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読んで書いて忘れる、という勇気。

先日購入した、プロダクトデザイナー秋田道夫さんの本『自分に語りかける時も敬語で』を読みました。

余白を多くとったページに、言葉と考えが美しく整列している。
そんな「機嫌よく日々を送るための哲学」を散りばめた一冊でした。


その中に、noteの毎日更新を続けるにあたって、背中を押してもらえそうな考えがあったので紹介させてください。

「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」で有名な正岡子規ですが、その人生は短かく34歳で没しています。しかし残した俳句の数は25000句にのぼるそうです。何が言いたいかと言えば、加減なくどんどん言葉をデザインしようということですし、その上で世に知られるものは数が少ないということの覚悟です。

『たくさん作る覚悟をする』の章より引用


凡人かそうではないか、の二択だったら私は間違いなく凡人と言えます。
少ない手札での勝負だと、もともと強い天才には到底敵わない。

しかし創作においては、秋田さんが仰る「加減なくどんどん」のように、量を通して質がついて来ることも、起こり得るものだと思います。
「世に知られるものは数が少ない」のも確かだけど、その「世に知られるもの」がどんな形で出てくるかなんて、その時には予想しようもないのだし。
(世に知られることだけではなく「自分が満足できるか」という基準にも言えますね)


一方で「加減なくどんどん」つくることに対しては、秋田さんの言葉ではありませんが、思い出すものがあります。

「狂気とは即ち、同じことを繰り返し行い、違う結果を期待すること」

アインシュタインの言葉としてウェブ上で広まっているようですが、実際は違うそうです。
こちらから引用しました)

言わんとすることは頷けます。
そして、その「同じことを繰り返し」に陥らないために大切なのが、他者の考えや価値観に触れることなのかなと。

どんどん本を読んで色々なものを観てください。そしてどんどん忘れてください。それでも残っているのがあなたの知識です。

秋田道夫『自分に語りかける時も敬語で』おわりに より引用

個人的にはこの、どんどん忘れるまでの過程に「つくる」ことも加えたい。
感想や雑記などの文章だけじゃなく、そして人に見せる・見せないを問わない、あらゆる手段の「つくる」こと。

頭の中で考えているだけだと、どうしたって曖昧な状態で漂うだけになってしまう。
いつか思い出せると嬉しいけど、記憶の底に沈んで二度と浮上しなかったらちょっと切ない。
「つくる」を通して何らかのかたちにすることが、定着という意味でも「あなたの知識」に繋がってくれると思うんです。

読んで書いて、忘れてみる。
良き循環をこれからも続けていけるといいな、なんてことを考えさせられた一冊でした。



※秋田道夫さんの本を購入した経緯は、こちらで語っています。


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