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#1012 なびく性ある柳は、無心の風になびく

それでは今日も尾崎紅葉の『二人比丘尼色懺悔』を読んでいきたいと思います。

谷陰にひっそりと佇む庵……茅葺は黒ずみ、壁は破れ、竹縁は踏み抜けそうです。ここには暦日がなく、昼は木を伐る音に暮れ、夜は猿の声に更けます。そんな庵に、ひとりの比丘尼が訪れます。どうやら、慣れぬ山道に迷ったようで、一晩泊めてほしい、とのこと。21歳の主人が見るところ、客人は、ねたましく思うほどの容色で、自分よりも2歳ほど若くみえます。客人が主人を見ると、世に捨てらるべき姿、世に飽くといふ年で、自分の成れの果てかと思います。主人も客人も互いに一様の思いはありますが、言い出す機会がありません。夜が更け、梟が鳴き、狼の遠吠えが聞こえます。和紙で出来た蚊帳を吊り下ろして、ふたりは寝ることに……。主人のいびきが微かに聞こえてきますが、客人は目を閉じても心は冴えて眠れません。枕辺には、行燈の火影に、今は蚊帳となったかつての書き置きが映り、目に入ります。客人はその書き置きを読むことにします。どうやら、内容は、戦場へ赴く男が相手の女性にしたためた手紙のようです。涙ながらに読み終え、改めて手紙を見ると、筆跡が知っている人に似ています。そんなタイミングで主人が目覚めます。客人は書き置きを読んだことを伝え、たずねます。「この書き置きの宛名の『若葉』とは、あなたの俗の名では」「はい、若葉と申しました」「そのお姿では、まさしく討ち死になされた事と……」「仰せの通り、武士の手本となるような、目覚ましい最期を遂げた、とのこと」。涙ながらに語り合い、今度は主人が、客人に、尼となった物語をうながします。客人も、夫と死に別れ、尼となり、同行もなく行脚していたところ、道に迷い途方にくれ、この庵に辿り着いたといいます。そして、主人の優しい心・言葉が姉様のように思われ、そばに置いてほしいといいます。主人はその言葉を受けて、私も親身の妹にでもあったようだと答えます。そして、御覧のとおりの暮らしだが、辛抱できるのならおいでと言います。すると、客人は、さきほどの書き置きに関する疑問を主人にぶつけます。夫から尼になるなら未来までの縁を切ると言われたのに、どうして尼になったのか、と。それに対して主人は、七生まで縁を切られても、どうして二度の夫が持てるのか、自害をするなとも言われ、さりとて生き甲斐もない身……このあと話は以下のようにつづきます……

夫[オット]といふは私[ワタク]し同様。幼ない折双親[フタオヤ]に死別[シニワカ]れ。伯父とやらに-これとても実の伯父では御坐りませぬ。いはヾ他人に育てられ。縁者といふは御坐りませぬ。もし私[ワタクシ]がない後では。死[シン]だ夫[オット]の命日忌日[メイニチキニチ]を。誰[タレ]あッて廻向[エコウ]を致してくれませう。修羅の妄執[モウシュウ]もなく。成仏すると立派に申しても。合戦とはいひながら人の命を取ッた夫[オット]。あの世で仏様がおゆるしなさるはづは御坐りませぬ。私[ワタクシ]が出家いたした為に。夫[オット]の未来の苦艱[クゲン]が少しでも助かる事なら。連添[ツレソ]ふ女房の役目。去られましても……私[ワタクシ]の寸志[スンシ]。夫[ソレ]ゆへのこの姿で御坐ります。たヾ返す/\恨めしいは。「わがなき後で再縁せよ……」余りといへば私[ワタクシ]を見下[ミサゲ]た言葉。つれ添ふた日はわづか半月ばかりゆゑ。私[ワタクシ]の心を疑[ウタ]ぐッての言葉かは知りませぬが。女夫[メオト]となるまでの私[ワタクシ]の苦労……⦆
客の比丘尼は流石に処女気[オボコギ]
⦅そンならあの恋婿様[コイムコサマ]とやらで御坐りますナ⦆
問ふに何の心もなけれど。靡[ナビ]く性[セイ]ある柳は。無心の風に靡く。主人[アルジ]は口籠[クチゴモ]り。
⦅は……はイ⦆ いひながら羞[ハズ]かしげに笑み。顔を背けて。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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