見出し画像

#1036 嬉しいが五分なれば、悲しいも五分

それでは今日も尾崎紅葉の『二人比丘尼色懺悔』を読んでいきたいと思います。

第三章は、小四郎が、館の別室で、先の合戦の傷を癒しているところから始まります。「御気分はいかがでござります」と芳野が介抱にやってきます。すると、芳野は「おめでとうございました。御祝言あそばしましたとやら……小四郎様……女と申す者は操が大事と申しますが、その様なものでござりますか。」……御台様の侍女を選んだ男……許嫁なのに振られた女……振った男を介抱する振られた女……。小四郎は答えます。「申すも愚か。女は操を守って両夫にまみえず。忠君は二君につかえず……」。芳野は呆れ顔で「私の申したことがお気にさわりましたか。そのような心で申したのでは御座りませぬ。女は両夫にまみえずと申しますが、殿御は沢山恋人をお持ちなされてもよろしいので御座りますか」。小次郎は答えます。「武士たるものにはあるまじき振る舞いで御座る。女とて忠義は忘れてはならず」。芳野は言います。「あなたは私は左近之助の娘ということを、お忘れあそばしましたのか」。「なにゆえにそのような事を……」「なにゆえとはお情けない!左近之助の娘なら、小さい折から浦松小四郎守真の許嫁の妻では御座りませぬか!あなたは左近之助に芳野という娘があることをお忘れあそばしたので御座りましょう!あまりといえばお情けない!」。しおらしくと心を配れど、顔を見ると恋はいやましに募り、恨みはひとしお深くなります。「お主様[シュウサマ]の命だとて、お主様も人では御座りませぬか。なぜ、左近之助の娘芳野という歴とした妻があると、おっしゃってはくださりませぬ!あなたの口から、わけをお話しあそばして、ご辞退くだすったら、それを無理にとはおっしゃりなさるまい。私のような不束者はイヤにおなりあそばしたゆえ、言い訳もおっしゃらず、ご祝言なされたので御座りましょう!」。八歳にして孤児となった小四郎を育ててくれたのは伯父上の左近之助……しかし、両国の合戦では、敵と味方に立ち別れてしまった……そこに降りかかる縁談……二世の契りか、君臣の縁か……小四郎が戦場に向かう目的はふたつ。お主様と伯父上へのふたつの恩を報じ、芳野と若葉のふたりの女の心を無にしないため一命を捨てること……芳野は恨めしく、なお小四郎を責め、ついには「いっそ死にとうござります。楽しみない命を長らえて、こんな苦労を致すより…」と言います。そんな芳野に小四郎は「あらためてお願いござりますが聞いて下さるか」と言います。「私を夫と思う心に偽りはござらぬか」「偽りはござりませぬ」「それほど思うて下さるのに、なぜ隠し立てをなさる」「あなたは根もないことをこしらえて、私の願いを叶えぬようにあそばす心でござりますな」「左様な卑怯者ではござらぬ。一昨日、伯父上から便りがござりましたろう」「えぇっ」「その便りを聞かして下され」

いかにして守真は知りけむ。此[コノ]便[タヨリ]といふは左近之助が陣中から凱戦の吉報。自害をとげ。名あるは同じ道にと屍[カバネ]を晒[サラ]し。憶[オク]せるは降人[コウニン]となり。落人[オチウド]となりけり。此[コノ]便[タヨリ]に母を始め下人[ゲニン]まで。われが命拾ひせる嬉しさ。父が目出[メデ]たき帰館[キカン]は。小四郎がやる瀬なき遺恨。笑ふてよきやら泣[ナイ]てよきやら。芳野の胸苦[ムナグル]しさ。⦅父上がお帰り遊ばす⦆。と機嫌顔[キゲンガオ]に母がいふを。義理にも泣顔[ナキガオ]はならず。人情としても喜ばねばならず。嬉しいが五分なれば。悲しいも五分。父の凱陣[ガイジン]言ひ換[カエ]て敵の敗軍。其[ソレ]と聞かれたら嘸[サゾ]や守真の歎[ナゲキ]。戦[イクサ]の吉報を母から耳に入[イ]るゝと同時。目に浮[ウカ]ぶは守真が涙の顔。心に浮ぶは守真が遺憾の情。⦅此上[コノウエ]もなく目出[メデ]たいに何を不吉な……涙を出す⦆と母に詰[ナジ]られて包むによしなく ⦅嘸[サゾ]小四郎様が御無念で……⦆と一思[ヒトオモ]ひに言放[イイハナ]てば ⦅道理⦆と一言。あとは貰ひ泣[ナキ]にして暫時[シバラク]あり。⦅味方敗軍と聞かれたら利かぬ気[キ]の小四郎殿。早まツた事するも知れず。此[コレ]は父上がお帰[カエリ]まで必らず秘めて……⦆ ⦅あィ⦆と覚束なく答えたりしが。今[イマ]守真にとひつめられ⦅語らうか⦆ 母の言葉の如く。もしもの事ありては…… ⦅陰[カク]さうか⦆我恋[ワガコイ]は此[コノ]返事一ツに成りもし。破[ヤ]ぶれもす。実[マコト]を語らば。一時[イットキ]我恋叶ふても。小四郎様の一命[イチメイ]。語らずば我恋は此儘[コノママ]朽ちて我命[ワガイノチ]まで……我恋-人の命。いづれ軽重[ケイチョウ]の別[ワカチ]なく。思案に迷ひしが……我から語らずとも終[ツイ]には露[アラ]はれむ。
⦅母の堅[カタ]い申しつけゆへ。深くお包み申して居[オ]りましたが。陰[カク]し立てする水臭い女と。お疑[ウタガイ]遊ばすゆへ申上[モウシアゲ]ます……から。どうぞ私[ワタクシ]のお願[ネガイ]を……⦆
⦅慥[タシカ]に……⦆
⦅屹度[キット]で御座りますか。実は敵方[テキカタ]はさん/″\に破れて。大将までが討死[ウチジニ]。あしたあたりは父上も帰ると母上の話しで御座ります⦆
⦅なニ大将までう……う……討死……⦆

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?