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難病営業マンの温泉治療㉙【小安峡温泉】

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 「明日は天気いいみたいだから、外に出てみたら?」

 そう話してくれたのは、毎年茨城から湯治に来ているという男性。いつも炊事場で一緒だった。鳴子に到着してからというものの、ほぼ毎日雨が降り続いていた。

 雲間が切れたのを確認し散歩に出て、小雨が降り始めたら部屋に戻るという生活。買い出しの時間以外は籠り切りで、パソコンばかりやっている私を気に掛けてくれたようだ。

 線維筋痛症と共に気象病も年々悪化の一途を辿っている。
気になりだしたのは高校時代。偏頭痛や関節痛の症状が出始める。昨年あたりからは低気圧が襲うだけで吐気や神経痛が顕著になり、病名が断定されてからは特に朝の全身痛は凄まじかった。

 これだけ降り続く雨。流石に陰鬱になっているのは自分でも分かっていた。ちょうど気分転換をしようと思っていた時だった。

 
 「小安峡あたりだったら車で行けるよ」
 「天気が良ければドライブも気持ちいいよ」

 
 宮城の県境を越えて秋田県に入りすぐ、片道1時間程度の距離だ。4年前に一度訪れている。廃れてしまった温泉街の記憶しかないが、道中の森林は美しかった印象があった。


 翌朝、いつものように5時半起床。カーテンを開けると久々の晴天だ。周囲の散歩をいつもより長く40分ほど、身体も雨天時と比較にならない程軽い。朝食を済ませ、簡単な事務作業を済ませ愛車に乗り込む。大崎市(鳴子)を出るのは1週間振りだ。


 大崎から栗原市を抜け秋田県は湯沢市へ。新緑の樹林を切り裂くように398号線を北上する。見事な森林景観だ。両サイドには時折山菜を取りをしている人々が見受けられる。私同様、晴天を待ちわびていたのだろう。

 ちょうど宮城と秋田の県境の辺り、通り沿いに小さい鳥居が祀られている。栗駒神水という湧水処だ。生活用水や飲用として地元民や観光客から人気のスポットだという。秋田県発酵の焼酎「米蔵」や、地酒「湯上がり美人」に使用されている名水。飲水すると少し甘みを感じる。山頂はまだ雪を被る栗駒山。よく冷えて美味い水だった。


 湯沢市街地へ下る様に北西へと進むと噴煙が見え始めた。「日本秘湯を守る会」所属、奥小安峡「阿部旅館」。まだ旅館自体の歴史は50年程度のようだが、古くから「大湯」という湯治場として親しまれ、春になると山菜取りの客で賑わったそうだ。

 98度の単純硫黄泉は、加水によって適温調整。湯触りはさほどパワーを感じられなかったが、硫化水素臭をしっかりと残す。こちらも源泉を利用したサウナがあり10分ほど入室した。シャワーや水風呂はないので温度調節は外気浴で。
 
 露天に出ると浴槽が2つ。そこを更に降りると渓流に繋がる。現在は進入禁止だが、実はこれは7月から9月限定で拝湯できる天然の混浴川風呂。時期になると湯底から湧く源泉を塞き止めて適温にするのだ。残念だが今回は見るだけ。再訪を誓う。



 更に西へと向かうと小安峡温泉街が見えてきた。左右に並び立つ旅館やお土産屋。ほとんど営業している形跡がない。他の温泉街同様廃墟群と化してしまっていた。
 
 
 「たむら屋」というお食事処だけは開いていたので、ここで昼食をいただくことに。老夫婦と息子さんと思われる3人で切り盛りしているようだ。ご主人の趣味なのか日本全国の路線バスやら観光バスの写真が店内中に貼り出されている。500枚近くある、どうやって集めたのだろうか。

 おすすめは秋田名物稲庭うどん(冷)とろろ飯のセット。本場を味わうのは初めてのことだ。山菜とわさび、コシのない麺は好き嫌いがあるかもしれないが、のど越しが良く旨かった。
 田舎に来ると麺類を食いたくなるのは私だけだろうか。


 腹を満たし向かったのは国道から逸れること15分、「泥湯温泉」へ。平安時代初期から歴史を持ち、江戸時代より湯治場として栄えた地だ。こちらも4年振りの訪湯。

 立ち寄った「奥山旅館」は5年前火災により全焼し、一度は灰燼に帰した忌まわしい歴史を持つ。多くの温泉ファンから愛されていたというこの宿。ただでさえ倒産や廃業が相次ぐ旅館業、肝胆を砕く思いで再建したようだ。感謝を込めたダイブ。内湯、露天共に適温。かけ流しだ。

 粘土色の源泉、その湯底にはパックができるほどではないが泥が沈む(前回はもっと沈殿していたような気がする)。泥湯は全国には20件もないという貴重泉質。後世まで残してほしい宿と湯だ。


 森林浴には自律神経を整える作用があるという。特に標高300~800mの高原では効果は最大に発揮できるそうだ。この日のドライブは150キロに及んだ。いつものように、松任谷由実、大瀧詠一、山下達郎を聞きながら。

 宿に戻ると外出を勧めてくれた男性。
「元気になったみたいだね。顔見ればわかるぞ」

 鳴子での湯治生活も折り返しを迎える。


                         令和3年5月22日

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