前後の女生徒[ジョセイト]風の処女[オトメ]です。この処女[オトメ]が乗ッテ帰ることゝ見えて、それを送ッて出て来た主婦と見える女が力造に向[ムカ]ひ本郷真砂町[マサゴチョウ]までやッてくれろと命じました。

現在の本郷一丁目・二丁目・四丁目にあたる真砂町も、#567で紹介した本郷弓町同様、1965(昭和40)年4月1日の住居表示の実施に伴い現行の住所に編入され消滅した町丁です。この真砂町に坪内逍遥や二葉亭四迷も住んでいました。

本郷真砂町…どうも本郷にのみ縁が多くあります。帰車[カエリグルマ]に為[ナ]ッて都合は宜[ヨ]さそうですが、時はまだ宵[ヨイ]の程[ホド]、猶[ナオ]稼がなくてはならぬものを…けれど客ハ逃がせません。承知しましたと挨拶してその処女[オトメ]が乗移[ノリウツ]るまで待ッテ居て不図[フト]顔を見ると…
顔を見ると前夜[ゼンヤ]見た阿梅[オウメ]に似て居たか。などゝ此処[ココ]では看客[カンカク]も御たづねなさいましやう。
决[ケッ]して左様[ソウ]ではありません。前夜見た時にも顔形[カオカタチ]まではわかりませんものを。
顔を見て力造が不審を抱いたのはその処女[オトメ]が憂顔[ウレイガオ]をして居る事です。そればかりか送ッて出て来た主婦の顔にも同様の雲がたなびいて居ます。そればかりか二人の間にも応答が活潑[カッパツ]でありません。
「はて、不審、何か仔細[シサイ]がありさうだ」。考深[カンガエブカ]い力造の心はいゝ餌[エ]を得て頭[カシラ]を揚[モタ]げます。
が、そのまゝで曳出[ヒキダ]しました。折々[オリオリ]風の工合[グアイ]でぷンと来る香水のかをり…(决して白粉[オシロイ]のではありません)、何か処女[オトメ]の身の動くたびに快く鳴く衣服[キモノ]の声……察するに美人らしう厶[ゴザ]います。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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