見出し画像

『古事記ディサイファード』第一巻054【Level 7】 ヤカミヒメを捜せ!(1)

【Level 7】ヤカミヒメを捜せ!

どんな真実も、発見してしまえば誰でも簡単に理解できる。
大切なのは、発見することなのだ。

        ガリレオ・ガリレイ


【ミッション20】ヤカミヒメはどこにいる?

 状況を打開するため、ここで少し違う角度から手がかりを捜してみよう。

 筆者の妻が夢に霊告を受けた件をご記憶だろうか?
 あの夢の中では神山のヴィジョンとともに〈生山〉という漢字二文字の字幕が現れた。夢を見た日付はミアレ祭りの日、時刻はミアレ神事が行われていた正にその時刻だった。
 京都の神山の画像を見た妻が夢に出てきた山の形と同じだと言った。神聖な山で頂上に磐座があり禁足地であるという点も一致。神山は通称ミアレ山と呼ばれ、〈御阿礼山〉、あるいは〈御生山〉とも記することがわかった。
 〈御〉が接頭辞だとすれば、夢に出てきた字幕は御生山のことに違いないと思われた。
 さらに夢の中で謎の人物から次のような点の羅列が記された紙片を手渡されたという。

  ・・・・・・・・・ ・・・・・・
  ・・・・・・ ・・・・・・
  ・・・・・・ ・・・・・・
  ・・・・・・ ・・・・・・
  ・・・・・・ ・・・・・・
  ・・・・・・ ・・・・・・
  ・・・・・・ ・・・・・・
  ・・・・・・ ・・・・・・
  ・・・・・・ ・・・・・・
  ・・・・・・・・・ ・・・・・・

 全部で十行あり、行ごとの点の数を数字に書き直すと次のようになる。

  96
  66
  66
  66
  66
  66
  66
  66
  66
  96

 これは正に八重垣、八岐大蛇を示唆しているのではないだろうか?

 仮にそうだとすれば、66キロの〈垣〉が八つ並んでその両端に更に96キロの〈垣が〉一本づつ連なるということだと推測される。


 仮に白兎海岸付近のどこかに最後のポイントがあるものと仮定すれば、その座標は【ミッション11】で前述したようにおそらく出雲の熊野大社からの距離が96キロメートルであると思われる。

 おそらく、66キロメートルの八つの垣の最後のポイントは弥高山から66キロメートル台、熊野大社から96キロメートル台になる地点のはずだ。

 白兎海岸の各ポイントの熊野大社からの距離がどうなっているかを検証してみよう。

 熊野大社から白兎神社への距離は96.3kmである。

白兎神社 96.3km


 熊野大社から白兎川下神社への距離は96.8kmである。 

白兎川下神社 96.8km


 熊野大社から気多岬東屋への距離は96.2kmである。

気多岬東屋 96.2km


 気多岬最北端への距離は95.9kmである。

気多岬最北端 95.9km


 熊野大社から淤岐之島への距離は96.1kmである。

淤岐之島 96.1km

 なんと、五カ所のうち四カ所までが96キロメートル台となることがわかる。96に満たないのは気多岬の最北端のみである。
 白兎海岸付近に弥高山と出雲熊野大社の両方からの条件を満たす座標があるということではないだろうか?
 やはりヤエガキ・ヤマタノオロチ仮説はおそらく正しいのだ。方向性としては合っているのではなないか……?
 この近くのどこかに求むべきポイントがあるに違いない!
 我々は真相の直ぐ近くまで迫っているということだ。
 ただ、最後のポイントがまだ割り出せていないだけ。
 もしその座標がどうにかして巧妙に隠されているのだとしたら……?

 ここでもう一度原典に当たってみようではないか。何かヒントが隠されているかもしれない。
 以下は稲羽の白ウサギのエピソードの原典読み下し文である。
 この文面を見ていて気付くことはないだろうか?
 あるいは本稿に収録した超圧縮版古事記でも良い。
 ジッと読み返していると何か見えてこないだろうか……?
 この中に何か暗号メッセージのようなものが含まれているのでは……?

故此の大国主神之兄弟の八十神坐し然るに皆の国者大国主神を於避ひき避ひし所以者其の八十神各に稲羽之八上比売と婚はむと欲ひし之心有り共に稲羽に行かむとせし時、大穴牟遅神に於袋を負ほし従者の為に率往て行きき於是気多之前に到りし時裸の菟伏しき也

爾八十神は其の菟に謂ひしく汝の将に為むとすること者此の海の鹽を浴び、風の吹くに当たりて而高き山の尾の上に伏せと云ひき故其の菟は八十神之教の従に而伏して爾其の鹽乾るる隨に其の身の皮悉風に吹かれ見て拆けし故に痛く苦しく泣き伏せ者最後に之来し大穴牟遅神其の菟を見て言ひしく何由に汝は泣き伏すや菟答へて言ひしく僕は淤岐の嶋に在り雖此の地に度らむと欲へど度り無く因故海の和邇を欺きて言はく

吾は汝与競ひて族之多かるか小かるか計るを欲る故汝者其の族在るを隨へ悉率い来て此の嶋自り気多の前于至で皆を列ね伏せ度せ爾吾は其の上を踏み走り乍読み度らいて於是吾が族与孰の多かるかを知らむとすと此如言へ者欺かえ見て而列ねて伏しし之時吾其の上を踏み読み度らいて来たり今将に地に下りむとせし時吾云はく汝者我に欺かえ見ぬと言ひ竟へて即ち伏しし最も端の和邇我を捕へ我が衣服を悉剥ぎき此に因りて泣き患へ者先に行きし八十神之命誨へ告りしことを以いて海の鹽を浴び風に当たり伏しき故教の如為れ者我が身悉に傷れき

於是大穴牟遅神其の菟に教へ告たまふ今急ぎ此の水門に往き水を以て汝が身を洗へ即ち其の水門之蒲黄を取り敷き散らして而其の上を輾り転べ者汝が身は本の如きに膚必ず差ゆ故教へが如く為れば其の身は本の如し也此が稲羽之素菟者也今に於者菟の神と謂ふ也故其の菟大穴牟遅神に白さく此の八十神者必ず八上比売を不得袋を負ほせと雖汝が命之を獲べし

(つづく)

※ 最初から順を追って読まないと内容が理解できないと思います。途中から入られた方は『古事記デイサイファード』第一巻001からお読みいただくことをお薦めいたします。

※ 本記事の内容の第三者への無断公開、無断転載を固くお断りいたします。場合によっては法的な措置をとらせていただきますのでご注意ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?