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猛暑の新潟湯治④【出湯温泉 珍生館】

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 新潟市の南に位置する五頭ごず温泉郷は、出湯でゆ、村杉、今板の3つの温泉地から形成されている。県内最古の開湯1,200年を誇り、温泉ファンには大変よく知られた地だ。

 国内屈指のラジウム泉(放射能泉)として、免疫力の向上を始めとする湯治効果は、多くの学者の研究題材にもなっている。湯治場としても古くから親しまれ、昭和19年から終戦にかけては傷兵の保養所として占有されていたという歴史もあるそうだ。

 何度も訪れている出湯温泉だが、ずっと湯治の候補地でありながら実現しない理由があった。ポケットWi-Fiルーターが圏外で、滞在しながらテレワークが出来なかったのだ。

 だが親しきフォロワーさんの滞在記事が目に留まり、出湯の中でも長期滞在プランを用意する「珍生館」はWi-Fiを完備していることを知る。

<湯美さんの記事より>

 湯治宿に関しては割と細かく通電状態などをチェックしていたつもりだが、この宿に関しては完全に見落としていた。出湯温泉の源泉は一つの湯を除きいずれの40度以下の温湯で、茹だるような酷暑で体調が優れぬ中、私にとっては渡りに船の存在であった。

 
 温泉街に到着後、まずは街のシンボルでもある華報寺の本殿へ参拝。歴史のある温泉地には温泉神社があり、私は湯治期間中は毎日平癒祈願を怠らない。
 華報寺の境内には共同浴場があり、本殿から十数秒歩けば番台へ。この時期薄着なので参拝を終えて2分後にはかけ湯を始め、その数秒後には湯に浸かっていた。

 
 泉温は38.8度、冬季加温となるがこの時期はノンボイル。濾過循環、消毒液もない完璧な状態で配湯されていた。ラジウムを含んだ湯気が場内に籠り、鼻から成分を吸引する。 
 肌のあたりも優しく、無色透明だが頭皮からはダラダラと汗が流れる。飲泉も可能なため、岩場から落ちる湯を飲泉し水分補給。

 こちらの共同浴場では源泉を販売しており、入口の券売機でシャンプーやカミソリなどのボタンの並びに「温泉水持ち帰り」ボタンがある。地元の方が大五郎のボトルで持ち帰る姿を、この浴場では実に日常的に目にする。飲泉ができるのは湯の鮮度が良い証左だ。


 珍生館に入ったのは14時頃。この宿も湯治場らしく、13時からチェックインが可能。玄関で人を呼ぶと、妙齢の女性が出て来られたので私は一瞬ドギマギしてしまった。

 他意はなく、湯治宿の女将と言えば実祖母に近い年齢の方も珍しくはない。宿の数の減少は歯止めがかからず、疫病拡大の影響でその勢いは更に加速した。お若い方が宿守をしていることで、長く続いてくれるのではと放心したのだ。

 これからも痼疾と付き合いながら、定期的に湯治は必要になる。連泊と自炊が可能で、そして安閑の宿は一つでも多い方が良い。特に夏の暑さを凌げる温湯でそれができる宿は、実はかなり選択肢は少ない。

 
 玄関から女将さんの説明を受けながら2階の部屋へ。
館内は想定していたよりも遥かに綺麗だった。置物やインテリアなど、湯治宿というよりお洒落な旅館のようだ。
 
 夏の湯治宿はカメムシと蛾がセットのようなところがあるが、一番奥の部屋まで虫どころか塵一つ落ちていない。少しして部屋までお茶を持ってきた女将さん、座卓に向かい合い説明を受ける。


女将 「自炊されるのですか?」
私  「そうです」
女将 「今一年に一組くらいしかいらっしゃらないですよ」
私  「そんなに少ないですか、まあローソンとかありますしね」
女将 「電子レンジで温めるくらいで」

 案内を受けたキッチンはビジホの洗面台サイズだった。
冷凍庫も小型で、特に冷凍スペースはガリガリ君を4本も入れれば一杯になってしまうほど。これは想定外だった(お宿が悪い訳ではなく、私のリサーチ不足)。これでは自炊生活が出来ない。

 だが窮すれば通ず。
私は湯治宿では朝からフライパンを振り回すことも多いが、こうなっては仕方がない。いっその事、今回の湯治は油を使用せず、超粗食生活をしようと開き直った。

つづく

                          令和4年7月16日

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出湯温泉街 正面が華報寺の本殿
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左に本殿 右に共同浴場
間にあった建物がなくなっていた
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毎朝5時に平癒祈願
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共同浴場 250円
毎日人がいて中は撮影出来なかった
ミニキッチン…調理は諦めよう
冷蔵庫 隣の部屋はもっとデカいやつだった模様

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