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#511 九段あたりへ踏み込んだふたりの武者

それでは今日も山田美妙の『武蔵野』を読んでいきたいと思います。

今は賑やかな東京ですが、かつて戦国の世では、武蔵野でも戦があり、見るも情けない死骸が数多く散っています。しかし、当時の武蔵野は何もないところで、葬る和尚もなく、退陣の時に積まれた死骸の塚には、血だらけになった陣幕などがかかっています。鳥や獣に食われたり、手や足がちぎれていたり、首さえないのも多い。これらの人々にも懐かしい親や可愛らしい妻子があったろう。なのに、刃の串につんざかれ、矢玉の雨に砕かれて、口惜しさはどれほどだろうか。では生きているうちは栄華をしていたかというと、百姓や商人は、なかなかそうはいかないだろう。鋤鍬や帳面以外に手に取った事がない者が、「さあ戦だ」と駆り集められて、陣鉦や太鼓に急き立てられて修羅の街へ出掛ければ、野原でこのありさまとなる。時は、秋の午後4時ごろ、山のはしが茜色の光線を吐き始め、野のはずれが薄樺色の隈を加え、遠山が紫になり、原の果てに逃げ水をこしらえる頃、西のほうから二人の武者が歩いてきます。ひとりは軍事に慣れたような出で立ちの五十前後の男、もうひとりは十八九の若武者で、こちらも雑兵ではない様子…

この頃のならいとてこの二人が歩行[アル]く内にも四辺[アタリ]へ心を配る様子は中々泰平の世に生まれた人に想像されない程[ホド]であッて、茅萱[チガヤ]の音や狐の声に耳を側[ソバタ]てるのは愚[オロカ]なこと﹆すこしでも人が踏んだような痕[アト]の見える草の間などをば軽々[カロガロ]しく歩行[アル]かない。生きた兎[ウサギ]が飛出[トビダ]せば伏勢[フセゼイ]でもあるかと刀に手が掛かり、死んだ兎が途[ミチ]にあれば敵の謀計[ハカリゴト]でもあるかと腕がとりしばられる。その頃はまだ純粋の武蔵野で、奥州街道は僅[ワズカ]に隅田川の辺[ヘン]を沿うてあッたので、中々通常の者で只今[タダイマ]の九段[クダン]あたりの内地へ足を踏込[フミコ]んだ人はなかッたが、その些[スコ]し前の戦争の時にはこの高処[タカミ]へも陣が張られたと見えて、今この二人がその辺へ来掛かッて見回すと千切[チギ]れた幕や兵粮[ヒョウロウ]の包[ツツミ]が死骸と共に遠近[アチコチ]に飛散ッている。

ここでいう「前の戦争」とは、一体いつの戦争を指しているんでしょうかね…

この体[テイ]に旅人も首を傾けて見ていたが、やがて年を取ッた方が徐[シズカ]に幕を取上げて紋処[モンドコロ]をよく見るとこれは実に間違[マチガイ]なく足利の物なので思わずも雀躍[コオドリ]した﹆
「見なされ。これは足利の定紋[ジョウモン]じゃ。はて心地よいわ」。と言われて若いのも点頭[ウナズイ]て、
「そうじゃ。酷[ムゴ]い有様[アリサマ]でおじゃるわ。あの先年の大合戦[オオカッセン]の跡でおじゃろうが、跡を取収[トリオサ]める人もなくて……」

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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