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#1003 我にも判断のならぬ異様な文体を創造せり

それでは今日も尾崎紅葉の『二人比丘尼色懺悔』を読んでいきたいと思います。

『二人比丘尼色懺悔』には、序文と本文のあいだに、こんな一文があります。

作者曰[イワク]
一 此[コノ]小説は涙を主眼とす
一 時代を説かず場所を定めず。日本小説に此類少し。いかなる味の物かと好心[スキココロ]に試みたり。難[ナン]者あらば。ある時ある処[トコロ]にて。ある人々の身の上譚[バナシ]と答ふべし。
一 文章は在来の雅俗折衷おかしからず。言文一致このもしからずで。色々気を揉みぬいた末[スエ]。鳳[ホウ]か鶏[ケイ]か-虎か猫か。我にも判断のならぬかゝる一風[イップウ]異様の文體を創造せり。あまりお手柄な話にあらずといへど。これでも作者の苦労はいかばかり。それをすこしは汲分[クミワケ]て。御評判を願ふ。
一 対話は浄瑠璃體[テイ]に今時[キンジ]の俗話調を混[コン]じたるものなり。惟[オモン]みるに。これを以て時代小説の談話體[テイ]にせんとの作者の野心
一 前述の通り。世間在来の文とは。下手なりにも趣[オモムキ]を異[コト]にすれば。読人[ヨムヒト]一見[イッケン]してつらいといふ。作者は少しもつらからず。我つらからざるを人々何ゆへにつらしといふや。専ら句読[クトウ]をたよりに再読の御面倒を請[コ]ふ
 月 日
紅葉山人

地の文は異様の文体で、対話は浄瑠璃体に俗話調を混ぜていると……となると、逍遥とも四迷とも美妙とも違うっぽいですね!これは楽しみですねぇ!それにしても、読む人が一見して「つらい」と言うって、どんな文章なんでしょうね!w

ということで、いよいよ本文へと参りましょう!

発端 奇遇の巻
罌粟[ケシ]は眉目容[ミメカタチ]すぐれ髪長し。常は西施[セイシ]が鏡を愛して粧台[ショウダイ]に眠り。後世[ゴセ]なんどの事は露ばかりも心にかけぬ身の。一念の恨[ウラミ]によりて。ごそと剃[ソリ]こぼして尼[アマ]になりたるこそ。肝[キモ]つぶるゝ業[ワザ]なれ……百花譜-許六

森川許六[キョリク](1656-1715)は江戸時代前期の俳人です。松尾芭蕉(1644-1694)に入門し、芭蕉より六芸に通じた多芸の才人であったことから「許六」と言う号を授けられたといわれています。1706(宝永3)年、許六は、芭蕉の遺志を受け継ぐかたちで、門人29人の文章を収録した『本朝文選』を編纂します。10巻9冊もので約120編の俳文を21類の文体に分けて集めたもので、「百花譜」は、巻の三・譜類に収録されています。

というところで、いよいよ物語の本文へと入りたいのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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