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『古事記ディサイファード』第一巻014【Level 3】京都(2)

 明らかに、この夢は普通じゃない。
 夢を見たのは麗桜だが、どう考えても自分に宛てたメッセージとしか思えなかった。
 時空は麗桜には一度も話したことがないプロジェクトについて打ち明けることにした。
「実は……、今小説を書き始めたところなんだ。
 古事記の暗号を実際に解き明かしてしまうミステリー小説だ。SF的な要素もあるけど……。そう、出来るだけハードSFを目指したい……絵空事ではなく、本当に解いてしまうんだ」
「古事記の……暗号……?
 架空じゃなく?
 本当に解いちゃうの?」
 麗桜は怪訝そうな視線を送りながら小首を傾げた。
「それで今ちょうど大まかなシナリオを作り始めたところなんだ。とりあえず舞台は京都からスタートしようと思ってるんだけど……」
「そうなの……?」
 時空が暗号の概要を説明し始めると麗桜の顔には次第にうっすらと驚愕の色が浮かび始めた。
「なるほど……そういうことなのね……」
「多分、この夢は何かを知らせようとしている。
 きっとこの山は実在するに違いない。
 この小説を書くならばまずこの山については絶対に外すな……ということなんじゃないかな……?」
 2人はしばし目を見合わせて沈黙した。
 そして次の週末に図書館へ行ってこの山が実在するかどうか調査してみることに決めた。
「ついでに、小説の最初のシーンを京都にしようとなんとなく決めたけど、考えてみれば俺たち京都について何にも知らないだろ。何か京都関連の資料も探してみようか」
「そうね。それがいいわ」
 麗桜は頷いて時空が描いた暗号の略図をじっと見つめた。

市立中央図書館
北海道札幌市
一九九六年五月一九日、午後三時二五分

「おっ、あったぞ。ウブヤマだ」
 時空が肘で麗桜の肩をつつき、地図帳の九州のページを開いて彼女の前に差し出した。そして、阿蘇山の近くの一点を指で示した。
「産山村でしょ、私もさっきそれ見たけど字が全然違うわ」
 麗桜がきっぱりと否定した。
「生きるっていう字に山だったの。それにこの地形は全く夢に出てきた映像と一致しない」
 札幌市立中央図書館の解放感に溢れた半円形の吹き抜けのあるこの場所が時空は気に入っていた。
「これ以上調べても無駄ね……やっぱりウブヤマ……セイザンなんて存在しないんじゃ……」
 麗桜がため息を漏らした。
 分厚い『山の辞典』にも〈生山〉は全く載っていなかった。
「いや、そんなはずはない。
 だってそんなにはっきり見えたんだろう?
 絶対に只の夢じゃない。誰かが、何かを知らせようとしているんだ」
 麗桜は怪訝そうに時空の真剣な目を覗き込んだ。
「誰かって?」
「そりゃあ、わからないけど……」
 彼は周囲を気にして声を潜め、口ごもった。
 麗桜はそんな時空の考えに無条件に迎合するわけでも、頭ごなしに否定するわけでもなく、窓の外に見える青空をじっと見つめたまま表情を変えない。
「確かに普通の夢とは違っていたわ。写真にはっきりと文字が浮かび上がったのよ」
「だから、ウブヤマはきっとある。それにさ、さっき見た本で初めて知ったんだけど、酒井勝軍はケルト十字の形の光が上空に現れるのを見てからピラミッドを探すようになったんだそうだ。君のあの夢には何か秘密がある。ものすごく気になるんだ」
「サカイ……? だあれ、それ?」
「和製インディ・ジョーンズを地でいってたような人さ」
 二人は真剣な顔でお互いの目を見つめ合ったまましばらく黙りこくっていた。先に目をそらしたのは麗桜の方だった。
「ねえ……もうそんなことどうでもいいわ。折角来たんだから京都の下調べでもしない? 閉館までまだ一時間以上あるわよ」
「そうだな……」
 時空は気乗りしない様子で腕時計を見ながらしぶしぶ頷いた。彼にとってはどうでもよくは無かった。
 あの夢が今の最大の関心事だ。
「しかし、京都の本なんてあるのか?」
「旅行コーナーがあるよ。今、持ってくるね」
 麗桜は途端に張り切って本棚の森の中へ消えた。
 時空は幾種類もの地名辞典と日本地図帳を閉じるとテーブルの上に積み重ねて考えに耽った。ウブヤマは地名辞典に載らないほど小さな山なのか、それとも読み方が違っているのか。イクヤマでもセイザンでも該当する山名はどこにも載っていない。他に可能な読み方があるのだろうか?
 意外に早く麗桜が数冊の本を両腕に抱えて戻ってきたので、時空はこれ以上夢の謎を追いかけるのは、ひとまず諦めることにした。
「早いな……」
「さっき目星を付けておいたの」
 時空は一番上にある薄手の本を手にとり、パラパラと斜め読みを始めた。巻頭の豊富なカラー写真の数々。その後に京都全域の地図と航空写真が続き、本編の観光名所の解説になる。京都駅周辺、河原町周辺、祇園、三条通、三池通、四条通、烏丸通、御所……。
 京都は高校の修学旅行以来行ったことがない。正直言って、さほど興味もないのだった。
 なぜ小説の舞台に選んだのかというと、ただなんとなく、としか言いようがない。
 たまたまパッと開いたそのページには<上賀茂>と大きくタイトルが書かれている。何故かその文字に意識が吸い寄せられる。
「カミガモってどこだっけ?」
「京都の北のあたりよ」
 カミガモという言葉の響きが理由もなく時空を惹き付け、彼は無意識に拾い読みを始めた。
 上賀茂神社……別名賀茂別雷神社……背景の神山を御神体として鎮座する……神山は別名をあれやま、御生山ともいい、立入禁止の霊山である……その頂上には降臨石が在る。
 御生山……
「んっ……?」
 どきっとして思わず席を立ち、叫んでいた。
「あれっ?」
 椅子がガタンと大きな音を立て、周囲の冷ややかな視線が一斉に集まった。
「しーっ……静かに……」
 麗桜が人差し指を立てて口に当てながら頁をのぞき込むと、時空は<御生山>という文字を指さした。
「こっ……これ……これっ」
「え……なに……?」
 麗桜は身を乗り出し、時空から本を奪い取ってそのページに顔を埋めた。
「あっ」
 麗桜の目が大きく見開かれた。
 隣りの机で郷土資料を紐解いていた年輩の女性が立ち上がってコピー機の方へ歩いていった。その横では受験生が物理学事典を拡げ、ノートにカリカリと何やら細かい丸文字を刻み込んでいた。
「立入禁止の霊山……頂上に降臨石……」
 時空の声は潜められながらも口調は叫んでいた。すでに探すことをあきらめかけていた麗桜は不意をつかれ、次の言葉が出てくるまでに数秒を要した。
「ミアレヤマ……? これでミアレヤマって読むの?」
「うん、そこに書いてあるだろ。これだ、これに違いない、御は敬意を表する接頭辞のようなものだ、これが俺達の探しているウブヤマだ」
「そうか……別名なのね。しかも読み方がミアレヤマ……地図では神山になっているからいくら検索したって見つからないわけだわ」
 麗桜の声が緊張を帯びて鋭くなった。時空は地図帳を開いて神山を探す。
「あった、あった……これがそうか」
 麗桜も身を乗り出して覗き込んだ。
 山頂を示す一点を中心にして等高線が一本、そしてまた一本と囲む。この山が円錐形であることを表している。そしてこの山の西、北、東の三方向を他の山々が囲んでいる。
「この形……」
 麗桜は両手で地図帳を持ち上げて目の高さまで掲げ、しばらくそのまま地形を吟味していた。地図が描き出す地形と麗桜の脳裏に焼き付いている夢の中の映像は見事に一致している。
「この形だわ!」
 時空は慌ただしく立ち上がると神社に関する書籍を探し回った。思ったよりも数が多い。厚さ十センチ以上もある本が並んでいた。腕一杯に抱えて戻り、机の上にどさっと積み上げた。片っ端から神山を御神体とする上賀茂神社についての記述を探す。
「知らなかった。神社の本ってこんなにあるのね……」
 麗桜は一番厚い神社事典をめくってみた。「賀茂神社」という項目はすぐに見付かり、二人は顔を寄せ合ってざっと斜め読みを始めた。鮮やかな神幸列の写真が目を惹く。純白の衣をまとった巫女が葵の葉を首に下げていた。その写真の下には上賀茂神社と下鴨神社の祭りである葵祭のことが詳しく紹介されている。
 葵祭に先立ち五月十二日の夜、上賀茂神社では御神霊をお迎えする秘事である御阿礼神事(御生神事)が行われる。上賀茂神社の祭祀中最も古く、厳重な神事である。これは何人の奉拝も許されない。
 忙しなく段落を追っていた時空の視線はその文面に惹きつけられるようにして止まった。
「何人の奉拝も許されない御阿礼神事……」
 そして、そこから一段落離れたもう一つの文が再び彼の注意を惹いた。それは下鴨神社の<御蔭祭>についての記述だった。
 下鴨神社でもこの五月十二日の日中に御蔭祭という神事を行う。上高野の御蔭山にある御蔭神社にまで御
神霊をお迎えに行く。明治初年までは御生神事と称された。綏靖天皇の御代(BC五八一頃)からの日本最古の神幸列が、普段は訪れる人もいないようなこの無人の神社に下鴨神社
から遣ってくる。内陣での儀式は秘密である。この御蔭山は御生山とも呼ばれる。
「上高野にある御蔭山もミアレヤマと呼ばれる……神山は上賀茂神社の近くのこの位置。御蔭山は上高野……」
 時空は大判の地図帳を探してみたが上高野付近をいくらなぞっても御蔭山という文字は見付からな
かった。
「あ……あった……この地図に載ってるわ」
 麗桜は観光ガイドブックの洛北の地図を開いて見せ、御蔭神社という赤い文字を指さした。
「意外だな、地図帳には載っていないのに、こんな本に載ってるなんて。なるほど、御蔭神社がここ……ということは御蔭山もこの辺か……」
「叡山電鉄の終点あたりだわ」
 等高線が粗く、山の形状がよくわからない。山とは言ってもかなり低いのだろう。
「あった……ミアレヤマが二つも見付かったぜ。要するに神山と御蔭山はそれぞれ上賀茂と下鴨の賀茂神社と関係している。そして、どちらも別名御生山と呼ばれているってことだな」
 周囲の人達が二人の騒々しい様子をときどき横目で盗み見ている。冷ややかな視線を感じて時空は再び声を潜めた。
「なんてことだ。京都にあったとは……」
「信仰されている頂上の岩……御生山という別名……地形からしても間違いないわ……神山……これが私の夢に出てきた山よ」
「五月十二日の秘密の御阿礼神事と御蔭祭か……あ……今日は五月十九日だから、つい最近じゃないか……」
 数秒の間があった。麗桜が眉間に皺を寄せ、「えっ……ちょっと待って……」と叫ぶと慌てて時空の腕をぎゅっと掴んだ。痛い。その只ならぬ怯えたような声の調子に時空は体を硬くした。閲覧室じゅうから視線が集まる。麗桜の顔は蒼白で緊迫感が漂っていた。
「なっ……なんだよ?」
「五月十二日って、先週の日曜日じゃないの?」
 一瞬、麗桜が何を言わんとしているのか時空にはわからなかった。
「ああ……十九から七を引けば十二だからな……」
 時空は先週末の出来事を思い出した。
「確かに、先週のにちよ……あ……」
 二人は皿のように開いた目を見合わせた。
「夢を見た日!」
 同時に叫んだ。他の閲覧者達はもはや迷惑そうに睨んだりせず、見事なユニゾンの叫びを発したカップルに呆気を取られ、一体何を面白そうに調べているのかと興味津々な眼差しを投げかけている。麗桜は周囲の反応に気づくと罰が悪そうに再びささやき声になった。
「ちょっと……」
 麗桜は椅子が音をたてないようにゆっくり立ち上がって時空の腕を引っ張り、一同の視線が及ばない本棚に挟まれた狭い空間へ彼をひきずりこむと、「偶然にしては出来すぎだわ」と眉を潜めて囁いた。
 時空は身震いをした。背筋をさあっと冷たい感覚が走り抜けた。それを何と呼ぶのか知らなかった。
 恐怖でもなく、畏怖でもない。それらが入り交じった複雑な感情。今やあの夢が得体の知れない何者かが明確な意図をもって語りかけてきたメッセージであることは疑う余地がない。では相手は何者なのか? 
 閉館時刻ぎりぎりまで二人は沈黙したまま上賀茂神社に関する資料に読みふけった。
 図書館の外へ出ると五月の心地よい風が興奮した二人の心を幾分鎮ませた。藻岩山を望むと北海道の遅い桜が咲いている。
「やっぱりあれは無意味な夢じゃ無かったんだな」
 時空が資料のコピーをぱらぱらとめくりながらしみじみと言った。
「これでウブヤマが御生山だってことはわかった。そして二つの御生山のうち夢の中に出てきたのは神山の方であろうことも……でも……」
 麗桜はジーンズのポケットから点の羅列が書かれたメモ用紙を取り出し、ひらひらと風になびかせた。
「これは一体何なのかしら?」

 
(つづく)

※ 最初から順を追って読まないと内容が理解できないと思います。途中から入られた方は『古事記デイサイファード』第一巻001からお読みいただくことをお薦めいたします。

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