報道番組ディレクター 通勤時間1時間半の鎌倉に移住したら上司が
TV局の会社員だった私がフリーランスになるまでの色々を綴る記録。今回は住む場所について。ドア・ツー・ドア40分で会社に行ける社宅に住んでいた私は、2人目の産休中に通勤時間1時間半以上かかる鎌倉へ引っ越した。
1人目を出産して2人目の産休に入るまでの間、1か月半の職場復帰をしたときに「こりゃあ今までのように仕事一本に打ち込むことは難しいな」と感じた。そのことがきっかけで、少しずつ“会社や仕事のため”に生きてきた人生から、“自分の人生は自分で決める”生き方へと少しずつ変えていっている自分がいた。(当時は気づいていなかった)
これまでは、会社が指定した場所に住んでいても何も違和感を持っていなかった。だって仕事が大好きだから仕事できれば住む場所なんてどこでもよかったんですもん。でも、赤ちゃんと住み始めた小さなマンション(社宅)はストレスでしかなかった。部屋と部屋の仕切りは襖だったので、子どもが寝た後に楽しみにしていた連ドラ鑑賞はヘッドフォンをして見ていた。子どもが昼寝をしているつかの間の休息は音を出さないように忍び足で行動していた。散歩に出かければ、公園は人がいっぱいでいつボールが赤子に直撃するかハラハラ。スーパーも、ドラッグストアもコンビニも、目の前にあったのでめちゃくちゃ便利だったけど、田舎育ちの私は息苦しさを感じていた。
社宅の良さは家賃がとにかく安い。夫は、「住めば都。このまましばらくはここで暮らしてもいいよ」と言っていたけれど、私は1か月半の復帰のときに感じた違和感を忘れてはいなかった。
2人目が産まれるまでに家を買おう。気乗りしない夫を無視して家探しを始めた。絶対条件は、車生活が当たり前で都内に通勤できること。夫は、「買うなら庭付き戸建てじゃないと嫌」とセレブ発言をしていたが、夫がローンを組むのでここは無視できず探した。結果、鎌倉で中古の戸建住宅を買うことに。もちろん庭付き。都心のタワマンを買うよりもお手頃だった。
車生活へのこだわりは、1人目出産当時、夫の赴任先の北海道で過ごした経験からだった。娘と2人、車で色んなところに出かけた。牧場、農村、温泉、とにかく楽しかった。娘は車に乗せるとすぐに寝る子だったので、その間車の中で好きなことができた。鎌倉だったら、あのときの田舎生活まではいかなくてもプチ田舎生活くらいはできるのでは。そんな期待があった。
2人目出産後、保育園の申し込みが間に合うようだったので、すぐに引っ越しをした。期待通り、車生活のプチ田舎は最高で、赤ちゃんと幼児を車に乗せて、鎌倉周辺のいろんな場所へドライブをした。
息子が0歳9か月で職場復帰。1時間半かけての通勤は、電車の中で連ドラを見たり本を読んだり、意外と悪くなかった。
久しぶりの報道番組制作の部屋。知らない人もたくさんいて不安もあったが、どんな仕事をするんだろうとワクワクも。
再会した同僚との話も盛り上がった。がしかし、「今どこに住んでるの?」と聞かれて「鎌倉だよ」と話すと…。
「え!!!!????よくやるね…」「がんばるねw」と。
「いいなぁ」と羨ましがってくれる同僚もいたが、それだけでは終わらず、「でも私は無理だわ」と。
あれ?だめ?鎌倉。
他部署ではあったが夫も同じ会社で働いていたので、今後の仕事と育児の分担を夫の上司と私の上司が話し合う機会があった。要は、どちらの上司も部下である私たちに働いてほしいので、どこまで譲り合えるのかを話し合う会議。(今思えば、どうして上司が私たちの生き方を私たちがいない場で話し合ったのか謎ですが…。)
私の上司が言った一言「わざわざ何で鎌倉なんかに住んだんだ。」
鎌倉に住んだことをこんなに悪く言われるとは。住む場所って自由じゃなかったのか。入社して初めて知った現実だった。
つづく…。
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