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#611 第十五回は、ついに杉田先生に顔を見られたところから…

それでは今日も山田美妙も『花ぐるま』を読んでいきたいと思います。

今日から第十五回に入ります。タイトルは「第十五輛 曳出[ヒキダ]す面会の話」です。

うッかりとなるばかり、心は全[マル]で物思[モノオモイ]の巣になッて居る内にいつか人力車は本郷元町まで来ましたが、もとより力造は杉田の家を知ッて居ます、心で命令するでも無くておのづから足もかねて心覚[ココロオボエ]の方へ向き、やゝ杉田の家[イエ]の前まで来て、はッと気が注[ツ]き、それと知らせぬため、わざと足を急にして今やその家[イエ]の前を通過[トオリス]ぎさうにするその途端客の杉田も声を掛けました。
車を留[トド]めて杉田は蝦蟇口[ガマグチ]を取出[トリイダ]し、銭[ゼニ]を数へやうと思ひましたが暗くてわかりません。そこで提灯を見せろと言ひました。
これには力造も困りました。今こそは下手[ヘタ]にまごつくと顔を見られます。無論今日の美佐雄の始末は此処[ココ]で打明[ウチア]かさず、翌日無名の郵便で知らせやうと思案は决[サダ]めて居たのです。それ故、今の処、どうかして杉田に顔を見られまいと思ふばかり﹆仕方なく提灯をば差出[サシダ]しましたが、顔は横に背けて居ます。
しかし提灯を差出す時、どこやら躊躇して居た車夫の訝[オカ]しな素振[ソブリ]、それには杉田も気が注[ツ]きました。銭を数へながら車夫の顔を見れば…
もぢ/\して顔を背けて居ます。が、頬被[ホホカム]りの間にほのめく横顔のけはひ、
何処やら自分の記憶にある人の顔らしく思はれます ー 誰[タレ]とはまだ考[カンガエ]もつきませんが。
「十銭か」。杉田は問ひました。
「はイ」。
きはめて簡畧[カンリャク]な応答があッたばかりですが、しかし杉田がいよ/\不審と目を注[ツ]けた事は「はイ」とこたへた車夫の返辞[ヘンジ]、それを言ふのに車夫は顔を此方[コチラ]に向けません。
心理にも背いて居るをかしな素振[ソブリ]、どうしても子細が有りさうです。おもひやれば此時[コノトキ]の力造の胸の噪[サワ]ぎ、さぞ混雑して居ましやう。
処へ実に間[マ]のわるい時には間のわるい物です、気が附かぬ間に提灯の蠟燭がたふれました。と知ッた時にハ既に早提灯[ハヤチョウチン]は燃出[モエダ]しました。如何に様子を売ッて居た孔雀[クジャク]でも横嵐[ヨコアラシ]でハ羽[ハネ]を翥[ハタ]きます。
意外な事の攻撃にはつひ力造も顔を此方[コチラ]へ向けました。しかし四辺[アタリ]は数倍[スバイ]の明らかさ。暫時[ザンジ]杉田も目をば提灯に注[ソソ]ぎましたが、しかしその心の不審は忽[タチマチ]にその目の方向[ムキ]を変へさせました。
見ました、実にこの時こそ始めて杉田も本当に力造を見ました。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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