見出し画像

東京大学2003年国語第4問 『言の葉の交通論』篠原資明

 東大国語第4問らしい文章だ。詩など、必ずしも論理性にしばられない文章でもなんなく読める人にとっては楽な問題かもしれないが、苦手とする人(私もその一人)にとっては厄介な問題である。しかし、ときどき出題されるので、文中の言葉を一つひとつ丁寧にときほぐして解く訓練をしておくしかない。

問題文はこちら

(一)「痕跡過剰のうちへと引きずり去られてしまう」(傍線部ア)とあるが、どういうことか、説明せよ。
 まず、「痕跡の過剰」とは、第1段落にあるように、「当の作品の背後には、それ以前の無数の作品が控えている」ことと、「過去のひとつの作品についても、あるいはその部分についても、それらは別様でありえたかもしれないという可能性」のことである。そして、その「別様でありえたかもしれない可能性をも含めた痕跡の過剰を、自らのコンテクストに引き入れつつ、実際に別様に展開してみせる作業」が引用である。
 しかし、傍線部アの直前にあるように、引用において、「過去のものを引き入れるべき現在の言語表現が、それなりの独自のものでない」場合には、痕跡の過剰を別様に展開しないままになってしまうと考えられる。これが傍線部アの意味となる。
 したがって、「独自の言語表現なく過去の詩を引用して詩作すると、元の詩の背後にある無数の作品や元の詩が別様であり得た可能性を展開しきれないということ。」(67字)という解答例ができる。

(二)「過去へのベクトルに拮抗しうるだけの今へのベクトルを、そこに重ねることができた」(傍線部イ)とあるが、どういうことか、説明せよ。
 第5段落の冒頭に「芭蕉の有名な句が、すでにタイトルに掲げられており、おまけに詩中で芭蕉と名指されてもいるのだから、この場合、引用認定については、これほどみごとにクリアしたものはないほどだ。したがって読者の視線は、過去へのべクトルをもたされる」とあり、この引用は、「古池や蛙とびこむ水の音」という題名と、「芭蕉」という個人名に言及することで、明確に過去向きベクトルをつくりだしていることがわかる。
 一方では、「波紋」について「音のあったその一点」から「宇宙大に」までの、元の作品にない巨大な拡がりを措定している。「芭蕉が芭蕉を見失うほどの」「芭蕉を呑み込んでしまうほどの」、つまり元の作者が想定しないような独自の言語表現によって、今へのベクトルをつくりだし、前記の過去向きベクトルと均衡させている。
 以上から、「元の作者も想定しない巨大な拡がりによる現在向きベクトルによって、題名と作者名の引用による過去向きベクトルと拮抗させているということ。」(66字)」という解答例ができる。

ここから先は

941字
この記事のみ ¥ 300
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?