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 亀麿神社は館内の外に位置しており、正面玄関から左脇に逸れた小道を進むと朱色の鳥居が見えてくる。館内の廊下からも神社へ続く扉が設けられており、通常はこちらから靴を履き替えて外に出る。私も例に倣って参拝することにした。

 ここで、緑風荘に伝わる「亀麿」という座敷わらしの由来を、ホームページから引用して簡単に記しておきたい。

”およそ六七〇年くらい前の南北朝時代。
当家の先祖である藤原朝臣藤房(万里小路藤房)は、南朝の後醍醐天皇に仕えていました。
しかし、南北朝戦争において南朝は敗北し、北朝の足利軍に追われ現在の東京都あきる野市に身を隠しました。
その後、さらに北上を続け、現在の岩手県二戸市にたどり着きました。 道中、二人連れていた子供の内、当時六歳だった兄の亀麿が病で倒れ幼き生涯を閉じました。 その際『末代まで家を守り続ける』と言って息を引き取ったそうです。
その後、守り神<座敷わらし>として奥座敷の槐(えんじゅ)の間に 現れるようになったと言い伝えられています。
その姿を見たり、不思議な体験をした人は大変な幸運(男=出世 女=玉の輿)に恵まれると伝えられ、実際座敷わらしに出会った人には必ず良い事があったそうです。

またひとたび座敷わらしに気に入られると、どこであろうと座敷わらしが会いに来てくれるそうです。

座敷わらしとして現れる「亀麿」は昔から多くの著名人も目撃し、 また、現在も多くの宿泊者に不思議な現象を起こし沢山の体験談で語り継がれております。”

 以上が由来である。男児で亀麿という名前の座敷わらしを祀っているのが亀麿神社であり、緑風荘に今も住み着き、宿泊客に幸せを齎すとのことだ。 
 ちなみに、亀麿神社の左手には稲荷神社も祀られており、中庭には二つの祠がある。稲荷神社が朱色の鳥居であることは理解できるが、亀麿神社の鳥居も同色であるのは何故なのか。これは私の推測でしかないが、商売繁盛、豊作祈願を意味する隣の稲荷神社に肖って、座敷わらしも同じような言い伝えと捉えることができるからではないだろうか。

亀麿神社。左は稲荷神社。

 さて、参拝だ。この地に漸く辿り着けたこと、少しでも良いから不思議な体験をさせて頂きたい、そして日々への感謝、これから自分が何を目指し、お返しするのか、そんなことを考えながら手を合わせた。そして、写真撮影を試みる。こちらの祠を撮影すると、オーブやそれ以外にも不思議な写真が撮れることもあるという。しかしながら、今回は私の撮った写真には特に変わった様子は見られなかった。

 神社や館内で宿泊者が撮影した不思議な写真は、槐の間の隣室である休憩スペースの大型テレビで、スライドショーで紹介されている。みなさんがどのような写真を撮ったのか、ご興味のある方は見学してみると良いだろう。また、宿泊に訪れた著名人も多数紹介されている。

槐の間の隣室。テレビには宿泊者から提供された不思議な写真や訪れた著名人が映されている。

 時計の針はまもなく六時を指そうとしている。夕飯の時刻までに入浴を済ませよう。私は部屋へ戻ることにした。

玩具や風船を撒いて気分を高めてみた部屋。

 入浴道具を整理して、大浴場への準備をする。今のところ、自分が泊まっている部屋では変化がない。気配のようなものも感じない。言い伝えでは槐の間だけに亀麿様が出現するわけではないとのことなので、引き続き部屋でも検証が必要だ。風船が動くとか、足音がするとか、今宵はどのような怪異に遭遇できるのか。さて、この地域一帯の金田一と言えば温泉の評判も良い。座敷わらしに注目が集まりがちだが、そもそも温泉郷である。源泉掛け流しを楽しみ、地元の料理と酒に舌鼓を打とう。(続く)

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