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『古事記ディサイファード』第一巻022【Level 3】京都(10)

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 以上、京都の図形に関して旧拙著小説からの抜粋引用だったが、これもほぼ実録であり、勿論データは全て現実である。
 京都の図形で特に注目していただきたいのは二等辺三角形〈六角堂ー半国高山ー翠黛山〉の底角が66度、頂角が48度であり、〈神山ー金閣寺榊雲ー下鴨神社〉の底角も66度、頂角が48度であること。
 一つの三角形の内角で96と66の両方を表現しており、それが二重の相似形となっている。
 しかも翠黛山ー半国高山ラインの方位角は266度に揃えてきている。

六角堂ー半国高山ー翠黛山 神山ー金閣寺榊雲ー下鴨神社


 まるで「偶然じゃないからね」と念を押しているような意図を感じるのは筆者だけであろうか?
 執筆開始当初に漠然と考えていた近未来SFのストーリーでは主人公が何らかの神託を受け、その内容と現実のデータが一致する、という流れを漠然と想定していたのだが、なんと書き始めた途端にそれが実際に起きてしまったのである。
 実はもっと判明している図形があるのだが、ある御神職に確認したところ神秘なので明かせないとのご回答をいただき、その座標に関しては敢えて触れないことにしている。

 練習問題なので今回はこれだけにとどめているが、実は大和三山にしても神山にしても、例に示した地域の内部的な繋がりに限らずもっと大きく他の地方とも様々な繋がりを持っている。それらに関しては際限が無くなってしまうのでまた別な書籍に譲るとしよう。
 どの地域にしても情報量が多すぎて一枚の図に納めるのは無理なのである。 
 京都の他にも一つの都市の中で同様に図形の出来る例は国内に多数存在する。
 これらの図形はオーパーツ(OOPARTS)であると言える。
 繰り返しになるがオーパーツとは Out of Place Artifacts の略でその時代、場所に常識ではあり得ないと考えられるにも関わらず厳然と存在しているもののことである。
 つまり、我々の「常識」に疑問を投げかける存在である。
 典型的な例がギザの大ピラミッドだ。
 昔はクフ王の墓である、などという一言で片付けられていたが、今はそんなことを鵜吞みにしている人など少ないのでは無いだろうか?
 明らかにただの王墓ではないということが誰の目にも明らかになってきている。現在の技術を総動員しても建造不可能な恐ろしい精度であの建造物は建てられている。建てられた時期も従来の考古学で言われていたよりももっと古く、少なくとも二万年以上は経過しているらしいことが明かである。

 ほとんどが英語ではあるがインターネット上にはピラミッドに関する最新の知見に関する記事がふんだんにあるので一度チェックしてみていただきたい。
 今現在の地球上の技術と重機を総動員してもギザの大ピラミッドを建造することは不可能である。
 にも関わらず二万年以上前になぜあのようなものが建造できたのだろうか?
 我々の歴史認識は根本から間違っているのではないだろうか?
 同様に、なぜ、古都にこのような巨大図形が存在しうるのかという疑問が浮かぶ。これらは根本的に同質の問題であると筆者は感じる。
 単なる偶然なのか、それともそこに時空を超えたマスタープランが存在するのか、我々はよくよく考えてみる必要があるのではないだろうか。
 もし偶然ではないのだとしたら、目の前に厳然と巨大なオーパーツが存在しているのに我々は全く気づかないまま千年もその上で暮らしてきただけでなく今現在もその上に住んでいることになる。
 
 ちなみにニ点間の距離と方位角を正確に計算するためにはGoogleマップやGoogle Earth はお薦めできない。座標は正確で信頼できるが距離に関しては生活実用上の用途しか考慮しておらず、地球楕円体のゆがみまで考慮した正確な地球物理学的計算を行っているものかどうか不明だからである。ただ、実際やってみると大規模な図形では同じ結果が出ることは出るので問題ないのかもしれない。
 筆者が最初に古事記を解読した当時、この原稿執筆時点から数えると二十七年前であるが、一カ所を分析するだけでも数週間かかる大変な作業だった。
 しかし今は専用のアプリなども存在しており当時とは比較にならない速さで分析が可能になっている。
 当時数週間かかっていたものが今はものの五分で完了する。筆者の勘が鍛えられ慣れているということはあるにしても雲泥の差である。
 筆者はもう四半世紀に渡り5000件以上もの座標分析を行ってきたが最近は基本的にヴィンセンティ(Vincenty)の式によっている。
 地球上のあらゆる地点を何千箇所も分析した結果、経験的にこの方法が最も正確であると感じている。
 因みにこのような図形をレイラインと呼ぶ向きが多いようだが、筆者はアルフレッド・ワトキンスが言う所謂レイラインとは区別すべきだと考えている。
 奈良、京都で示したような図形は一部レイラインも含むが、基本的にはレイラインとは異なるものと捉えるべきである。
 筆者はレイラインと区別するために便宜上〈Jライン〉とか〈シンキオロジック・ライン〉と呼ぶことにしている。シンキオロジーは筆者が作り出した造語で、シンクロニシティとアーキオロジーを組み合わせた言葉だ。
 本書では簡単な方を選んで以降はJラインと呼ぶことにしよう。Jはジャパンの頭文字を取り、レイラインと語呂を会わせたのである。
 ご存じのようにレイラインとは英国のアマチュア考古学者のアルフレッド・ワトキンスが名著『The Old Straight Track: Its Mounds, Beacons, Moats, Sites and Mark Stones』の中で提唱した概念で3つ以上の古代遺跡の座標が直線上に並んだ場合にレイラインと仮定するというのが基本的な考え方である。彼は英国の最後に「レイ」が付く地名が直線上に並んでいることに気づいてこれをレイラインと呼んだ。古代人は意図的にこの仮想ライン上に遺跡を作ったのではないかとする考え方だ。
 それに対して筆者が考えるJラインは必ずしも直線上に3つ以上の座標が並ぶことを要件とはせず、ニ点間の距離や方位角のみで意味のある数値が出た場合にJラインとして考えるのである。さらに直線が交わる場合にはその角度、三角形ができる場合にはその底角や頂角の数値にも注目する。
 そして、座標は必ずしも古代遺跡や神社、火山などに限らない。時代も過去に限定せず、現在、未来をも含む。
 現代のJラインについての詳細は後続の巻で証明していくつもりである。
 しかし、その出発点はあくまでも一三〇〇年前に書かれた古事記なのである。

【ミッション6】96と66の意味

 96、66とは何を意味する数値か、考察せよ。

 さてここで一度立ち止まってみよう。
 しつこく登場する96、66という数値は一体何であろうか?
 一体これらは何を意味するのだろうか?
 直感の鋭い方はこの時点で気づかれるかもしれない。
 この解答は本書の後半部に出てくるため、ここではまだ開示を控えさせていただく。■

(つづく)

※ 最初から順を追って読まないと内容が理解できないと思います。途中から入られた方は『古事記デイサイファード』第一巻001からお読みいただくことをお薦めいたします。

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